Nocturne

・アスター視点

番外編。

アスターとトアが二人で屋敷に住んでいた時の話です。


┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄


ノクターン

 

 夜の帳が降りる頃。

 普段から静かな屋敷は更に静まり返り、辺りには冷たい空気が立ち込めていた。部屋から出た俺は、辺り一面に漂うこの冷気に凍えた。もう夏だというのにこの冷気はなんだ、と思い記憶を起こしてみると、心当たりはすぐに浮かんだ。今朝用意した、冷却魔法で作った杖。きっとあれが地下室から冷気を放っているのだ。このままでは風邪を引いてしまうと思い、俺は地下へ急いだ。

 予想通り、地下室への階段を降りていく度に寒さが増していく。だが俺は、ひとつの疑問を感じていた。あの杖は、中央の宝石に呪いをかけないと効果が起動しないはずだ。なのに何故触れてもいないのに冷気を放っている? 疑問は、重い扉を開くと一瞬で解決した。

 

 「トア!何やってるんだこんな所で」

 「ああ、アスター。これを冷やそうと思って」

 

 黒いベストを纏った小柄な少年。彼はこの屋敷に住み込みで働いている、トアだ。杖の前に掲げているのは、なんと果物だった。

 

 「これをこんなに凍らせて、一体どうするつもりだ」

 「前に本で読んだのを試してみたくてさぁ。水分の多い果物を凍らせるとサクサクになるんだって。アスターも冷凍果物食べたくない?食べたいよね。はい、これ」

 

 そう言って、トアは凍ったオレンジを差し出してくる。

 

 「…本当に美味いのか?というか、なにもこんな杖でやらなくても冷蔵庫があるだろ」

「キッチンまで行くの面倒だったから、ここでついでに凍らせちゃおーと思って」

 

 トアはそういってウインクを飛ばしてくる。こいつの自由さには、正直ついていけない。この前だって、珍しいキノコを取りに行くと言ったきり一週間も戻ってこなかったり、部屋にいる虫を全て排除するのだと言って部屋中を食虫植物で埋め尽くしたり。とにかく、自由奔放なのである。

 

 「トア、魔法を使うのに慣れてきたからって、そんなポンポンと使うものじゃない。気をつけろよ」

「分かってるって。ちょっとはしゃぎすぎただけだよー…っと」

 

 果実を全て凍らせ終え、トアは意気揚々と階段を登る。自分もそれに続く。廊下の窓から射し込む月明かりは暖かく、冷気を溶かしていくようだった。

 

 「サクラちゃんがきたら、この果物を食べさせてあげたいな」

 

 彼はまたその名前を口にした。"サクラちゃん”。もう何度も聞かされた、彼女の名前。トアは自分の大切な人だといつも言うけれど、俺は正直、その存在を信じられなかった。何故かって、それは未だにそのサクラちゃんとやらがここに現れないからだ。トアがあんなに真剣に語るのだから俺も信じないわけにはいかないのだが、それでも、聞けば聞くほど疑わしい話だ。

 トアが話す”サクラちゃん"とやらは、二つ結びをした黒髪の女の子らしい。いずれは自分と結ばれる運命だの何だのとよく話しているが、それが決めつけなのか同意の上なのかは理解に苦しむ。ともかく、そのサクラちゃんとやらはトアの心を随分掻き乱しているようだった。

 「その、サクラちゃん、だっけ?本当にこの屋敷に現れるのか?俺は未だに信じ難い話なんだが…」

 「来るに決まってるよ。なんたって僕が言ってるんだから」

 ここまで自信満々に言い切られると、俺は何も言い返せなくなってしまう。たとえその"サクラちゃん”がトアの中の架空の人物だとしても、実際に存在する人間だとしても、俺に関与する余地は無さそうだった。その少女のことはトアに任せるとしよう。

 「けどその果物、サクラちゃんのために取っておくつもりか?いつ来るかも分からないのに」

 「僕の計算ではもうすぐ来るはずなのに、おかしいなあ…道にでも迷ってるのかなあ」

 「それ、前にも聞いたぞ」

 そいつは本当に来るのだろうか。トアがここまで待ち侘びているのに、死ぬまで来なかったら不憫で仕方ない。

 「…俺にはそのサクラちゃん、がどんな奴か想像もつかないけど、いつか会えるといいな」

 「うん。会うよ。絶対に会える」

 言い切るトアにまた圧巻される。それに比べて、俺はどうだ。俺にも待ち焦がれている相手がいるはずなのに。

 「アスターも、早くモモさんに会えるといいね」

 モモ。彼女の名前が頭にずしんと響く。もう随分会っていない。些細な喧嘩をして、それ以来姿を見せなくなってしまった自分の恋人。

 「本当はアスターだって、その人に会いたくて仕方ないんでしょ?」

 「…ああ」

 俺だって勿論会いたいさ。だけど、行方が知れない彼女の姿を追い続けるなんて、そんな不毛な事があるだろうか。半ば諦めかけている俺に、トアは容赦なくその名を時折口にする。これでは、忘れられるものも忘れられないではないか。

 「アスターはモモさんに会いたいし、僕もサクラちゃんに会いたい」

 なんか二人して待ってるだけなんて女々しいよね、などと言ってトアは笑ってみせる。全く本当にその通りだ。二人して女を待ち続けているなんて、我ながら情けない。

 「これはもう、自分から会いに行くくらいのやる気がないと駄目じゃない?ねえ、アスターもそう思うでしょ」

 「…そんなこと言ったって、行方が分からないんだから仕方ないだろ」

 「だから、人探しの魔法を使うんだよ」

 その方法は、実は俺も思いついていた。だが…

「その魔法には、特殊な薬が必要なんだ。作るのがとてつもなく困難な…」

 「絶対に作れないってわけじゃないんだね?なら、作ろうよ」

 被せ気味に急かすトア。サクラちゃんとやらに早く会いたいのか、俺とモモを再会させたがっているのか…どちらでもいいが、そんなの俺には不可能だ。

 「材料が分からないんだ。書庫に錬金術書があったはずだが、あれだけの本の数だ。探すには何年もかかる…」

 「じゃあ、一冊ずつ探せば見つかるよね」

 俺はまた呆気にとられる。こいつの原動力は一体何なんだ?なぜここまでして追いかけようと思えるのだろう。そんな本当にいるかどうかも分からない相手のために、どうしてそこまで…

 「本気で会いたいなら、どんな手段を使ってでも会いにいくべきだって、僕は思うよ」

 「……」

 トアは果物を齧りながら言う。こいつはこんなに行動力に溢れているというのに、それに比べて俺は…と、また自己嫌悪に陥る。俺も探し始めるべきなのだろうか。行方不明の恋人のことを。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る