第4話 神の試練ー1

「ここは?」


 視界が暗転し、次に目を開いた俺は周りを石のタイルに囲まれた五十メートル四方の正方形のような空間にいた。

まるで巨大なキューブの中だ。

青白い炎が燃える松明が周りに設置されているようで、薄暗くはあるのだが十分部屋の中は明るかった。


 あたりを見渡すと、参加している攻略者は全員いるようだ。


 しかし現実に帰るためのキューブがない、一方通行なのだろうか。


「帰還用のキューブはないか……よし、では人数の確認から行うぞ! 呼ばれたものは返事をするように!!」


 田中さんが参加者名簿から次々と名前を呼んでいく。

俺も返事をし、全員の名前が呼び終わる、横で米軍人も点呼を取っていた。


「ふむ、全員いるようだな。まずは各自待機! 帰還するためのキューブが存在しないが、焦らないように!」


 待機命令を出され、田中さん含む数名がこの部屋について調査を開始した。

四方を石で囲まれた巨大な箱。

そして俺の正面には、石の壁に描かれた三つの巨大な絵があった。


 その三つの絵は順に並んでおり、左から順番にみていくと。


「これは、戦ってる? 鬼と……人かな? 騎士?」 


 一枚目には、人と魔物のような異形が戦っている絵が描かれていた。

人は剣をもっており、鎧もかぶっていることから騎士のような見た目をしていた。

その騎士が、何かよくわからないが多分鬼っぽい何かと戦っている。


「次は……騎士と天使? じゃあやっぱり一枚目も騎士か……」


 二枚目には騎士と天使だろうか。

人が両手を組んで天使のような何かに跪く。


 どこかで見たことあると思ったが、あれだ、騎士叙任式だ。

俺が見たのはアニメだが、確か騎士が自分の主君に忠誠を誓うときのようなポーズ。


「んで最後……ってボロボロでなんもわかんないな……」


 最後の絵だけは、ボロボロに欠けていて絵ということだけはわかるが何が書かれているか分からない。


 それでも、一つだけなんとなくだがわかる部分があった。

そのボロボロの絵の頂点に三角形のマークがある。

それはまるでピラミッドのような三角形で、その中心に目のマーク。


 この絵は見たことある。

確か全能の目とかそういう呼び名だったっけ? 

なんとなくネットで見たことがあるな。


 俺が壁画を見つめて考えに耽っていると田中さんが俺の隣に来て、絵を見上げた。

その三角形の中心の眼のマークを見てつぶやく。


「あれは……アイ・オブ・プロビデンス……神の全能の目か。一体ここは……」


 そして、ゆっくりと絵へと触れた。


 その時だった。


『力の試練を開始します。参加人数60名……開始まで10,9,……』


「なぁ!?」


 直後脳内に響くような無機質な音声。

俺達は目を見合わせる、つまり気のせいではなく全員の頭に聞こえていた。


「全員! 戦闘態勢!! 何が起きるかわからんぞ!」


 田中さんは瞬時に抜刀し、仲間達と背中合わせに構える。

俺も何が起きているかわからないが、ロングソードを抜刀し構えた。


『6,5……』


「な、なんだってんだ!! 何が起きるんだよ!」


 佐藤が仲間達と慌てふためき焦りを見せる。


『4,3……』


「一誠、これは一体……」


 田中さんの隣の女性も抜刀し、鋭い視線で扉を見つめる。


『2、1……』


「わからん。力の試練……とりあえず。死ぬなよ、みどり」


『0──』


「お、俺は! 死ぬ覚悟はできてる! 凪のために!」


『──時間となりました。力の試練を開始します』


 そして俺の視界は暗転した。



「……ここは?」


 気づくと俺はたった一人、最初と同じような部屋にいて剣を握っていた。

他の攻略者が消えていたが、多分俺だけが別の部屋に来たんだろう。

50メートル四方の正方形、ただし最初の部屋と違うのはあの巨大な扉がないということ。


 そして、もう一つ違うのは。


「……力の試練……戦えってことか……」


 俺の前、十メートルほど先にはホブゴブリンが立っていた。

木のこん棒を手にもって、緑色の醜悪な鬼。

長い耳と長い鼻、しかし通常のゴブリンよりも明らかに体格が良くて俺と同じぐらいの大きさだった。


「ギャアアァァ!!!」


 ホブゴブリンは、初心者攻略者の登竜門だ。

多くのE級ダンジョンのボスとして登場する。

なので、一般的にはそれほど難しい敵ではない。


 ただしE級のさらに下、アンランクの俺の場合は話は別だ。


 この魔力を帯びた剣があれば戦いにはなると思うが……。


「ふぅ……こいつを倒すのが試練か。最弱のボス……それでも俺には高い壁だ」


 ホブゴブリンはいつも佐藤達が虐殺している。

ただしそれは、彼らがD級や3だからできることだ。

俺は初対戦、というか魔物とのタイマンすら初めてだった。


 俺ではあのこん棒の一撃すら致命傷。


「ぐっ!」


 ホブゴブリンが俺を殺そうと走り出し、こん棒を上段から振り下ろす。

俺は、横に飛びのいてその一撃を避けた。


 冷や汗が流れる、しかし避けることには成功した。


 俺はこの鬼に速さでは勝っているようだ、しかし力では負けているだろう。

そのこん棒で叩いた床を見る、固そうな石のタイルの床が割れていた。

俺では、あのこん棒で叩き割るなどできない。


「よけながら少しずつ削る……丁寧に、組み立てろ」


 俺の作戦は、一撃も食らわずに少しずつ剣で削っていくこと。

速さで勝っている俺としてはその作戦が一番有効だと思った。


「ギャァァ!!」

「あぁぁ!!」


 ぎりぎりの戦いが始まった。

それでも恐怖で震えなかったのは、覚悟ができていたからだろう。

例え俺が死んでも、攻略者の遺族として妹は国から治療を続けてもらえる。


 そのためにこんな無茶なダンジョンに挑んだという理由もある。


 それでも死にたいわけではない。

死んでもいいと覚悟は決めたが、攻略できるに越したことはない。


 俺は切った、細かく、絶対にミスをしないように。

一撃もらえばあの力だ、意識を失って終わるだろう。

だからこそ、一瞬たりとも気を抜かない。


 何もない俺にできることは、諦めないことと。


 そして命を懸けることぐらいしかできないのだから。


「ギィ……」


 ホブゴブリンは肩で息をしていた。

血を流しすぎたのか、体中に薄い傷を作り緑色の肌に紫の血が垂れ流されている。


「はぁはぁはぁ……」


 しかしそれは俺も同じこと。

安全によけるために、全力でよけ続けた俺は体力を激しく消耗していた。


 次の一撃で決まる。


 俺はそう思ったし、ホブゴブリンもそう思ったのかもしれない。

俺は重たい剣を強く握る、ホブゴブリンもこん棒を強く握る。


 二人同時に駆け出した。

ホブゴブリンは、先ほどと同じ上段からの振り下ろし。

何度も見た、だから俺は同じように横に避ける。


 その瞬間。


「ウグッ!?」


 俺はホブゴブリンの横なぎを腹に食らってしまった。

俺は甘かった、油断しようと思っていたわけではない。

それでも命の駆け引きというものを甘くみていた。


 何度も繰り返した攻防に、今回も上からの振り下ろしだと。


 所詮は魔物、考える頭などないと。

ホブゴブリンは、上段をフェイントに、俺が横によけることを読んでいたのだろう。

あちらのほうが確かに命を懸けるということを理解していた。

戦いというものを理解していた。


 勢いそのままに俺は横に転げまわる。


「はぁ、はぁ……いたい……」


 俺は口から血を流し。ホブゴブリンを睨む。

ニタニタと笑っている醜悪な顔は、既に勝利を確信しているのだろう。


 意識が遠のきそうな中、俺は思った。


 死にたくない。


 とたんに、恐怖が体を支配した。

死というものを、リアルに感じた瞬間、体と心が乖離したような感覚に襲われる。

力が入らなかった。


 怖い。


 ここで、もし何もしなければ、ただ突っ立っていれば確実な死が数秒後に訪れる。


 すぐそこに死がある。


 短いながらも18年という長い人生が簡単に終わるということにえもいわれぬ感覚が俺を襲い体をこわばらせる。


「く、くるな!!」


 ニタニタとホブゴブリンがこん棒を引きずりながら歩いてくる。

俺は恐怖からか、初めて一歩後ろに下がってしまった。

死ぬ覚悟はできていたはずなのに、俺は本当には覚悟ができていなかった。


 戦いというものを、命を懸けた殺し合いというものを理解できていなかった。

怖いと思うとそれは一瞬だった、死を意識して体が硬直する。


「ギィィィ!!」


 ホブゴブリンがこん棒を振り上げ走ってくる。


「いやだぁいやだぁ、くるなぁぁ!!!」


 俺は戦いの最中に目を閉じてしまった。

眼をそむけてしまった。


(凪……ごめん……)


 最後に思い浮かべるのは妹への言葉。


 そして。


『凪、兄ちゃんが絶対助けるからな。絶対だからな』


 自分が最後に凪に伝えた言葉。


 直後、俺は目を見開く。


「あぁぁ!!」


 腹の底から叫びをあげる。

自分のバカさ加減に怒るように、大きな声で震える体を無理やり動かす。


 死ぬことは確かに覚悟した。

それでも死んでいいなんて、バカか俺は。

頑張るって決めただろう、凪も頑張っているのに自由に動ける俺が簡単にあきらめるな!


 俺は顔を上げる。

ゴブリンが片手で振り下ろしたこん棒を左腕で受け止める。

ぐしゃっという音と共に、俺の左腕はへし折れたが、そのままこん棒を後ろにそらす。

泣き叫びそうになる痛みが全身を震えさせる。


 それでも俺は歯を食いしばって重たい剣を両手で掴んだ。

骨が折れて、力を入れると血が噴き出す。

それでも強く握りしめた。


「わぁぁぁぁ!!!!」


 折れた左手と右手で剣を強く握る。

肉薄しているホブゴブリンの腹へと俺は無我夢中で剣を突き刺す。


 ホブゴブリンは反撃されるとは思っていなかったのか、反応が遅れる。

自分の腕で何とか剣を止めようと、俺の剣を掴んだ。


「ギャァァ!!!」

「らぁぁぁ!!!」


 そこからは力比べ。

俺が突き刺すか、ゴブリンが止めるか、そして俺が死ぬか。


 腹の底から声を出せ。

ここでありったけを出し切れ。


「あぁぁぁぁ!!!!」

「ギャァァ!!!」


 俺はずっと叫んでいた。

ずっとずっと叫んで、左手が血を噴出して、骨が見えだしても力を緩めることはなかった。


 死んでたまるか。

こんなところで死んでたまるか。

まだ何もしてない、まだ何もなしてない。


 凪を救えていない!


「あぁぁぁぁ!!!」


 俺は無我夢中で押し込み続けた。

どれだけたったかもわからずに俺はずっと叫び続けていた。

いつしか部屋の中にこだまするのが俺の声だけだと気づくのは、握力が心とは裏腹に限界を迎え血で剣が滑ったあとだった。


 俺はそのまま勢いよくゴブリンに倒れこむようにこけてしまう。

すぐに顔を上げて剣を握ろうとした。

だが、その過程でゴブリンが一切動かなくなったのに気づいた。


「はぁはぁ……倒せ……た?」


 俺はホブゴブリンの様子を見る。

俺の剣が腹に刺さって、ホブゴブリンは舌をだらしなく出して死んでいた。


「勝った?」


 俺は勝利した。

勝利というにはあまりに、辛勝。

しかしそれでも俺は初めて勝利した。

人生で初めて、勝てるか分からないような相手に勝利した。


 そのまま後ろに倒れて天井を見上げる。

左腕の激痛に今更気づき、勝利の美酒を味わう間もなくもだえ苦しんでいると、あの声が聞こえた。


『挑戦者:天地灰。力の試練クリア 転送します』 

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