第50話 出会いー1

「おぉ、灰君! うまくいったと聞いたぞ! 本当によかった! 今度凪ちゃんに合わせてくれ!」


 会長が何かを言っているのはわかった。

しかし今はそれどころではなく、耳に入らない。

心臓の鼓動が聞こえてくる、俺はその吸い込まれそうな眼から視線を離せない。


「あ、あの!」


 俺は突然のことで言葉が出なかった。

だってその女性は俺の憧れ、そして初恋の人だから。


 中学生のころ、俺が通っていた中学の近くでキューブがダンジョン崩壊を起こした。

俺は本当ならそこで死ぬはずだった、鬼に潰された死ぬはずだった。


 でもまだ当時女子高生だった彼女に助けられた。


 今や名実ともに世界最強の攻略者と呼ばれる彼女。


 銀色の艶めく髪の綺麗さは彩にだって負けていない。

それでいてモデルのような日本人離れしたスタイルは自然と胸元に目がいってしまう。

なのにこれほど細いのはどういったファンタジーなのか、これも魔力がなせる業か。


 だが誰も彼女の笑顔を見たことがなく、今俺が見つめるその表情も氷のように冷たい。

しかし意地悪な雰囲気などどこにもなく、ただ感情が動かないだけ。

その蒼くサファイアのような瞳は見ているだけで吸い込まれそうな感覚になる。


 綺麗だった。


 それでいて世界最強の女と呼ばれる彼女。


 世界中に多くのファンがいて、男性女性問わずに人気がある。

世界で一番美しい顔ランキング攻略者部門では不動の5年連続一位。


 世界中で人気であり、俺は彼女の大ファンだった。

一時期はスマホのロック画面の待ち受けにしていたぐらい。

何度お世話になったことか、いや、何がとは言わないが。


 だから。


「お、俺! ファンです! あ、握手してください!」


 俺は顔を赤くしながら握手を求めた。


「……握手? はい」


 透き通るような声で、銀野さんは俺が差しだした手を特に何も躊躇せず握った。

抑揚が無くて落ち着く声。


「一生手を洗いません」


「それは汚いから……洗った方がいいと思う」


「すみません、やっぱり洗います!」


 すべすべだった。

白い手は少し冷たくてすべすべだった、いい匂いがしたと思う。

これは俺の感覚だが、俺の手からいい匂いがする。


 この右手だけで俺は当分いける気がする。


 何がとは言わないが。


「って、なんでここに銀野さんが!?」


「儂が迎えにいっておったんじゃ。レイナ君は協会職員じゃからな! ギルドには入っておらん、無所属だからのぉ」


「そ、それは知ってますけど! え? うそ!? ほんとに?」


 わかりやすくテンションが上がっている俺。

すると銀野さんが奥に詰めてくれた。


「はい、どうぞ」


「いえ、灰さんはここま──「乗ります! 会長送ってください!! 会長の家まででいいんで!」


「いや、それ灰君の家から逆方向じゃが……」


「大丈夫です!」


「えぇ……」


 俺はそのまま銀野さんの隣に座った。

元々彩を会長に渡したら俺は歩いて帰る予定だったが、こうなってくると話が違う。

こんなチャンス滅多にない。

銀野さんに俺は言いたいことがあるんだ。


「むー!!」


 彩がすごいむくれて俺の隣に座る。

銀野さん、俺、彩の三人が後ろの席に座り、前には会長一人。

そして運転手が車を出発させた。


「そのまえに、初めまして。天地灰です。実は初めましてではないんですけど!」


「ごめんなさい、覚えてない。……私は銀野レイナ」


「いやいや、覚えてるわけないですよ! あの時の俺は石ころ同然、銀野さんとは住む世界が違いましたから!」


 一方的に話し続ける俺。

こういうところはコミュニケーション能力が低いのか高いのか、ただひたすらに銀野さんに興味を持ってもらおうと話し続けた。

銀野さんは、真っすぐ外を見ながらも俺とちゃんと会話してくれた。


「灰さん? あの、私……」


「いやー、銀野さんほんとにこんなところで会えるなんて感激です!」


「灰さん? ねぇ……今後のことですけど……」


「フィリピンのA級キューブ崩壊の対応をしていたと聞いてますけど、お疲れ様です! どうでした? A級キューブは! 銀野さんなら余裕っすよね!」


「おーい、灰さーん」


「いやーほんと、自分銀野さんの写真集もって――」


「……ふん!」


「――ごほっ!? あ、彩!? ど、どうしたの?」


「もういいです! ふん! 鼻の下そんなに伸ばして! 勝手にしたらいいんです!」


 突如脇腹を肘鉄食らう俺、なんでだ? 何が起きた?

俺があまりにテンション高くてうざかったか?

俺は脇腹を押さえながら身もだえする、彩の奴S級並の力だからいてぇ……。


 そこから車内はしばらくの静寂が続いた。


「……き、気まずいのぉ。レイナを連れてきたのはミスじゃったか……」


……


「じゃあ、俺はここで!」


「本当に家までついてきおった……灰君には不要じゃろうが、夜道は気を付けてのぉ」


「はい! じゃあ銀野さん。また! ……あ、彩もね?」


「どうせ、私はついでです! ふん!」


 彩の機嫌を損ねたままなので今度謝りにこよう。

何をしたか特に心あたりはないのだが、こういうときは謝るのが正解だろう。


 そして俺はそのまま自宅に帰ることにする。


◇龍園寺邸


「レイナ、あ、あなた灰さんのことど、どう思ってるの?」


 彩とレイナは親友と呼べる、旧知の仲だった。

彩にとって数少ない心から許せる友であった。


 レイナはこの龍園寺家に住んでいる。


 色々と事情はあるのだが、なので幼き頃から彩とは姉妹のように育った関係でもある。

そして景虎のことを実の祖父のようにも慕っている。


「灰さんのこと? ……たくさんしゃべるなって……」


「あ、あなたには負けないわよ!」


「……彩は私よりも弱いと思う」


「そ、そういうことじゃないの!」


「まぁ落ち着こう、二人とも。とりあえず今後の話を……レイナ。灰君はもしかしたら次の作戦一緒に参加するかもしれんからな。仲良くしておいてくれ」


「わかった。仲良くする」


「あ、あんまり仲良くはだめよ! 灰さん目がハートだったし……選りにもよってレイナのファンだったなんて……もう……」


「……彩はあの人のこと好きなの?」


「す、す!?……わかんない。でもいい人だと思ってる」


「そう……じゃあ寝るわ。……おじいちゃん。私の部屋はそのまま?」


「うむ、そのままじゃ。掃除はしておったから問題ないと思うぞ」


「ありがとう。おやすみ、二人とも……はわわ……」


 大きなあくびをしながらレイナは自室へと戻っていく。

彩は何とも言えない感情でイライラしている自分が嫌になりながらもこの感情の名前を思い出すといやになる。


「はぁ……灰さんにも嫌な女って思われたかな……あぁ! もう嫌! 私もお風呂に入って寝る!」


 そのまま機嫌が悪いのか、どしどしと音を立てて彩はお風呂に向かった。


「灰君……彩を選んでくれんかのぉ……レイナはちょっと我が家が崩壊しそうじゃ……」


 景虎の心労がまた一つ増えることになった。


◇お風呂


「好き……なのかな……」


 彩は一人お風呂の中でつぶやいていた。

灰のことを好きなのかと自問自答を繰り返す。


 恋愛なんて馬鹿がすることよ、と同年代の女の子達がわいわいしているのを白い目で見ていた。

男は全員バカに見えたし、下心しか見えなかった。

不潔だし正直自分が恋愛なんてするなんて思わなかった。


 いつからだろう。


 あの人のことが頭から離れなくなったのは。


 いつからだろう。


 ただ目で追ってしまうようになったのは。


 ただ一つだけわかることは、あの時だ。


 フーという暗殺者から守ってもらったときだ。

命がけで守ってくれたのは本当にかっこよかった。

血だらけでも戦う姿には正直乙女心が揺れまくってしまった。


 でも本当はそれじゃない。


 一番は、あの言葉だ。


「何も見えてないお前がその子の可能性を語るな。外側しか見えていないお前が。その子の可能性を否定するな。彼女は強い。自分を信じて諦めない本当に強い心を持っている。お前にはわからないだろ。18年も無能と呼ばれ続けた人の気持ちが。それでも諦めない心の強さが!!」


 あの言葉を心の中で反芻する彩。

それだけで顔が真っ赤になるし、あの時の灰の顔を想像するだけで恋心が顔を出す。


 誰かに言ってほしかった言葉、ずっと頑張っていたのに否定され続けた人生。

それを肯定してくれる言葉だった。

それはきっと灰の人生が自分に少し似ているから。


 といっても自分は灰に比べたらとても恵まれていたのだが。


「かっこよかったな……灰さん……。それに……」


 それから意識すると早かった。

灰のことを思いながらアーティファクトを作る日々は彩の気持ちを増幅させるに十分だった。


 極めつきは。


「指……ごつごつしてた……男の人の手……」


 灰の指を舐めたときだった。

顔が沸騰しそうなほど恥ずかしかった。

なのに、あの人は私を見下ろすように上から見つめて……いきなり舌をなでられた。


 そのとき体に電流が走ったような、よくわからない感覚になった。


 あの手を想像すると、少し変な気分になる。


「私って実はMなのかな……」


 そんな妄想にふける18歳の初恋を知ったばかりの少女。

お風呂に浸かって今日は長風呂、顔が真っ赤なのは熱いお湯のせいなのか。


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