第3話 それぞれの下校

 「聡、退寮は今日するのか?それとも明日?」

 「道は?」

 「俺は今日帰る。んで、入寮出来る日の次の日に帰って来るつもり」

 「道、どっちも『帰る』になってんぞ?」

 「へっ?あ、そうか」

 アハハ、と笑いあって閑散とした校庭を抜けて校門『正門前』へと歩く。

 「みんな素早いな。そんなに急いで家に帰りたいのかな……」

 聡は自分が実家に帰りたいとは思わないので、他の生徒たちが早々と帰路につくことが不思議だった。

 寮生は全校生徒の三分の一にも満たない。殆どが地元の生徒である。

 寮生の半分以上はスポーツ推薦枠の越境入学者で、聡のように一般クラスでの中等部からの越境入学者は珍しい。

 私立・杲星立志学園こうせいりっしがくえんは、杲星大学・大学院をはじめ杲星暁こうせいあかつき高等学校・中学校、小学校は除いて杲星曙こうせいあけぼの幼稚園を擁している。

 道晃も武至も外部受験を経て高等部からの入学で、県内出身だが、家が遠い為に寮生活を始めた。こちらも少数派である。

 聡は隣の県の出身の為に中等部からの越境入学、寮生活である。中等部ではスポーツ推薦等はないので、滅多に寮生は存在しない。なので高等部の星見寮ほしみりょうの一部が中等部生の寮にあてがわれ、中等部の校舎から距離があるので学生たちはその部分を『サテライト』と呼んでいる。

 「俺は寮の改修工事が終わったら、校内の特別補講を希望したからそれに参加するつもりなんだ。だから早めに戻って来ないとヤバいんだ」

 道晃が言うと、武至や聡は驚いた顔をした。

 「え……アレって、特別進学クラスのヤツも頭を抱えるって噂のアレ?マジ?普通クラスで受けるヤツ、聞いたことねぇけど……道、お前すげぇ心臓してるな……」

 「僕も、中等部の頃から噂はたくさん聞いてたけど……補講中のテキストが分厚くて、家庭学習の量も半端ないって。夏休みなのに睡眠時間が足りなくて、普通授業が幸せだったと錯覚するっていう、アレ?」

 道晃は顔面蒼白になり、立ち止まる。

 「え……聞いたことないぞ、んなコト。なんで誰も教えてくれなかったんだよ!」

 「俺ら普通クラスには無関係だったから」

 「同じく。受けるヤツなんていないと思ってたから」

 「あ~~~!だからか!!申し込んだ時に担任が『お前度胸あるな。頑張れよ!先生は蔭ながら応援するからな!』って言ったのは……なんでなんだよ、って疑問だったんだよなぁ……表だって応援しろよな!」

 「まあ、担任にとっては面と向かって本当のことを教えてあげられなかったんじゃない?せっかく本人がやる気を出しているのに。確か教師メンバーの中に入っているだろうから」

 聡は寮内の噂で教師陣については少しだけ情報が入っていた。

 「う……いる。確かに入ってる……スケジュール表に名前があった。ヤバいマジかよ!」

 「僕も蔭ながら応援するよ。頑張れ、じゃなくて、自分を大切にしてくれ」

 「そりゃどーゆー意味だ……聡……お前はどうすんだ?塾にも行ってないし、授業に付いて行けそう?期末どうだったっけ?高等部の授業が中等部の時とは全然ペースが違うって話してなかったか?」

 三人が校庭のど真ん中で立ち止まり、真剣な顔つきで話し込んでいると、校内放送が流れて来た。

 やはり終業式の日なので、下校時刻がいつもより相当早い。まだ三時十五分前である。

 下校を促すチャイムと音楽で知らせ、それでも校内に残り続けた場合は、アナウンスが流れる。

 「早く帰宅するように」と。

 三名は再び歩き出す。

 「あ。僕、このまま寮に戻らないまま退寮するつもりで登校したから、手続きして鍵を返して来た。だからこのまま貴史たかしさんのアパートに直行出来るんだ。そこで家庭教師をしてもらうことになってる。二週間だけね、ってバスで行くんだったっけ。忘れてた……」

 「あ、保護者代わりの週末家庭教師んとこか。バス停まで距離あるぞ。時間は?」

 三人が一斉にスマホを見る。

 「三時六分だったと思う」

 「じゃ、間に合うな。俺はまだ退寮連絡してないし、鍵も返してないから寮に戻るわ。道と一緒に出るかな。んじゃ、一旦寮に戻るか。マイクロが見当たらないから徒歩だな」

 広い校庭の正門の近くには、星見寮直通のマイクロバスや、各種運動部の部員を専用体育館や競技場、付属の部室まで運ぶバスがいつも停車して時刻通りに運行している。駅までの送迎バスはまた別に待機している。

 正門はバス専用レーンと生徒用の二手に分かれており、下校時刻まで守衛が正門横の小さな警備室に常駐している。時刻を過ぎると教員と交代して、守衛は内部の警備室へと移動する。校内に残っている生徒たちを下校させる為に巡回する。

 武至と道晃は、具合の悪い聡に付き添っていた為にマイクロバスには乗れなかったのだ。

 「あ……ごめんね、二人とも。僕のせいで間に合わなかったんだね……有難う。一緒にいてくれて」

 「あ、橋本を責めるつもりで言ったんじゃないからな?お前の体調がだな、姉貴と……だな、うん」

 武至が口ごもる。姉のつわりと似ている症状が、もしかしたら聡の双子の姉、萌波の生理中の体調悪化を双子のアンテナで受けているのが原因かもしれない、とは口に出せなかった。

 「俺だって、そんな具合の悪いお前を放っておけるかっつの。大体寮まで歩いて十分もしないからな。いつも楽してんだよな。たまにはバスの有り難みを考えないと」

 道晃は目の前でぐらぐら揺れて倒れ込んだ聡が気になって仕方がなかった。

 「……有難う。もう、大丈夫だから……ジュースを飲んだら落ちついたよ」

 「……ジュースね……」

 正しくは、料理用の柑橘系の酢である。

 守衛室では教員が座っていた。既に警備員は校内巡回に赴いたらしい。

 「じゃあ、俺たちこっちだから。橋本、あまり無理するなよ?んじゃ、また連絡しような!」

 「……俺の愚痴を聞き流してくれな……メッセ送るから……」

 「うん、無理しない。道の愚痴も聞くから大丈夫。じゃ、また二週間後に!」

 星見寮と市営バスの停留所は反対方向なので、正門で別れた。

 正しくは、杲星暁高等学校男子部校舎正門前で。

 「ホントになぁ……『共学』ってパンフレットに書くのよして欲しいよなぁ。サギだぜサギ!正確には『別学』じゃねぇか!男女が一緒に行動出来るのが修学旅行、体育祭、文化祭だけだなんて……共学の意味ねえじゃん」

 「良く調べない武至が悪いんだって。俺は知ってたもんな。まあ、正門を出たら女子と会えるからまだマシ?」

 「それは通学生の特権な」

 「言えてる」

 部活動に参加していない寮生には強制送還という名で呼ばれるマイクロバスが待っている。

 十分近くを歩くことが億劫だと思わなければ、女子部校舎正門の近辺をうろつけばいいのだ。が、二人にはそんな勇気と行動力は持ち合わせてはいなかった。

 「それより武至さあ、まだ聡のこと、苗字呼びなんだな」

 「やっ、マジ無理だって!父親を呼び捨てにする気分なんだよ!字は違うけどさあ、家に帰った時に『さとしがさあ』なんて怖くって言えねって」

 武至の父親は厳格な医師である。武至は普段の言葉遣いは砕けているが、家では常に緊張して少しは丁寧に話している。

 医師の息子でありながら、頭は普通レベルを定着させてしまったことも気を遣う原因であるかもしれない。

 兄や姉はそれぞれ医師免許を取得していた。


 「あれ、珍しい。誰もいないや」

 『杲星立志学園高等学校前』という名称のバス停は、男子部校舎と女子部校舎の間にある。

 両方の校舎からは、なだらかではあるが登り坂の頂点にバス停があるため、まさに「行きはよいよい帰りはこわい」になっている。

 登りつめる前に、見通しの良いバス停には人影がないことが見えた。普段ならば時折女子生徒や一般客がベンチに座ったりしている。

 (さすが明日から夏休み……?かな……)

 聡は週末になると、このバス停から長年お願いしている家庭教師の山本貴史やまもとたかしという大学生のアパートへ通っている。高等部に入った今年は、保護者代理にもなってもらったので、学園側が安心して外出許可を出してくれるようになった。

 貴史は杲星大学の三回生で、中等部からそのままエスカレーター式に乗って進学していた。聡の先輩でもあった。

 坂を登り切り、ベンチに座ろうとして、いくらか聡はふらついた。

 (あれ……ここまで歩いて来たのはまずかったかな……)

 バス停の後ろ側は学園の建物が隣接している為に、コンクリート製の塀やフェンスがずっと続いている。向かい側には山道のような木々が木立のようになっていて、ガードレールの向こうは斜面が連なり人は立ち入ることは少ない。その遥か向こう、下部には曲がりくねった川が見え隠れしている。

 不意に塀と塀の間に、今まで気が付かなかった暗い細い道が見えて来た。

 (あれ……こんな所にフェンスが切れている場所なんてあった……?)

 夏の日差しは厳しく照りつけているのに、何故かその道はとても薄暗い。木々が立ちこめているからであろうか。

 そして、その薄暗い先には明るい円状のようなものが見える。まるでトンネルの向こう側を覗いているかのようだ。そこだけ木々が途切れているらしい。

 (知らなかったな……こんな道……あ、れ) 

 ベンチに近付こうとして、聡の揺れる体が右側の薄暗い細い道の方へと傾いた。

 (気持ち……悪……)

 ぐにゃりと薄暗い道が更に暗く渦巻く。聡の体は吸い込まれるように暗い渦の中へと沈んで行く。

 聡の体は外部からは全く見えなくなっていた。

 そして、それと同時にフェンスとフェンスの間にあった薄暗い細い道や、トンネルの向こう側のような明るい場所も見えなくなっていた。

 時刻は三時になったばかりである。

 暗い渦も聡を飲み込んだ後は無用だと言わんばかりに消え去った。

 聡は三時六分発のバスには乗ることが出来なかった。

 

 

 

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