第32話 お嬢様の護衛ー4

「ふぅ……私としたことが少し興奮してしまいましたね」


 フーは、灰を全力で突き飛ばし、何もない天井を見ながら手で顔を隠し心を落ち着かせる。

そしてゆっくりと龍園寺彩へ向かって歩きだした。

その手に持った黒い剣を嬉しそうに弄びながら、早く切りたいと言わんばかりに。


「い、いや……」


 気高い少女は、その狂気をはらんだ笑顔に尻餅をついて怯えていた。

真っすぐ当てられた本気の狂気と殺意。

それは高い魔力を持っても一般人の彩では耐えることができないほどに、人の心を壊す。


 その様子を見てフーは楽しむように傍に転がっていた益田の首を蹴って少女にぶつける。

人の頭だったものはまるでボールのように飛んでいき、彩の顔に直撃した。


「痛っ!?」


 唇を切って口から血が出て、頬を殴られたような痣ができる。

その痛みと目の前に転がる首を見て、彩は実感してしまった。


 今死というものが目の前まで来ていることに。


「いいですね、その表情。神の傀儡達の恐怖の顔は最高です。できればあなたのおじい様にもお見せしたかった。一体どんな顔をするのでしょうね。あの忌々しい死にぞこないの老兵は」


 彩の引きつる顔を見て、光悦の表情を浮かべるフー。


「な、なんで……私を殺すの」


「我らの主張を世界に届けるため。誰でもいいのです、有名であればあるほどにいい、あなたのような可憐な少女を残虐な方法で殺すことで世界は我らの存在をしっかりと胸に刻み込む。だからクビだけにして世界中に晒してあげますね。世界から笑いものにされるといいでしょう」


 満面の笑みでフーは彩に笑いかける。

その表情は狂気をそのもの、およそ人が嬉しい時できる笑顔ではなかった。

妄信者、狂信者とでもいうべきその顔は彩の恐怖を呼び起こすには十分だった。


「ク、クビ……い、いや……」


「クビを切られるのは嫌ですか? うーんでは、こうしましょう。四肢を切断して我が教団で飼ってあげましょう。その映像を世界に公開するのもなかなか素晴らしいとは思いませんか? そうだ、それがいい。殺すより楽しそうだ」


 悪魔のような提案をするフー。

彩は想像するだけで身震いするような提案に、吐き気すら催した。


 それは死よりも恐ろしいと思った。


「それにあなたはなかなか容姿に恵まれているようだ。我が教団は男性が多いですから皆喜ぶことでしょう。……ふふ。では時間もありませんので」


 そういって剣を掲げて、彩に近づくフー。

彩はすでに恐怖で動けなくなっていた。

気高かった姿は消え失せて、そこにはただ恐怖に震える少女しかいなかった。


「いや、いや!」


 手足をじたばたとする彩、目には涙を浮かべている。


 恐怖という感情が彩の脳を支配して、もはや何も考えられない。


 過保護に育てられおよそ恐怖というものにはあまり耐性がなかった彩。

しかし初めて実感する恐怖は、呼吸もできなくなるほどに苦しかった。


「では……」


 そして振り上げられる剣が、真っすぐ彩へと落とされようとしたとき。


「まずはその長い脚か──がぁぁ!?」


「え?」


 涙目でただフーを見ていた少女、直後フーが回転しながら横に飛んでいくのが見えた。


「……くそ。決められなかった」


 何もない空間から現れたのは、護衛の一人。

まるで透明にでもなっていたかのように突如目の前に現れた。

その振り切った先の剣には、紅い血がべっとりついている。


「なにが……」


 そこに現れたのは、天地灰。

ミラージュを使用して機をうかがっていた。

ここぞというタイミングを狙って首を剣で狙ったのに、ギリギリでガードされて回転するように飛びのくことでダメージを減らされた。


 灰は、彩の前にしゃがみ込み告げる。


「落ち着いて聞いてください。龍園寺彩さん。あなたには特別な力がある。魔力を帯びた装備を作る力。アーティファクトを作る力です」


「な、なにを!?」


 灰は彩の首からかけられている紅いネックレスを外す。

大きな宝石のような紅いルビーのようなものを彩に握らせた。


「あなたの力が必要です。自分を信じて! 方法は……わかりません、でもきっとできる。あなたなら! この魔石が媒体です」


「む、無理です! 私にはそんな力は!」


「できる! 自分を信じて!! でなければ……」


 灰は横から振り切られた剣を、弾く。


「俺達はここで死にます!」


 闇のような真っ黒な魔力を纏ったフーの一撃をはじき返す・


 フーと灰の文字通り命を懸けた戦闘が始まった。


「はは、奇遇ですね。あなたも私に似たような力を持っているのですか? 危うく首が切られるところでしたよ!」


「くっ!」


 頬に赤い血を滴らせてフーは灰と切り結ぶ。

だが、押しているのはフー。

それもそのはず、魔力の差は絶対の差、灰ではフーには正面からでは勝てない。


「しかし、私よりも弱いようですね。ご存じの通り魔力の差があればあるほど、スキルの効果は弱まっていく! 多少見えずらい程度では、不意打ちでなければ私の命までは届きませんよ!!」


「ぐっ!!」


 灰とフーと切り結ぶ。

魔力の差は確かにある。


 灰はミラージュを使用する。

フーはダークネスを使用する。


 神の眼でフーのダークネスはほぼ無効化できる。

灰のミラージュは、魔力の差でほぼ無効化され、多少認識を阻害する程度。


 その差がが魔力という絶対的な差をギリギリのところで踏ん張らせる。


 突如フーが剣を降ろし、少し距離を取って俺に質問をした。


「だからこそ、不思議です。なぜあなたは闇の中で私を認識できている? 私の力は格上相手にはほぼ効果がありませんが、格下相手には絶対的な力を持っています、ゆえに解せない」


 フーは疑問に思う、間違いなく自分のほうが魔力は多い。

それは戦いの中で確信している。

それなのに、この相手は自分の位置をしっかり認識し戦っている。


 その理由が分からない。


「それは秘密だ……種明かしはお前を倒したらしてやる」


「そうですか……ですがあなたの力は徐々に弱まってきていますよ。認識阻害スキルも効果がなくなってきているようですし」


「それぐらい知ってるさ、それまでに倒してやる」


「ふふ……いいでしょう。簡単な任務だと思ったのに、ここまで苦戦するとは思いませんでした。あなたはただの暗殺対象ではなく敵のようだ」


 そうやってフーは剣を地面に突き刺した。

そして綺麗な仕草でお辞儀する。

まるで自己紹介をするかのように、丁寧に。


「先ほどはすぐに終わると紹介が雑になってしまい申し訳ありません。私はフーウェン。滅神教の司教を拝命しております。主に我が教団にとって不利益なものを世界中で殺してまわることが私の仕事です。それで? あなたのお名前は?」


「それはご丁寧に、ひどい自己紹介をありがとう。俺は天地灰、この国の攻略者だ」


 灰は剣を向けて名を宣言する。

丁寧に自己紹介されたためか反射的に名を返してしまったが、どうせ死ぬか殺すかでしかないのだから問題ない。


「天地灰……どこかで聞いた気がしますね……どこかで……」


 するとフーが考え込むように手を顎につけて目を閉じる。

灰は彩のアーティファクト製造の成功を待つしかないので、会話は願ってもいなかった。


 アーティファクトというものがどんな効果を持っているかは分からない。


 それでも今この状況ではその一点に賭けるしかないのだから。


 刻一刻と敗北のカウントダウンは過ぎていく。


「そうです!! 思い出しました!! あの方がおっしゃっていたこの国に落ちた黄金のキューブ参加者のおひとりですね? 死んだはずが、確かあとから死亡は書類の不備だったとのことでしたが……もしかしてあなた」


「!? 知っているのか? あのキューブを。何を知っている!」


「……あなた確かアンランクでしたよね? なぜ? ますますわからない……もしかして」


 先ほどまでの軽い雰囲気を消し飛ばし、フーウェンが今までにないほどの殺意を込めて俺を睨む。


「あなたが選ばれたのですか? 神に」


「何の話をしている、俺には何のことか分からない」


「……ふふふ、ははは!! そうですか、そうですか!! これはなんということだ! まさかあなただったんですか。田中一誠ではなく!! ならば!!」


 直後フーは灰に全力で切りかかる。


「あなたを殺して連れて帰らなければ!!」


 ダークネスすら使用せず、ただの力のごり押し。

しかしそれが一番灰にとって効果がある、魔力の差は生めることができない絶対の差。


「くっ! ミラージュ!」


 灰もミラージュを使用して少しでも有利に進めようとした。


 しかし。


「もうほとんど効果ないですよ!! 神の騎士!!」


 簡単にフーによって看破される。

かろうじて剣を切り結べているのは、命のやり取りを繰り返してきた経験。

不利な戦闘を覆してきた経験値、しかしそれでも徐々に敗北が近づく。


 絶対的な魔力の差を埋めるには、まだ灰の経験値は未熟だった。


 一方で、頼みの綱は。


「アーティファクト? なにをいってるの? 私にどんな力があるっていうの!?」


 彩は必死にその手に紅い宝石を握っていた。

紅龍というA級上位の龍種と呼ばれる魔物から取り出された赤く美しい魔石。

昔彩に祖父である日本ダンジョン協会の会長がプレゼントしたものだ。


「私にそんな力なんか、私は特別な力なんか」


 気高く生きる彩という人格は努力によって作られた。

生まれと境遇とその魔力から期待されて育てられた彼女。


 しかし、彼女に力はなかった。

魔力は大きいはず、なのに何もできない、何も為せない。

それゆえに、無能のS級と蔑まれることもあったが血のにじむ努力で黙らせてきた。

 

 誰よりも勉強し、誰よりも学んだ。

それでも魔力というものはよくわからず自分にある魔力は膨大だとわかっても使い方もわからなかった。


 ダンジョンに潜ればこの暗い世界も変わるかもしれない。

そんな淡い期待をもって18歳になった今、ダンジョンへと無理言って潜らせてもらった。


 彩の人生はこれからだった。


 それがこんなところで終わりを迎えようとしている。

最後はよくわからない言葉で、自分に特別な力があるから頑張れと。


 信じれるわけがなかった。


 ずっと信じたくても否定され続けてきた言葉なのだから。

18年という短くも、彩にとっては人生だった長い年月。


 自分は特別ではない、特別でない自分はこの世界に価値はない。

そう思わされ続けた月日は彼女をまるで一見気高い少女のように、他人と壁を作ることを覚えさせた。


 それが彩の根幹にあるものだった。


「だめ、できない……私なんかじゃ……」


 頑張ろうとすればするほど無力さを感じ、涙がこぼれる。

もう無理だ、諦めようとその握っていた手を開こうとしたときだった。


 灰が隣の壁に吹き飛んできた。

頭からは血を流し、それでもその目は今だ諦めることを知らない真っすぐで金色に輝く眼。


 ぼろぼろになりながらも、その目は決して光を失うことはない。


「ふふ、先ほどから何を必死にやっているかわかりませんがね、その女には何もできませんよ?」


 フーが笑いながら彩を蔑む。

その目はいやらしく下卑た目で彩を見下す。


「家柄にしか価値がない女です。そんな無価値な女を助ける必要がありますか? あなただけなら逃げ切れる可能性もわずかには残っているのに」


「……」


 彩は涙を落として下を向いた。

何度も言われたことだ、この容姿だけはいつも褒められる。


 この容姿だけは、外側だけはいつだってみんなにうわべだけの言葉で褒められる。


 それがたまらなく悔しかった。


 しかし。


「それは違う」


 少年は見えている。


「何も見えてないお前がその子の可能性を語るな。外側しか見えていないお前が。その子の可能性を否定するな。彼女は強い。自分を信じて諦めない本当に強い心を持っている。お前にはわからないだろ。ずっと無能と呼ばれ続けた人の気持ちが。それでも諦めない心の強さが!!」


 灰は田中から聞いていた。

彩が無能のS級と中傷交じりで呼ばれ続けてきたことを。

そしてそれでも抗おうとずっと努力に努力を重ねてきたこと。


 その辛さも、その悔しさも、そのすごさも。


 全部灰にはわかっている。


「……まだ立つのですか……よくわかりませんね。それに見えていない? 状況が見えていないのはあなたでは?」


 灰はボロボロでも立ち上がる。

諦めの悪さだけには自信があるその雑草魂で何度でも立ち上がる。


「いいや、俺は見えてるよ。全部な」


 そして灰はフーに向かって指をさす。


「お前は負ける」


「ふふふ、ははは! この状況で何を言っているのですか? はぁ……もう疲れましたね。終わりにしましょう。あなたの言葉が間違いだったと、これで証明してあげます!!」


 直後フーが、全力で走り灰ではなく彩の前に立つ。

剣を振り下ろし、そのまま彩の首に向けて振り下ろした。

有無を言わさぬ死の刃、その凶刃が彩を襲う。


 彩は思わず目を閉じた。


 直後彩の顔を濡らしたのは、鮮血の血。

その赤く鉄の味のする血が彩の唇を染める。


「……え?」


 しかしその血は自分のものではなかった、目を開けて上を見る。


 それは背中だった。


 剣を掲げて、何とか受け止める。

しかし、受け止めきれずに刃が左手に食い込んで血が噴き出す。


「天地さん……どうして……」


「目を逸らすな、龍園寺さん。信じ続けろ、自分を。自分の力を、俺達は!! 諦めないことだけが取り柄だろ!!」


 その言葉はかつての自分に言った言葉。

自分なんてと蔑んできた灰、その世界を変えたのは結局のところ自分の気持ちの持ちようだった。


 それを伝える灰は、痛みを我慢して振り返りにっこり笑う。


 そしてそのまま痛みを我慢し、反撃をするがフーに距離を取られる。

左腕を深く損傷した灰は、もはや両手で剣を握れず、膝をつく。


 それを見た彩は。


コクッ。


 ただゆっくりと頷いた。

もう一度今度は心から目をそらさずに、真っすぐに思いを乗せて掌の中の宝石に向かって願いを託す。


 何ができるか分からない。

それでもここまで必死に守ってくれる人に、自分をここまで信じてくれる人に。


 全力で答えたい。


 唇をかみしめて、祈るように力を込める。

今度は絶対に疑わない、今度は絶対にあきらめない。

死が全てを終わらせるまでは負けじゃないのだから。


 その時口から彩の滲んだ血が一滴垂れた。

その鮮血の血が手の中に握りしめられた宝石に伝っていく、


 そして血の一滴が同じぐらい紅い魔石に触れた瞬間だった。


 突如魔石がまるで太陽のように眩しく光り輝いた。


「え? な、なにこれ……」


 灰はそれを見て笑い、フーは何が起きたと驚きながらも眩しさで手で顔を隠す。


「……信じてた、少し借りる」


 灰は彩のその手に握る紅い宝石を受け取った。

その宝石を強く握りしめ、立ち上がる。


「……一体何が起きたか知りませんが、悪あがきですか? 今更目くらましなど」


「いいや、違う。これが彼女の本当の力だよ」


「何を馬鹿な、その女は無能! それは変えようのない事実!」


「いや。お前は何も見えていないだけだよ……彼女のことを。そして……──」


「……見えてない? なにをいってい──!?」


 目を見開くフー。

焦ったようにあたりを見渡す。

なぜなら先ほどまで見えていたはずの灰の姿が消えたから。


「……どこに」


 突如視界から消えた灰。

それは光を歪ませ幻影を見せる灰のスキル。

ただし格上には効果がないはずの力。


 そのスキルがフーウェンの視界を歪ませた、まるで。


「──俺を」


 蜃気楼のように。


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