エピローグ

黎明

 下ろしていた前髪を、片側だけ編み込んでいく。耳の後ろに髪留めを挿し、ほどけてしまわないよう固く留めた。


 昼間の酒場は秒針の音がさやに響いていた。時間は止まらない。手に沁みている献花の残り香さえ、じきに消えていく。棺に収められたコーデリアの体温も、もう溶けてしまった。魔力だけが絡みつく掌を見つめ、一つだけ息を吐いた。


 平静を形作り、カウンターに頬杖をつく。目の前に置かれたのはグラスだ。赤ワインが揺蕩うそれに触れることなく顔を上げたら、マスターが片目を閉じて笑った。


「サービスだよ。こういう時は酒を浴びるんだ」


「俺が酒を飲まないことくらい知ってるだろ。捨て……るのは勿体ないから、あんたが飲んでおいてくれ、マスター」


「子供舌だなぁ。ウチの店員としてもう少し酒に慣れた方がいいと思うんだがね」


 小馬鹿にしてくる言い様に片眉を吊り上げる。微かな苛立ちを覚えてから苦笑した。普段通りのマスターに、救われている部分があるのも確かだった。赤ワインを飲み下した彼に水を頼む。氷のぶつかる音を聴いていれば隣席に影が落ちた。


 紫苑色のブラウスに、紺のストールを羽織ったメイがいつの間にか着座している。彼女の隣には手枷をしていないユニスが座っていた。喪服から着替えていないのは俺だけで、着替えに行こうかと思ったがメイに袖を引かれた。


「ねえ、エドウィンはこれからどうするの?」


 問いかけを反芻して沈思する。これからというのは、今日の予定を聞いているわけではないだろう。真摯な目遣いに意図を察した。


「魔女狩りの話なら、続けるつもりだ。アテナを殺したところで、各施設に刻まれている魔法陣が消えるわけでも、魔女が造られなくなるわけでもない。殺さなきゃいけない相手は、まだ沢山いる。アテナの死を知った研究員達が、どう動くかも分からないしな」


「それもそっか……」


 水の入ったグラスが二つ、座右に置かれた。手元にある方を持ち上げて一口だけ飲み込む。ユニスを窺ったら、彼女はマスターにデザートを求めていた。日常を流し見て、肩の力を抜いていく。


「メイ。お前はどうするんだ」


「僕も一緒に魔女狩りを続けるよ。続けていれば、シャノンをこの体に戻す方法とか見つかるかもしれないから。《吸収》と《譲渡》についてもっとイメージを固めておかないと」


 そういえば、葬儀の前に検査結果が届いたとメイが言っていた。どうやら血液型の再検査の結果、メイも俺と同様血液型キメラだったらしい。使える魔法の幅が広がったことで、希望をり合わせているみたいだった。


「メイちゃん、酷なことを言うようだが……多分君の妹は」


「多分、でしょ」


 歯切れの悪いマスターの声を、メイが切り捨てる。グラスを傾けて水を眺める彼女。水面に映る自分の姿を眺め入っているように見えた。氷で旋律を奏でていた彼女が俺を振り仰いだ。


「諦めた方が楽だと思うまでは、期待してていいってエドウィンが言ってた。だから僕は、死ぬまで期待し続けてみる」


 メイはグラスに口付けて喉を鳴らすと、上腕に縫い付けられている紐に触れていた。彼女にとってそれが忌々しいものなのか、それとも形見じみたものなのか、俺には分からない。しかし壊れ物に触れるような指先が愁嘆を漂わせていて、気にかけずにいられなかった。


 そう感じたのはマスターも同様らしく、先程の詫びのように温言を付け加えていた。


「まぁ、魂が天に還るのは肉体が朽ちてからとも言われているからね。骨だけにならないと、肉が邪魔で出られないっていう話もあるんだ。メイちゃんの妹の魂がその体の中にあるのなら、まだ天には昇っていないかも」


 寓話じみた話を聞きながらコーデリアのことを思い回す。彼女の魂も、あの肉体の中に残っていたのかもしれない。だとすれば棺の中でまだ、アテナの魂と共に還る時を待っているのだろう。妹が安らかに眠れることを祈って、静かに目を伏せた。


 気持ちを切り替えるべく顔を上げる。「メイ」と彼女に声を掛けると、硝子玉みたいなオッドアイが振り向いた。


「今度、俺の故郷に行ってみるか? あそこなら魔法に関する本がいくつもある。マスターが見逃している記述もあるかもしれないからな」


「えっ、行きたい! いつ⁉」


「私も連れてってくださいね! フルーツサンド持っていきましょ!」


「可愛い子供達だけじゃ危ないから、保護者として私も付いて行こうか」


 清閑が一気に取り去られる。俺達しかいないのに、客席が全席埋まっている時と同じくらい騒がしくなる。勝手に盛り上がっていく彼らの諠鬧けんとうさに眉根を寄せた。


「なんなんだお前ら……ピクニックに行くんじゃないんだぞ」


「ピクニックもいつか行きたい……!」


 飛び跳ねそうなほど欣悦としているメイに頭を抱える。マスターが水と間違えて酒でも入れたのではと勘繰り、メイのグラスを打ち守ってみたが、ただの水でしかなかった。念のため香りも確認しようと身を乗り出した。


 鼻先を掠めたのは柔らかな白髪。メイと真っ向から見つめ合う。気抜けた顔で彼女の言葉を待っていれば、面映ゆいと言わんばかりに彼女が頬を掻いていた。


「あ、のさ、僕達家族になれないかな」


「何言ってるんだ」


「エドウィンがお兄ちゃんだったら、嬉しいなぁって。ユニスも僕にとって妹みたいだし、ここでの生活ってなんだか家族と暮らしてるみたいなんだ。勿論シャノンの代わりはいないけど、代わりじゃなくて、新しい家族……みたいな」


 だんだんと泳いでいく視線。やがて俯いてしまった姿に困り眉を作ってしまう。溜息を吐いて、メイの白髪をそっと撫でてやる。ゆっくりと起き上がった彼女の顔は喜色を湛えていた。鏡みたいに同じ顔をしてしまいそうになる。


 顔を逸らして肘を突き、口元を手で隠した。慣れない空気にどうしたらいいのか分からなかった。


「そっかそっか、それならお父さんは私だね?」


「オッサンは過保護すぎて鬱陶しいから嫌だなぁ……」


「メイちゃんが反抗期だから可愛がりたくなるんだよ」


「別に反抗期じゃない、オッサンがベタベタするから」


 いつも通りの言い合いを始めたメイとマスターに頬が緩む。子供じみたやり取りから目をそばめると、ユニスが柔らかな笑みを咲かせていた。


「私、家族がいたことないので……不思議な感じです。家族って、なんだか暖かいですね」


 浄福が染み渡る安閑へ、身を委ねる。頬に張り付いた横髪を払うと、指先は三つ編みに触れていた。


 固く結ばれ、決して断たれることのない絆。例え遠く離れてしまっても、あざなわれたえにしはほどけない。


「ああ。……大切にしたいな」


 新しく紡いだ情調は、夜を抜けた朝焼けのようにあかく、暖かな熱で染まりつつあった。





────あとがき────


 完結です。お読みいただきありがとうございました。

 ※2024年(追記)二巻目以降を書いたので、続きます※



 楽しんでいただければ幸いです。連載中の感想やレビューなどとても励みになっていました。感想等頂けると作者が喜びます……((小声


以下は設定などに関する裏話?です。

・魔法について

 A型が拡張、B型が収縮、O型が譲渡、AB型が吸収に関する魔法を扱える、という設定は輸血の際の受血と給血の関係がもとになっていたりします。

 例えばO型は全ての血液型に給血できるため譲渡、AB型はABにしか給血出来ないが全ての血液型から受血出来るので吸収、A型とB型は互いにやりとりが出来ない対極の関係のため正反対のものにしようと思い、拡張と収縮になっています。自分がこの世界に入ったらどの系統の魔法が使えて、自分ならどのような使い方をするかな〜など考えてみても楽しいかもしれません。とはいえ作者は自分の血液型を知らないのですが……。


・血液型キメラについて

 ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが念の為。この作品の専門用語ではなく、実在するものです。メイのように虹彩異色等の特徴が見られるのも、エドウィンのように身体的特徴に影響がない場合があるのも、実際の血液型キメラの症例です。


・時代について

 はっきりと書いてはいないのですが、1800年代後半……1900年に入っていないくらいをイメージしています。そのため、血液型検査や輸血といったことはまだまだ行われていない時代です。この作品では本文にある通り、血液型で系統が変わる魔法使いによって血液型検査が行われている、となっていますが……血液型検査について調べた時、この時代だと血液型検査が行われていなかったことにびっくりした思い出です。


 長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださりありがとうございました!



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