第32話 ヴェリーシア

 ランギルスの協力を取り付けた、その日の昼過ぎ。昼食をごちそうになった後。


「ルーファス子爵令嬢がうちに来ることになった。ちっとばかし面倒臭いところはあるが、根は良い奴さ。先に会っておけ」


 そんなことを告げられて、俺たちはルーファス子爵令嬢と会うことになってしまった。


『その令嬢さん、どんな人なんだ? 厳格な人?』


 シャワーヘッドの姿になっているので、念話でランギルスに話しかけた。ランギルスはにやりと笑う。


「いやいや。礼儀などにうるさい奴ではないから、細かいことは気にしなくていい」

『そう……。失礼なこと言った途端、首をはねられるとかじゃなければいいけど』

「流石にそんな横暴な真似はせんよ。……おっと、早速来たようだ。キーラが呼びに行っている」

『早っ。うわ、なんか緊張するなぁ……』


 貴族かぁ……。あまり具体的なイメージを持てないが、どういう人なのだろうか。

 

「……ヤキチ、不安?」


 ルビリアの問いかけに、緊張の色を見た。ルビリアとしても、貴族なんて縁のない存在で、不安になってしまうのだろう。

 ……ルビリアの前で、みっともない姿は見せられないよなぁ。


『……いや、大丈夫さ。二人でなら、どんな相手も敵じゃない』

「……そう」


 ルビリアが柔らかく笑い……ランギルスとカシーナはによによしている。


『見せもんじゃねーぞ』

「君たちが勝手に見せつけてくるんじゃないか」

「そうだな。私たちに見せつけてくる、お前たちが悪い」

『へいへい……。悪かったな』


 まもなく、客間のドアが開いて。


「お久しぶりです。ランギルス様」


 高貴な雰囲気の少女が、ランギルスに向かって丁寧なお辞儀をした。

 緩くウェーブの掛かった桜色の髪が揺れて、良い香りがふわりと広がったような気がする。子爵令嬢とはいうが、豪奢なドレスなどは着ておらず、フリルのついた白いブラウスに、黒のゆったりしたスカートという控えめな服装。しかし、そのシンプルさが彼女をとても理知的な印象にしている。

 笑顔はたおやかでしとやかなのに、その瞳には怜悧な光を感じる。十五、六歳くらいに見えるが、何かと論破してきそうな油断ならない相手に思えた。


「おう、ヴェリーシア。元気そうで何よりだな」

「ランギルス様こそ、お元気そうで何よりです」

「あたしはあと五十年は生きるよ」

「そう言わず、あと百年くらいは生きてくださいまし」

「流石にそこまでは長生きできねーわ。さ、早く座れよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 キーラの導きに従い、ヴェリーシアは俺たちの前のソファに腰掛ける。

 一つ一つの所作がとても綺麗で、映画の中のお姫様を眺めている気分になった。

 ヴェリーシアは、まずカシーナを見て、軽くお辞儀。


「カシーナさんも、お久しぶりです。あなたの作る薬はよく効くと、城内でも評判ですよ」

「皆様のお役に立てて光栄です」

「末永く、この町で過ごしてくださいましね? ルーファス家のため……とは申しません。この町の人々のために、カシーナさんの力のお力添えをいただけると幸いです」

「私はこの町が好きですから、そうそう移り住むつもりもありません」

「それを聞いて安心しました。今後とも、宜しくお願いします」


 二人の会話も終わり、最後、ヴェリーシアがルビリアをすっと鋭く見つめる。


「初めまして。この地を治めるフィドラン・ルーファスの娘、ヴェリーシアでございます。年齢は十六。あなたは、ルビリア・ガネーティスさんですね?」

「あ……はい。わたしはルビリア・ガネーティス。冒険者です」

「お噂はかねがね伺っております。冒険者として素晴らしい功績を残しているそうですね」

「……まぁ、それなりに」

「控えめなお方なのですね。この町でも指折りの冒険者だと伺っていますよ」

「……そう」

「褒められることにも慣れていませんか?」

「……かもしれません」

「そうでしたか。あまりこの話をするのは良くないようですね。ふむ。……それでは、もう本題に入りましょうか。その左腕のケースに入っているのが、例の神器でしょうか?」

「そうです」

「意志があるとか?」

「はい」

「話しかけても宜しいですか?」

「……はい」

「それでは、神器さん。お名前を伺っても?」

『初めまして。ヴェリーシア様。俺はヤキチです』

「へぇ、本当に話すのですね。そして、人型になることも可能だとか?」

『条件がありますが』

「お姿、拝見させていただいても宜しいですか?」

『ええ。……ルビリア、頼むよ』

「ん」


 ルビリアが俺を床の上に置く。シャワーヘッドから姿を変え、外観としては簡易シャワールームのようになる。

 内側で人型になり、出入り口のドアを開けた。


「人型では初めまして。ヤキチです」

「……可愛いっ」

「へ?」


 妙に目を輝かせたヴェリーシアがソファから立ち上がり、つかつかと歩み寄ってくる。俺の前に立つと、両手をがっしりと掴んできた。


「あなた! 私のものになりなさい!」

「……はい?」


 先ほどまでの礼儀正しい雰囲気は消え去り、ヴェリーシアは童女のように目を爛々と輝かせている。

 私のものになりなさいって……それ、ルビリアから俺を奪おうとしているってこと……?


「離れて」


 いつ間にか、ルビリアがヴェリーシア俺との間に立ち、ヴェリーシアを引き離している。冒険者の速力を遺憾なく発揮しすぎである。


「ルビリアさん、どうされました?」

「……ヤキチはわたしの。誰にも渡さない」

「それは、あなたが勝手に言っていることではなくて?」

「ヤキチもわたしと一緒にいることを望んでる」

「ヤキチさん、そうなのですか?」

「……ええ、そうですよ」


 俺の返事に、何故かヴェリーシアがにたりと笑う。


「いいですわ。ヤキチさんがそうおっしゃるのでしたら……私に振り向かせてみせましょう」

「……はい?」

「私、他人が大事にしているものを見ると、余計に欲しくなってしまうんです」


 うわぁ……性悪女じゃん。この町、大丈夫か? 令嬢ならそこまで権力はないのかもしれないが……。


「な、何を言ってる?」

「ルビリアさん。この魔法具……いえ、ヤキチさんをかけて、私と勝負しましょう」

「……勝負とか、意味がわからない。ヤキチは絶対に渡さない」

「そうおっしゃる方から奪うのが、私、とっても楽しいのですよ」


 ヴェリーシアは小悪魔めいた笑みを浮かべるばかり。

 ランギルスの方を見ると、やれやれ、と肩をすくめている。止めるつもりはないらしい。

 ……要するに、俺とルビリアでこいつを止めてみろ、ということかな。


「ルビリア。とりあえず話を聞こう」

「ヤキチ……。でも、わたし、ヤキチを誰かに渡すつもりとか、ない」

「わかってる。俺だって、ルビリア以外の誰かのものになるつもりはない。ただ、それでも相手は子爵令嬢様。無視するわけにもいかないさ」

「……けど」

「大丈夫。俺たちなら、どんな奴が相手だろうと、負けることはない」

「……うん。わかった」

「ヤキチさんはお話がわかる方のようで良かったです。それでは……私と、ルビリアさん、どちらがヤキチの所有者……あるいは、パートナーとしてふさわしいか、勝負をしましょう」


 ふふふ、と薄気味悪い笑みを浮かべるヴェリーシア。

 俺とルビリアが負けることはないはずだが……何を仕掛けてくるつもりなのか。不気味だな……。

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