Rhapsody 4
相沢君に連れられてやってきたのは、とあるマンションだった。中心街の端、建ち並ぶ高層ビルの間を通り、そびえ立つ青白いガラス張りの建物の前で彼は立ち止まった。
「ここ…ですか?」
「そう。ここ」
彼は入口付近にある筒状の金属の壁に手を翳し、扉を開けた。今ではすっかり普及している、埋め込みチップ式の扉だ。
彼はカツカツと靴を鳴らし、中へ進む。私も慌ててそれに続いた。
「これから会う人って、その…大人の方なんですか?」
「いや、僕らと同世代の男子だよ」
「そ、そうなんですか…!てっきり恐い感じの人を想像してました…」
私の勝手な想像だが、アインの人間は皆厳つい大人のイメージがあった。だから相沢君がアインの一員なのだと知った時は、内心呆気にとられたものだ。
「あいつは恐いどころか、むしろその逆。全然こわがる必要なんて無いから」
相沢君は笑いながら言った。
二人でエレベーターに乗り込む。彼は30階のボタンを押し、携帯端末をいじり始めた。エレベーター内は一部の壁がガラス張りになっており、私はそこから遠ざかる下界を見渡した。
「随分高いですね…アインの人達って、皆こんなところに住んでいるんですか?」
彼は携帯端末から目を離さずに答えた。
「多分、そうでもないよ。その辺の安いアパートに住んでる奴だって沢山いると思う」
「ちなみに、相沢君の家はどの辺なんです?」
彼は端末から顔を上げ、ガラスの向こうを指差した。
「あれだよ」
「ええっと…あの黒い建物ですか?」
「違うよ、もっと左の方」
「え…あ、あれかな?」
「…全然違うし」
はあ、と溜息をついて彼はまた携帯端末に目を向けた。
「仕方ないな…今度家来たら」
「へ?」
随分となんでもないような口調で言ったけれどこれは…お家に招待されたということではないだろうか。
「わ、私が相沢君の家に?いいんですか…!?是非行きたいです!行かせてください!!」
「いや、逆に聞きたいんだけど。お前が大丈夫なの?男の家にそんなのこのこと上がり込んでいいわけ?」
言われてみれば確かにそうだ。だけど…
「相沢君、女は死体にしか興味ないとか言ってませんでしたっけ?」
「たしかにそうだけど、お前がいいのかって聞いてんの」
「私は、別に大丈夫ですけど…」
そう答えると、彼は何かを企んだかのような目をして、こちらを一瞥した。
「不用心に家に上がり込んで、突然僕に突然押し倒されたりしても、問題ないっていうの?」
真顔で聞かれて、私は考える。…それが全く問題でないわけではないが、それ以前に、相沢君が私にそんなことをするとは思えない。
第一、相沢君が私なんかを相手にするような人なら、私は最初から彼に好意を抱いたりなんてしないだろう。
「…相沢君はそんなことしないって思いますから」
「…へえ、随分信用されてるんだ、僕」
彼はにっこり笑って…突然、私を突き飛ばした。
そのまま激しくガラス張りの壁に叩きつけられる。
背中にじわりと痛みが走り、はっとして顔を上げだ時にはもう、彼の手が私の首を絞めあげていた。声が出ない。
「……っ!」
「馬鹿だなあ、僕なんかを信用して」
呆れ顔を浮かべる相沢君。心做しか楽しそうにも見える。それから低い声で、彼は言った。
「…あのさ立花。僕の傍にいるってことは、こんな風に突然命の危険が降り掛かっても毎回耐えなきゃいけないって事なんだよ。ちゃんと分かってるの?」
「……あ、相沢君……苦し……」
首が痛い。息が出来ない。彼の白くて細い指からは想像も出来ない程の強い力で、ギリギリと絞められている。
「僕が最低な奴だって分かった上で一緒にいるんでしょ?だったら、こんなの苦じゃないはずだよね」
「わ…わかりましたっ…わかりましたからっ………!」
「なにが?」
「た、耐えられ……ますから……私…っ……だから…!」
声を絞り出してそう言うと、彼は満足したようにやっと手を離した。
「そう。じゃあ頑張ってね」
離されるなり、私は床にどっと座り込む。酸素を深く吸い込んで、呼吸を整える。
「はあ…はあ……っなんでいきなりこんなこと…」
「いや、ちょっと試してみたくなって」
何事も無かったかのようにいつもの真顔に戻る。
「試すって…」
「こんなことをしてもまだ僕と一緒にいられるのかなあって」
彼は微笑みながら言う。笑っている筈なのに、その目はとても暗い。
「…大丈夫です。私、頑張るって決めたので」
息を整えつつ、立ち上がる。
リンと音が鳴り、エレベーターが30階に到着した。扉が開く。
相沢君に手を引かれて、エレベーターを出る。そのままいくつも並ぶ部屋の前を通り過ぎていく。
「(どうしてかな…私、あんなことされたのに相沢君のこと全然嫌いにならないや)」
むしろ、気持ちはどんどん大きくなるばかりだ。
自分でも不思議に思いながら、彼の背中を追う。
「ここだよ」
一番端の部屋の前で、彼は立ち止まった。
相沢君がインターホンを鳴らす。が、扉は一向に開かない。そのうち痺れを切らしたように、彼は扉を手でドンドン叩き始めた。
「おい、いるんだろ。僕だよ、綾斗だよ!今すぐ開けろ!」
その様子をまるで借金取りのようだなんてぼんやり思いながら、私は見守る。
やがて扉がゆっくり開き、中からパーカーのフードを目元まで深く被った男の子が姿を現した。
彼は相沢君の姿を見るなり、ハッとした顔をしてフードを取る。
私より少し年下だろうか。短い黒髪で下がり眉の彼は、相沢君と私をじっと見比べた。
「あっ…綾斗くん…どうして女の子がここにいるの…っ?」
か細い声で少年は恐る恐る尋ねた。相沢君は私の肩にぽんと手を置き、話し始めた。
「こいつは立花あんず。安心していい、協力者だよ」
「協力者…ほんとうに…?」
視線が合う。そんなに見つめられると、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
「こ、こんにちは。最近相沢君の助手になりました立花あんずです」
「助手…」
「立花、紹介するよ。こいつはアイン専属ハッカーの上村優太。僕はこいつに色々な情報を提供してもらってるんだ」
私は言われたことを頭で繰り返した。アイン専属ハッカー。相沢君の情報提供者。つまりこの子も…共犯者だ。
おどおどしているその雰囲気には全く似合わない単語の並びに、私は驚いた。
「こいつ、女が苦手でさ。そのせいで外に出られないって悩んでるんだよ」
「あっ…綾斗くん、それは……言わないでよ…」
「だからさ、立花と会話でもして女に慣れればいいでしょ?次来る時も連れてくるから」
「ええっ……そんなの困るよ………」
涙目になって狼狽える姿は、なんだか可愛い。私はなるべく優しい顔を作って微笑んだ。
「えっと…これからよろしくお願いします、上村君」
「ひぃっ…………!!」
私が声をかけるやいなや、上村君は小刻みに震えて、ドアの影に隠れてしまった。
「(一応優しく言ったつもりなのに、ちょっと傷つくなぁ…)」
すると相沢君は溜め息をつき、無理矢理ドアをこじ開けようとドアノブを引っ張り始めた。
「こんな調子じゃいつまで経っても引き籠もりのままだよ、お前」
「だ、だって……!」
上村君も対抗してドアを閉めようと力を込めていたように見えたにも関わらず、呆気なくドアは開いた。上村君の腕力が弱過ぎるのか、相沢君が強過ぎるのか。
相沢君は開いた瞬間すかさずドアに足を掛け、これ以上閉められないようにした。
「や、やめてよ…綾斗くん…久しぶりに会いに来てくれたと思ったら、女の子を連れてくるなんて…ひっ…酷すぎるよ………」
「こいつとの顔合わせのためだけに僕は来たんじゃない。用件は他にもある」
「え、な、なに…?」
「この間話したでしょ。例のデータ頂戴」
すると上村君はハッとした顔をして「今すぐ持ってくるね」と言うなり急いで家の中へ駆けて行った。
「相沢君、データってなんのことですか?」
「さっきも言っただろ。僕はあいつに情報を提供してもらってるんだって。僕の任務に有益な情報を纏めた書類を、秘密裏に作らせてるんだよ」
「秘密裏に……」
一体どんな内容のデータなのか全く想像がつかない私は、とりあえず浮かんだ率直な感想を口にしておく。
「よくわかんないけど、なんかカッコイイですね!」
「そんな軽々しいモノじゃないから」
そう言って相沢君は私の額を軽く小突いた。
「えへへ…すみません」
「ったく、大丈夫かなあ、こんな察しの悪い馬鹿を仲間にして」
「ばっ!馬鹿とはなんですか!私だって一応頑張ろうと思って…!」
そんな他愛無い言い合いが始まろうという時に、部屋の向こうから上村君が何かを大切そうに持って走ってきた。
息を切らして私達の前で立ち止まり、相沢君にそれを差し出す。
「はあ…はあ…ハイこれ。今回は多いから大変だと思うけど…綾斗君ならきっと捌けると思うよ」
「うん。ありがとう」
黒いUSBメモリのようにみえるそれを、相沢君は中身を確認した後、黙って鞄のポケットに突っ込んだ。
「じゃあ、僕達帰るから」
「えっ…あっ…もう行っちゃうの…?」
「うん。とりあえず目的は終えたから」
上村君はあからさまに寂しそうな顔をした後、小さな声で呟いた。
「あの…綾斗くん…また来てくれる…?」
「ああ、そのうち来るよ。それまでに情報収集と例の処理終わらせといてね」
「…わかったよ…それじゃあ、待ってるね…」
上村君は名残惜しそうな目で相沢君を見ていたが、やがて静かにドアを閉めた。
「じゃ、帰るか」
相沢君は何事も無かったかのようにさっさと歩き出した。それに続き私も帰り道へと向かう。
色々と聞きたいことが、頭で悶々と増えていく。何から話すべきか私が頭で考えているうちに、相沢君が先に喋り始めた。
「なんか腹減ったなぁ。いつの間にか夕方だし」
「あの…相沢君」
「何」
「さっきの上村優太って子、随分相沢君に懐いてるみたいに見えましたけど…お二人はどういう…?」
「ああ…」
軽く返されたので意外とあっさり教えてくれるのかと思ったが、相沢君は「やっぱりやめた」と言って口を噤んだ。
「えっ!どうしてですか?」
「なんか長くなりそうだし、今は話すの面倒臭い。それにお腹も空いたし」
「ええっ…そんな理由で…!」
「後でちゃんと教えてあげるよ。そんなことより、何か食べに行かない」
「!!!」
相沢君と二人で食事。そんな嬉しい誘いに、私が乗らない訳がない。
上村君のことも気になるが、まあその話は後でいいだろう。
「やった!行きます!」
「そんなに嬉しいの?先に言っておくけど僕、別に奢る気なんて全く無いよ」
「流石の私でもそこまでは期待してないですってば!ただ…」
「…何?」
「相沢君と一緒にご飯を食べられるなんて初めてだから、それが嬉しくて」
私がそう言うと、彼は一瞬だけこちらに目線を向けて、その後ふっと逸らした。
「……ふーん。まあいいや」
私の方を振り返りもせずに、カツカツと靴を鳴らして先を歩いていってしまう。そんな彼に置いていかれないように、私は慌てて歩幅を合わせるのだった。
相沢君に連れられてやってきたのは、中心街の駅内にあるレストラン街だった。こじんまりした定食屋、賑わうイタリアンレストラン、シックなカフェ、和食処、甘味処……立ち並ぶ店達を歩きながら眺めているだけでお腹が空く。さすがこの街で一番人口が多い中心街、レストランも半端無く充実している。私はこの辺りの賑わう街やモールには頻繁に来るわけではないので、新鮮で楽しい。何より、私の隣を歩く人が相沢君だというこの状況が、ただただ嬉しい。
並ぶ飲食店を眺めて目を輝かせる私と対照的に、相沢君はぼんやりした目で歩いている。この辺には来慣れているのだろうか。アインの人も、こういう庶民派な店で食べたりするのかな?なんて考えながら私は声をかけてみる。
「相沢君、どこ入ります?私はどこでもいいので、相沢君が決めていいですよ!」
「じゃあ適当に決めていい?」
相沢君と一緒なら何を食べても楽しいし嬉しいし美味しいだろうと、もう頭の中で殆どそんなことしか考えていない私は、本当にどの店でも構わないのだ。
相沢君は真横にあった喫茶店を指差した。
「ここでいいよね?」
「はい!勿論!」
私は嬉々として答える。どこでもいいだなんて言ったから、とんでもない変な店に連れていかれたらどうしようだなんてほんの一瞬だけ考えたけれど、そんなことはなかった。
店のドアを開けると、頭上でベルがチリンと鳴った。相沢君は全く迷う素振りも無く一番奥の隅の席へ向かい、私も何も言わず着いていく。
運ばれてきた水を口にして、やっと一息つけた気がした。彼はメニューをパラパラと捲っている。店員が注文を聞きに来ると、彼は珈琲とサンドイッチを注文する。
「お前も何か頼んだら」
「ええと、じゃあ……私このオムライスにします」
先に珈琲が到着する。一口飲んで溜息をつく彼はそれだけでなんだか様になるので不思議だ。私は相沢君に聞きたいことが色々あったことを思い出して尋ねようとしたのだが、あまりに多すぎて質問攻めになってしまいそうなので、とりあえず当たり障り無い話題を選んでしまう。
「相沢くん…お腹ぺこぺこだって言ってたのに、あれだけでよかったんですか?」
「うん。僕少食なんだよね。いつもそんなに量食べないから」
だからそんなに華奢なのかな…と、コーヒーカップを持つ彼の手首を見ながら思う。女の私と体重もそんなに変わらなさそうに見える程、相沢君は身体が細い。
よくよく考えてみると、相沢君が食事をしているところを、私はいまいち想像できなかった。儚いというか人間味が無いというか、人間らしい活動をしていなさそうなイメージがあった。初めて会った時に見た、返り血を浴びた姿があまりにも衝撃的だったせいもあるのかもしれないけれど。
「相沢君も普通にご飯食べたりするんですね…」
「はあ?何言ってんのお前…当たり前じゃん」
呆れ声で彼は言う。それはそうだ。流石の彼だって、食べなければ死んでしまうし、寝たり、風邪を引いたり、ちゃんと人間らしい生活もしているのだろう。周りの人間や私が、勝手なイメージを持っているだけで…。
急に相沢君という存在が身近に思えてきてしまって、つい頬が緩んでしまう。
「何にやにや笑ってんの。気持ち悪い奴だな」
「あ、あはは…そのコーヒー、美味しいですか?」
「んー、まあまあかな。美味しいとも不味いとも思わない。自分で淹れた方がマシかな」
「へえー…相沢君も自分でコーヒーいれたりするんですね…!てっきり召使い的な誰かにやらせてるのかと…」
「僕に対して偏ったイメージ持ちすぎだろ、お前…。それに僕、一人暮らしだから家には誰もいないし」
…この歳で一人暮らし。なんだか早すぎる気がする。家でずっと一人だと、寂しくないのかな。アインは基本血筋で決まるという噂だから、きっとご両親も組織の人間なのだろうけど…相沢君はなぜ一人で暮らしているんだろう。両親はどんな仕事をしている人なんだろう。そもそも生きているのだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせはするが、我慢できず結局とっさに尋ねてしまう私の好奇心は、幼い頃から変わっていない。
「あ…えっと、あの、ご両親は…」
「そんなおろおろした顔しなくても、二人共健在だよ。…本当しぶとくてさ、なかなかくたばらないんだよね…あの野郎」
「仲、悪いんですか…?」
「…ああ。本当に悪いよ。この世で一番嫌い」
彼の顔が憎たらしそうに歪む。人が嫌な事を思い出している時の顔だ。これ以上聞くのは悪いかと思って、私は黙って水を一口飲む。ゴクリと喉が鳴る。
まだまだ彼について知らないことが、山ほどあるのだろう。何もかも知りたいと思うのは、きっと悪いことではない。だって好きな人のことを知りたいと思うのは、至極当然のこと。そうは思うのだけれど、踏み込ませてくれないラインというものは誰しもにあるもので、それを越えさせてもらえる立場まで、まだ私は昇りつめられていない気がする。いつか色々話してもらえるだろうか。そのために私は、何が出来るのだろう。何をすればいいのだろう。
「あっ、そういえば、さっき会いに行った男の子…上村君、でしたっけ。彼のことは詳しく聞かせてくださいよね。そういう約束ですし」
「ああ、そうだったね…まあ、たいした話じゃないけどさ」
何から話そうかという顔で相沢君が虚空を眺めている間に、お待たせしましたと言いながら、ウエイトレスが注文の品を持ってきた。テーブルに並ぶ料理と美味しそうな匂いに、思わず喉が鳴る。
「…相沢君…。とりあえず、お話はこれを食べてからにしません?」
「お前が話せって言い出したくせに…。まあ、別にいいけどさ」
そうして私達は料理をぺろりと平らげ、追加のホットコーヒーを片手に再び話を始めたのだった。
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