エンタメ業者の井戸端会議

「ぷぷた〜ん! 遊びに来たよ〜」

 帰宅の早い子どもたちなら家路に着くであろうまだ明るい夕方。その日もアルバイトに勤しんでいた心暖に、お呼びでもなければ可愛くもない客が来た──湊である。

「この子が、ぷぷちゃん?」

「そうそう!」

「すいません、こいつがどうしてもって言って連れて来られました」

 『ぷぷちゃん』の狭い視界から見える、湊の隣の少し年上らしい男性が整った眉を下げる。何に対して謝ったのかは不明だが、少なくとも悪い人には見えない。

 だが介助役スタッフの目には、この若い二人組の男は危険視するに足りたようだった。

「お客さま、お写真であれば私がお撮りいたしますが──」

 ──キーンコーンカーンコーン。

『パーク内のスタッフに連絡します。インストラクターのスタッフは至急、事務室に集まってください。繰り返します、──』

 神がかったようなタイミングで流れる招集放送。アルバイトやパートなどの非正規雇用者が多いスタッフの中で、わざわざ呼び出されるような上層部とは、これすなわち正社員だ。パーク内のほぼ全ての仕事内容を完璧に把握しているベテランのスタッフは正社員でも少なく、今日もたった二人しかいないインストラクター級の称号を持つスタッフを招集するほどの事態には、これまでお目にかかった事がない。

「あっ……えっと、ぷぷちゃん、どうしようか」

 今日付いてくれていたスタッフは貴重なその一人だった。心暖は肯定の意思を表明するべく右手を上げる。ちなみに左手は否定の意だ。

「え、大丈夫? なるべく早く戻るわ」

 ただでさえ人手不足なので、代わりのスタッフを付けてもらう余裕はない──のだが、そもそもこんな客の前でわざわざ『設定』を守る必要なんてないだろう。

「あー、ようやく行ったよスタッフさん。心暖、この人はロニくんだよ」

「あ、初めましてー。しぇるたがいつもお世話になってます」

 『あろ〜ん』の配信や動画で聞く、綺麗な低音の爽やかボイスが目の前で発声されて、暑さでふわふわした心暖の頭に響いた。

「ろ、ロニくんって……みな、じゃない、『るたくん』の相方さん?」

 着ぐるみを着た状態で喋ることなどまずないので、声を出すのが変な感じだ。

「っっ……ちょ、待って、その見た目で心暖の声で話されると、いろいろシュールっ」

「おい、しぇるた、可哀想だろ」

「あのねぇ。言ってなかったけどこっちだって最初は笑ったわよ」

 可愛い顔をした白髪のイラストが腐るほど聞いた湊の声で喋っているのだから。笑わずにいろという方が難しい。

「ロニくん、活動名で大丈夫なんですか?」

「たぶん聞こえないし。ライブと握手会は顔出ししてるとはいえ、ファン以外じゃそこまで知られてるわけじゃないのでね」

「こっちから話しかけといて何だけど、心暖のほうこそ大丈夫なの?」

 この着ぐるみの中からはあまり周りは見渡せないが、近くに人のいる気配はなかった。遠目にちらほらといるのが見えるが、まず声が届かない距離だ。まあ、もし聞こえていたとしたら心暖に明日はない。

「あのさ、心暖ちゃん、気になってたんですけどその頭って取れるの?」

「取れるものなら取りたいですけど、今取ったら即クビですって」

「あ、そっか」

 着ぐるみも大変ですねー、とロニくんに同情され、少し微妙な気持ちになった。首に巻いた冷却シートが緩む。

「それ、飲んできたの?」

 二人は、飲みかけの冷たい飲み物を手に持っていた。

 心暖が福子さんから試飲チケットをもらった新商品、トロピカルフルーツラテだ。余った二枚は色々あって落ち込んでいるだろう湊にあげたので、友達かメンバーの誰かと来るのだろうとは思っていたが、そのついでに心暖をからかいにくるのは想定外だ。

「フツーに美味しいよ。フルーツラテっていうよりはフルーツエキス入りのカフェオレに近かったけど」

「うーん、ちょっと匂いがミルク感強かったね」

「え、そう? こんなもんじゃない?」

 湊が首を軽く傾げる。

「あー。うん、俺がよく飲んでる事務所に置いてあるやつが薄めで甘い香りので、だから最近ミルクとか入れないからそう思ったのかも」

「そっか、ロニくんは飲めるんだっけあれ」

 そういえば動画で似たような話を聞いた気がする。

「いや、あのコーヒーに何か入れて飲むのはちょっと俺的には邪道なのよね」

「ロニくんは甘いって言うけど、アレ甘いのはどっちかっていうと香りで、味は普通に苦味あるからね?」

 しぇるたはお子ちゃま舌だからな、と揶揄われて、うるさい僕なんてどーせコーヒーもお酒の味も知らない未成年ですよー、とぶっきらぼうに返す湊の様子に、思わず笑う。配信や動画の中で見たようなやりとりと同じだ。

「心暖、今日バイト何時まで?」

「え、スタッフさんが帰ってくるまでかなあ」

「あー、それなら当分帰ってこないよ」

「は?」

 どういう意味だ。

「今事務所のスタッフさんが話しに行ってるんよ。今度ここを貸切にして企画させてもらえないかって」

 ──貸切とは随分と派手である。今でこそ、『あろ〜ん』は所属事務所を代表するグループだが、結成当初はあまり期待されず、削られていたという当時の資金と人員では出来なかっただろう大がかりな企画だ。

 というか、あんなにスタッフが一度に呼び出されたのは。

「計画通り、ってわけね……」

「そうでもなきゃ着ぐるみちゃんとなんて話せないでしょ?」

 人の悪そうな笑みでロニくんが答えた。初対面の彼の印象を訂正したほうが良さそうだ。悔しいが、介助役スタッフのほうが人を見る目はあるようだった。

「それなら私あなたたちの対応が終わったら帰れるんだけど」

「えーもうちょっと付き合ってよ」

「……。」

 これ以上、こんな茶番に付き合っていられるか。こっちは暑さで倒れそうな中で働いているというのに。

「本日のキャラクターグリーティングはこれにて終了にします!」

 スタッフに付き添われず一人で控え室まで戻るのは若干不安だが、基本的には道も広いし慣れているので大丈夫だろう。

「まーいっか。じゃあ後でデータ送るわ」

「なんの?」

「『あろ〜ん』のライブチケット」

 呆れてものも言えないとはこういうことだ。

「ファンの人たちが唯一メンバーに会える場所でしょ? 関係者がチケット買って行くのは違くない?」

「あ、これ抽選だから。当たったら自分でお金払って来てね」

「……それ、私にメリットも何もないじゃない」

 会場は世に名の知れた場所だし、倍率もかなり高いだろうから余程でなければ当選することもないだろう。

 ──そう、たかを括っていたのだが。

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