洋紅色2

 俺の手元を注視しているメイに気が付く。彼女も事件が気になっているようだった。マスターが事件について語り始める。


「一見ありがちな少女連続殺人事件だが、被害者の上腕に赤い紐が縫い付けられているのが共通点だと記されていてね」


「魔女が殺されてるってこと? 僕達と同じく魔女狩りをしている奴が犯人なのか?」


「いいや、私達と同じなんかではないよ。なにせ魔女の少女達は皆、犯されてから殺されてる。抵抗出来ないようにか、前腕部を切り落とされた上で」


 片耳で彼の話を聞きながら文字を辿る。遺体や現場の状態が細かく綴られており、目を細めた。新聞を半ば投げ捨てるように机上へ放る。


「たまたま魔女に目を付けた快楽殺人鬼の仕業か、頭のイカレた研究者の仕業か、ってとこか」


「そうだね。エドウィンとメイちゃんは犯行現場に行って調査と、囮捜査をしてきてくれ。魔女が狙いなら、メイちゃんのリボンに惹き付けられるはずだ」


「囮……メイはそれでいいか?」


「問題ないよ。犯人の好みに合わせるならワンピースの方が良さそうだし、後で着替える」


 被害者がどう殺されているのか、メイも理解しているはずだ。それでも彼女は朗らかに笑った。憂慮を浮かばせているのは俺だけだ。彼女が本当に襲われるようなことなどあってはならない。拳を固める。俺も支度をしようかと思ったが、まだ洗い物が残っていた。放置されている食器を全て回収していく。


「ユニスは私とお留守番していよう」 


「え……だ、大丈夫です、私も……」


 震え声に思わず顔を上げた。いつもの彼女らしくない、泣き出しそうな音吐。言葉尻は怯えた吐息に呑まれて消えていく。血管が透けて見えそうなほど蒼褪めた顔色に、マスターも心配を宿した目見で労わっていた。


「無理はしなくていいんだよ。危ないからここにいた方がいい」


「あ、危ないって言うならメイさんだってそうです! 私だって戦えます!」


「本当に、大丈夫かい?」


「…………大丈夫だから。準備、してきます」


 ブーツの踵が鳴る。ゆっくりとした足取りが階段の方から響き始めた。遠のいていく彼女の余韻に、閑寂が滲出してくる。人間嫌いで他人との接触を拒む彼女が、今回の事件に怯えた理由。それは判然としていた。


 ユニスと初めて会った時のことを想起する。あの日、滴を零してしまいそうな濡れた虹彩が、不安げに俺を見上げていた。ただ、それを打見しただけだ。一言も交わすことなく背を向けた。彼女に構っていられるほど余裕がなかった、というだけの行為に、彼女は安堵していたかもしれない。今後も俺の方から触れることは避けた方がいいだろう。


 勘案が広がる緘黙を、メイが静かに掻き除けた。


「ユニス、顔色が悪かった。具合でも悪いの?」


「そうだね……色々あるんだよ」


「具合が悪いなら、無理しちゃダメだ」


 椿と葡萄色のオッドアイが長い睫毛に隠される。瞬きをしたメイは「話してくる」と告げるなりユニスの足跡を追いかけた。彼女の赤い瓊玉ひとみは、風を知らない炎みたいだ。さながら、揺らぐことも消えることもない燭光。真っ直ぐな姿を思い返して俯き、嘆息を零した。


「マスター、ユニスは」


「恐らく君が思っている通りだよ。昔は私に近付かれるのもダメでね、ほとんど部屋から出てこなかった」


「そうか……」


「ふふ、懐かしいな。ユニスの部屋の前にご飯を届けに行って、そうしたら今度はエドウィンの部屋にご飯を運ぶ日々だったんだ。寝たきりだった君は知らなかっただろう? ユニスを拾って、その数か月後くらいに君を拾ったからね」


 食器が高く鳴く。水滴が跳ねる指先を茫と見つめた。マスターが話しているのは、動かない手を見つめたまま延々としとねで過ごした頃のことだ。魔法を使うことも出来ず、傷が治れば手も足も動かせると信じていた。そんな自分に微苦笑を浮かべる。


 魔法の知識は、物心付いた時に大人から指教されるものだった。けれど使い方を訓練されるのは成人してからだった為、当時の俺は魔法を扱えなかった。知識を頼りに使えるようになった力を、片手で握りしめる。冷え切っていく手から水を払い、洗い終えた食器を片付け始めた。


 相思草あいおもいぐさの紫煙が漂う。子供らがいなくなったからだろう、マスターは煙草を咥えて一息吐いていた。


「それにしてもメイちゃん、なんだかエドウィンのことが好きみたいだね」


「…………は?」


「ここのところよく君のことを見てるじゃないか。あんなに見つめるなんて、好きか、或いは……なにか話したいことでもあるんじゃないかな?」


 彼女の目色を思い浮かべた。澄んだ硝子玉がこちらの顔を凝視する体様は見慣れたものになっている。されどあの容貌に恋情が塗られていたことなどない。何かを深思している、そんな風に感じた。


「……好意ではないと思う」


「なら、話があるんだろう。けどいつも私やユニスがいて話せないのかもしれないな。二人きりにしてあげようか?」


「いや、いい。機会があったら俺から聞いてみる」


 ティーカップを棚に片付け、ふと、立ち並ぶ酒瓶を眺めた。ウイスキー、コニャック、アブサン。廃病院にもあった酒。意識が脳室に沈む。海馬を覗き込む。


 駆け付けた俺を見上げたメイ。呟きは苦し気な息に染まっていて聞き取れなかった。


 けれど、あの時の彼女は。俺を見つめている時と、同じ眼をしていたような気がした。


     *(二)


 ユニスを追いかけてきた僕は、木製の扉の前で数刻佇んだ。支度をしているにしては物音が聞こえず、閑静が蔓延っていた。持ち上げた手を二度打ち付けて、冷たいドアノブに手を掛ける。


「ユニス、入るよ」


 金具の廻る音が、やけに大きく感じる。床板を軋ませて室内に進むと、ユニスが僕を仰いだ。鳶色の絨毯に散らばる生成りの柳髪。カーテンの隙間から差し込む朝陽で、柔らかな金糸は輝いて見えた。


 座り込んだままの彼女の隣でしゃがみ込む。暗然としている色差しに心配が溢れて、手を伸ばしそうになった。触れ合う感覚が怖い、と彼女が語っていたことを思い出し、腕を垂下させた。


「メイさん……」


「大丈夫? やっぱり、顔色が悪い。今回の事件は僕達に任せて、休んでいた方がいいよ」


「いや、です」


 硬い声柄には、緊張と恐れが絡みついていた。痩せた肩が揺れている。俯伏していく彼女の顔が窺えなくなる。震える姿を放っておくことが出来ず、軽く彼女の袖を引っ張った。手枷をしていない指先が小さく跳ねていた。


「でも、震えてるじゃないか。前の事件で僕を助けに来てくれた時も、手、震えてた」


「え、あ……」


「怖いとか、嫌だって気持ちを無視しちゃダメだ。怖くても戦おうとしてるユニスはカッコイイよ。でも、無理したら壊れちゃうだろ」


 細い指がスカートを握りしめている。彼女の袖からそっと手を離し、翳る横顔を覗き込んだ。妹を励ます時、自分が何をしていたか思いなだらむ。柔弱なユニスを撫でてやりたい。抱きしめて温めてやりたい。けれどもそれは、彼女にとって慰めになどならない。


 僕は立ち上がって、黙り込んだ彼女に影を落とす。白藍のカーテンを開いた。燦然とした光に目を細める。眩しいけれども不快感は伴われない。人肌に似た温度が注がれているようで、心地良い気がした。


 白光に背を向けたらユニスと視点が重なる。丸い瞳が陽光で艶めいていた。膝を折り、指先を絨毯に沈めた。沈痛を湛える彼女に真っ直ぐ微笑みかける。そうして囁き位の弱さで問いかけた。


「ねえ、何が怖い? 教えて」


「そ、れは」


「僕は君を守りたい。だけど何に怯えているのか教えてくれないと、守り方も分からない」


 真情が唇から溢れる。言葉にして初めて自覚した。他人を守りたいなんて思ったことがなかった。なのに何故ユニスを守りたいと思うのだろう。ユニスだけじゃない、エドウィンにも傷付いてほしくない。まるで二人を信じてしまっているみたいだった。


 思えば、ユニスが僕にくれる言葉はいつだって優しかった。八つ当たりじみた怒号を向けてしまっても、彼女は僕に笑いかけてくれる。慰めるように撫でてくれたエドウィンを思い出す。僕の傷をすぐに手当てして、抱きしめてくれた優しい体温も追想できる。彼らは一度も僕を突き放さなかった。


 母を失ってから妹を守る事だけ考え続けていた。愛情は注ぐだけ。優しさは与えるもの。だけど、僕も誰かに、与えられたかったのかもしれない。


 ユニスの柔和な声を反想する。彼女の温情に報いたいと、今は思えた。


「君は僕に、頼れって言った。信用しろとも言った。なら、ユニスだって僕を頼っていい。むしろそうしてくれないと、僕だって君を頼れないよ。同じものを渡し合えないのなら信用出来ない。だからお願いだ、教えて欲しい」


 吐き出す声遣いは懇願じみている。だんだんと、救いたいのか救われたいのか曖昧になってきて自嘲した。ひとえに信じさせてほしかった。


 ユニスの袖先で、フリルが流れ落ちて撓んでいく。細腕は僕に伸びていた。白い手が日輪を受けて光る。彼女は僕の袖を摘まんだ。手繰り寄せるように固められていく拳は、未だ凍えているようだった。


「メイさん。私、ね。マスターに拾われるまで……教会で暮らしていたんです。孤児だったから」


 朗々とした語り口は無理に明るく振舞っているみたいだった。壊れた鍵盤を必死に叩くような吐露に、相槌を返すことしか出来ず静観する。


 窓硝子の向こうで鳥が鳴いている。その鳴き声に敵わないほどの、小さな掠れ声が、僕達の影の中へ落とされた。


「その教会で、私……司教様に犯されて過ごしました。毎晩、ずっと」


「え……」


 床だけを眺め入る彼女は、蒼黒い日陰に閉じこもっていく。僕の袖に刻まれる皺が深くなる。その手を包み込んでやりたいのに、彼女を怯えさせたくなくて堪える他なかった。


「毎日呼び出されるんです。行かないと連れ出しに来る。痛いし気持ち悪いし怖くて、助けて欲しいのに誰も助けてくれない。他の子供達は、私のこと『司教様のお気に入りだ』って軽蔑してました。一人だけ特別扱いされててむかつくって。子供達にはいじめられて、大人には玩具にされて。最悪な日々だった」


「ユニス……」


「だから、男は体が汚いから嫌い。女は心が汚いから嫌い。肌と肌の接触なんて気持ち悪い。握手すらしたくない。今も、そんな気持ちで過ごしてます」


 勝手な思い込みで蔑視され、誰にも救ってもらえなかった気持ちは痛いほど分かる。僕は妹がいたからまだよかった。たった一人で耐え続けたユニスはどれほど苦しかっただろう。


 ユニスの肩を掴もうとして、軽く布地だけに触れた。


「それなら、尚更今回はここで待っていた方がいい。君にとって嫌なことをしている奴らに、会いに行く必要なんてない」


「……でも、それじゃダメなんです。そういうことからずっと逃げているのも嫌なんです。いい機会ですから――克服してやりますよ」


 項垂れていた頭が、前髪を乱雑に払うように持ち上がる。自ら日溜まりを出ていこうとする様相は心許こころもとなかった。しかし、彼女の行動を縛って安全な所に閉じ込めたい、なんていうのは自分勝手な利己心だ。クローゼットに向かって歩き始めた彼女を、もう引き止めようとは思えなかった。


「無理はしないで」


「大丈夫です。手枷に収められるだけ拳銃を収めておきますね」

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