あの日の色彩を2

     (一)


「えっと……ユニス、ごめん、美味しくなかった?」


 酒場・化物退治の店内で、僕は仏頂面のユニスを見つめて苦り笑う。エドウィンもカレンさんも、オッサンも出掛けていたから僕が朝食を作ったのだが、口に合わなかったのだろうか。


 ベーコンと卵、チーズが乗ったトーストを一口大に切って、それを咀嚼したまま頬を膨らませていくユニス。


 お客さんに料理を出しているエドウィン達みたいに、良い物は作れないが、妹と母のご飯を毎日準備していたから、不味い物にはなっていないはずだ。僕も自分の分を一口食べて、普通に美味しいな、と思っていると、ユニスが勢いよくテーブルを叩いていた。


「メイさんは! むかつかないんですか!」


「ぅえ!? 何が!?」


「エドウィンとあの人です! 恋人って、なんでそうなるんですか! 今日だって朝からデートぉ!? なんで!?」


 吊り上がった両目が煌めく。感情的になるあまり潤んでいる瞳にたじろいだ。間違えて酒でも注いでしまっただろうかと、一瞬不安になるくらい、ユニスの爆発は突然だった。


 いや、きっとこの数日ずっと堪えていたのだろう。今ここに僕しかいないから、ようやく披歴することが出来たのかもしれない。


 エドウィンとカレンさんの関係は、カレンさんが酒場に住むことになった日にオッサンから聞かされた。僕も動揺はしたし、二人が決めたことなら何も言えない。だけどユニスの気持ちもよく分かる。二人の関係は把握したけれど、どうしても、胸が苦しくなる。


 海水みたいに胸を満たしていくのは、エドウィンと過ごす時間が減っていくような、彼が遠くに行ってしまうような、そんな、塩辛い寂寥。それに溺れて、窒息してしまいそうになる。


「エドウィンとカレンさんが二人で話して、そうなったのなら、それは二人の事情だから。僕達が文句を言うのはおかしいよ」


「おか、おかしい……っでも、やだぁああ……! なんで私、こんな、いやって思わないといけないんですかぁ!」


「ぇええっ、泣かないでよ……!」


 大粒の真珠をぼろぼろ零し始めたユニスに慌てて駆け寄る。撫でようとして、彼女が触れられるのが苦手だと思い出し、馬鹿みたいに両手を振ることしか出来なかった。フォークを机に置いた彼女が、両手で何度も涙をこすり始める。


「その、ユニスはさ、そのくらいエドウィンのことが好きだったんだよ。好きな人が遠くなったら、そりゃ嫌だって思うよ。その感情はおかしくない」


「すき……私、エドウィンのこと……好きだったんですか?」


「傍で見てて、そうだと思ったんだけど……」


「じゃあ、私があの時、エドウィンのこと好きって言ってたら、何か変わったんですか? ミルフィーユくらい大好きって、そう言ってたら、こうはならなかったんですか?」


 ユニスの言っているあの時、がなんの話か分からない。空席に置かれていた彼女の帽子を取って、頭にのせてやってから、布越しに頭を撫でてやった。


「わ、からないけど。でも、気持ちを伝えるのと、伝えないのでは、違うよね」


「ぅぅうううう~! 私の馬鹿ぁぁぁ……!」


「──ユニス? 何かあったのか?」


 扉の開閉音はユニスの哀叫で掻き消されていて、気付かなかった。エドウィンとカレンさんが扉の前に立っており、ちょうど帰って来たところらしい。


 すすり泣く声は止まない。二人とも心配そうにこちらを窺っており、ユニスは珍しく僕にしがみついた。自分から他人に接触しない彼女が、僕の胸に顔を埋めてくるものだから戸惑ってしまう。


 エドウィンは果物の入った紙袋をカウンターに置いて、僕を見る。事情を訊きたいのだろう。けれど、カレンさんもいる前で、真実を話すわけにはいかなかった。


「えっと……僕の手料理が、まずかったみたいで」


「違います不味いなんて言ってません! 美味しくて感動したんです! ほんとに美味しくて、エドウィンのご飯なんかより全然美味し──」


「っユニス!」


 混乱しているのは分かるが、その八つ当たりは駄目だと思った。咄嗟に止めたがもう遅い。はっと息を呑んだユニスの顔が蒼褪めていく。エドウィンの顔を見ることが出来ず、僕はユニスの泣き顔と見つめ合った。


「……そうか」


 返す言葉に、悩んだのだろう。彼のたった一言は、吐息のように静かで、慰めるように優しかった。だからこそ胸に刺さる。それはきっとユニスも同じだ。その相貌はひどく苦しげだった。


「っエドウィン違うんだ。僕の言葉も、ユニスのも、誤魔化すために勢いで言ったものでしかなくて。ホントは料理なんて関係なくて。ユニスはエドウィンのご飯大好きだよ。だっていつも美味しそうに食べているし、作ってってお願いしてるし、今朝だってエドウィンのご飯を食べたがってて、でもエドウィンがいなかったから僕が」


「メイさん、いいんです」


 この空気をどうにかしたくて、ユニスの気持ちをエドウィンが誤解したままなのは嫌で、疾言を連ねていたらユニスに止められた。靴音が、傍で響く。ユニスが強張った顔で、近付いた人影を見上げていた。


 エドウィンは、腰を屈めてユニスを見つめていた。彼の片手が持ち上がり、そっとユニスを撫でていた。


「ユニス。苦手な味付けがあったら、いつでも言ってくれ。お前に美味しいと思ってもらえるように作るから。けど、メイの作ったものが食べたい時や、マスターに作って欲しい時は、二人に頼んでくれればいい」


 困ったような笑みが彼の容色に漂っている。ユニスは彼の手を振り払うことなく、撫でてくれる手を見上げて、腫れた瞳で笑った。


「貴方ってほんとに……ううん、もういいです。あとでミルフィーユ作って」


「ああ」


「私ね、エドウィンの作るスイーツ、大好きなんです」


「そうか。……料理の腕も磨かないとダメだな」


「ううん。料理も、エドウィンの、好きです」


「だと良いんだが」


「私は、エドウィンのことも」


 ユニスが彼の胸元にしがみつく。微かに、金属の音がした。ユニスの言葉は続かない。静まり返った中で、彼女は「やっぱり、なんでもないです」と笑って、椅子に座り直していた。


 食事を再開したユニスを窺ってから、僕も着座してフォークとナイフを手に取る。エドウィンとカレンさんはカウンターの向こうで食材の整理を始めていた。


 トーストを半分ほど食べ進めた頃、かしがましい男が帰って来た。


「朗報だよ! さあて仕事の準備をしようじゃないか! ……なんだい? やけに静かだね?」


 彼の言う通り店内の空気は闃然としていて、僕としては美味しいご飯も無味に感じられるほどだったので、オッサンに感謝した。まさかオッサンに感謝する日がくるなんて思っていなかったが、心の中で合掌した。


 オッサンはカウンターの向こうに回ると、エドウィンに珈琲を頼んでから、手帳と便箋を取り出していた。


「マスター、朗報って何の話だ」


「列車で魔女を連れていた一般人がいただろう? どこで魔女を入手したのか、分かったんだ。あるパーティで魔女がオークションに出されている。これはそのパーティの招待状だよ」


 僕達に見えるよう持ち上げられた便箋で、赤い封蝋が艶めいた。コーヒーカップを取り出しながらエドウィンがオッサンの手元を覗き見て、嘆声を漏らしていた。


「招待状なんてよく手に入ったな」


「ウチの常連さんと話していたらね、パーティに参加してから子供がいなくなった夫婦がいる、って話を聞いたんだ。その夫婦……ウェインライト夫妻に話を聞いて、招待状を譲ってもらった。私達は彼らの代理として参加させてもらおうかと思ってね」


「どんなパーティなんだ?」


「悪趣味なパーティだよ。必ず恋人と、子供を連れて参加しないといけない。パーティの途中で子供達がカードを引き、スペードを引いた数人の子が鍵を持たされて目隠しをされ、一人ずつ木箱の中に入れられる。子供が時間内に鍵を開けられなければ、子供の悲鳴が響き渡る中で木箱に剣が突き立てられる。もちろん主催者は、コレは演出だから子供は無事だよと言って笑いながらパーティを続行。パーティの後半でオークションが行われるが、そこで子供が一人出品されるそうだ。それが魔女となった、過去の参加者の子供なんだってね」


 エドウィンとオッサンの会話に、僕の表情が歪んでいく。震懼しんくする子供を眺めて楽しむなんてどうかしている。そのうえ子供を魔女にされるなんて、何も知らずにパーティに参加した親子があまりに哀れだ。


 唇をへの字に曲げていたら、手元にティーカップが置かれる。カレンさんが柔らかに笑って紅茶を差し出してくれていた。僕は紅茶を啜りながら、オッサンとエドウィンの会話に耳を傾けた。


「つまり、その日に子供を奪われた参加者は、またそのパーティに参加しなければならないのか? 自分の子供が出品されるまで? だが参加する為には子供が必須なんだろう?」


「夫妻に聞いた話だが、主催者曰くね、連れてくる子供は別に実子じゃなくていい。孤児でもなんでも構わない。パーティここの仕組みを理解してる人間は、初めから実の子を連れて来ないんだってさ」


「夫妻は、警察には相談していないのか?」


「警察に言ったら子供の命はない、って言われたそうだ。だから誰にも相談できぬまま、夫妻は二度目の参加を見送ろうとしていたところだった。参加者は、単にスリルと残酷なゲームを味わいたくて適当な子供を連れてくる者と、孤児や他人の子を連れて参加を続け、奪われた自分の子供を取り戻したい者と、に分かれている」


 瞼を伏せて想像したのは、悪趣味な大人の冷笑を向けられる中心で、足掻く子供の姿。僕がシャノンと縫い繋がれた日のことを思い出して、呑み込んだ唾は怨毒の味がした。それを甘いミルクティーで漱ぎ、オッサンの言談を耳竅じきょうで受け止めていく。


「恐らく、主催者と魔女の研究員が繋がっているか、主催者が魔女の研究員かのどちらかだ。魔女の実験体となる子供をパーティで入手しているんだろう。だから、私達はパーティに参加して、オークションで魔女が売られているのを確認してから主催者に接触する、という流れがいいと思うんだが」


 胸中で頷いて、ティーカップをソーサーに置きながら勘考する。パーティの参加者は三人。いつものように僕とユニスとエドウィン、というわけにはいかないだろう。


 僕は顎に手を添えて唸ってから、オッサンを見上げた。彼はカウンターの中心にいて、真っ直ぐに照明の光を浴びているものだから、白橡しろつるばみの長髪が燦然としていた。


「ねえオッサン、パーティには夫婦と子供が参加するんだよね。誰がそのパーティに行くんだ? 僕かユニスが子供役なら大人の女性がいない。カレンさんは巻き込めないし」


「子供役も、メイちゃんだと少し大人びているからね。ユニスの方が幼く見えるからユニスに任せたいんだが、いいかい?」


「私は大丈夫ですけど、それじゃあ、メイさんが母親……? 無理ありませんか?」


「そこはエドウィンに任せたいと思ってるよ。私が旦那でエドウィンが妻役で行こうかなと」


 なるほど、と相槌を打ってから、視界の隅でエドウィンが硬直しているのが見える。彼のいる場所だけ時間が止まったみたいに微動だにしないものだから、心配になって正視してしまった。


 寸間ののち、エドウィンがマスターに詰め寄り、カウンターに片手を叩きつけていた。


「待て、無理があるだろ。騙せるわけがない」


「私はいけると思うんだが……エドウィンは私より背が低いし、女性はハイヒールを履くから高くなる。君がヒールの低い靴を履いて、丈の長いドレスで靴を隠せば、『背の高い女性』で通ると思うよ。スタイルの良い女性を好む男性も多いから大丈夫だ」


「背だけが問題じゃない。顔も声もどうにもならないから言ってるんだ」


 静かに苛立っている彼を、思わず凝視してしまう。


 精悍な青年のようで、それでいて凛冽な女性にも見える粋美な殊色。滑らかな曲線を描く横顔の輪郭は、彫刻のモデルになりそうだ。細く通った鼻梁も、形のいい玉唇も芸術品のよう。だけど腕のいい芸術家も、彼という幻想じみた現実を、ありのまま描くことさえきっと出来ない。


 彼の長い睫毛がまたたく。こちらを流眄りゅうべんする美玉が助け舟を求めていることは分かっていたが、僕はオッサンに同意することしかできなかった。


「えっと、顔は問題ないんじゃないかな……」


「私も問題ないと思います。そのまま長髪のウィッグを着ければ充分綺麗なお姉さんですよね」


「ええ。必要なら私がお化粧してあげるわ。むしろやらせて、楽しそう」


 ユニスとカレンさんの共感まで、僕の意見に打ちすがう。エドウィンの姸容けんようがどんどん不満げに歪んでいくから、僕は苦笑して頬を掻いた。満場一致で配役が決められるも、彼がまだ怏怏おうおうと開口する。けれどオッサンが先に沈黙を攫った。


「声も《拡張》の魔法でどうにかならないのかい? 女性の声を出すくらい魔法で出来そうな気がするんだが」


「っリアム、あんた楽しんでるだろ……」


「ははっ、エドウィンが私を名前で呼んでくれるのは久しぶりだね! 生憎それくらいしか夫婦と子供の配役が浮かばなかったんだ、許してくれ」


「くっ、そ……」


 心底女装をしたくないのだろう、これほど項垂れている彼は初めて見たし、彼がオッサンを『リアム』と呼んだのも初めて聞いた。


 少しだけ、羨ましくなった。何に対して羨望を向けたのか、数秒のあいだ思案しなければ気付けなかった。


 彼に、本当の名前で呼んでもらえるのが、羨ましいのだ。僕は『メイ』という愛称も気に入っている。メイナードという、母が僕にくれた宝物なまえを軽率に呼ばれたくない。だけど彼には、呼んで欲しいと思った。


 きっと彼は、僕の大切なものを、同じように大切にしてくれるから。彼の声で奏でられるその響きは、きっと僕の胸郭を幸せで満たしてくれるから。


 けれども、名前を告げるにはまだ勇気が足りない。男性名を明かすということは、偽りを告白するのと同義だ。偽ったつもりはなくとも、少女だと思っていた相手が男だったら、嫌な気持ちになるだろう。


 けど、ずっと隠し続けるのか? ユニスには話せたのに? エドウィンが、そんなことで僕を嫌いになんて、なるはずないのに。


「メイちゃん? 聞いてるかい?」


「えっ、なに?」


 回思するあまり、周りに意識が向いていなかった。僕はオッサンを見つめて、胸の内で決意を固めた。


 エドウィンに、ちゃんと話そう。今は無理でも、いつか。いや、いつかじゃ駄目だ。決めないと。覚悟を決められるように。


 今回の事件が解決したら、僕はエドウィンに、『僕』のことを話すんだ。 


「メイちゃんには別の仕事を任せたいんだ。パーティの日、私の知人に会いに行ってくれないかな? パーティが終わった後に迎えに行くから、その後は私とデートしよう」


 デートという言い方に眉根を寄せつつ、分かった、と返して、僕は席を立つ。空になったティーカップとソーサーを持って、カウンターの内側に進んだ。


 珈琲を注いでいたエドウィンが僕を見る。僕から食器を受け取った彼へ、心音に負けないほどの大きさで、決然と投げかけた。


「ねえ、エドウィン。あのさ、今回の事件が終わったら、話したいことがあるんだけど……時間、空けられないかな」


「酒場の営業時間以外ならいつでも空いてるが……今じゃ駄目なのか?」


「そ、れは、まだ、僕の心の準備が出来ないから」


「わかった。準備が出来たら、いつでも声を掛けてくれ」


 名花が柔らかな花弁を広げるような、優しい微笑み。それに安堵して、けれど不安が纏わりつく。


 メイではなくて、メイナードである僕にも、彼は優しい顔をしてくれるのだろうか。


 そんな不安が湧くのと同時に、彼の声が耳底で響いていた。僕をメイナードと呼んでくれる柔らかな低声が、夢から溢れ出して聞こえてくる。白昼夢が現実になることを祈って、脈打つ正鵠を手の平で宥めていた。

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