暗がりの中の光

 夏休みも目前に迫ったある日の昼休み。大抵友人たちと和気あいあいと昼食をとっている湊が、今日に限って一人黙々と食事をする様子に、心暖は何か異質なものを感じていた。

 そういえば今日は朝から元気がないように見えた。だが今さらそれを聞くには完全にタイミングを逃しているし、動画の撮影や編集などの疲れが溜まっているのだろうか、と勝手に納得することにしていた。

「湊! 今日なんか昼用事あるのか?」

「あー、ちょっとね。一緒に食えなくてごめん」

「気にすんなって。てか今日は『午前の紅茶』のミルクティーじゃないの?」

「……たまにはね。でも今飲んでるやつも色は似てるでしょ」

 よほど注意して聞かなければ分からないが、湊の受け答えが若干不自然に揺れているのに気がついた。プライベートでなにかあったとも考えられなくはないが、ここ最近の湊を見ると配信活動のほうに原因がありそうだった。

 その日の夜、自室で検索エンジンで『あろ〜ん』と打って、予測変換に表示されたのは。


『あろ〜ん 炎上』


 これは、いったいどういうことだ。

 心暖は主要なSNS、ツボッターのアカウントを持っていないが、公開された投稿を検索することはできる。出てきた最新の呟きをスクロールしていく。

『今ゆーくんが炎上してることってホント?』

『彼女がいたのもショックだけど……』

『ゆーくんは悪くない‼︎』

『グラサンス、絶対許さない』

『私、ゆーくん推しだったけど、降りようか迷ってます』

『なんで元カノさん裁判にしなかったのかな』

『グループの社長気取りが金にがめついとか終わってる(笑)』

『あろ〜んの解散予想しようぜ』

 意見も立場も違うユーザーの多すぎる呟きに、心ごと呑まれてしまいそうで。

 正確な情報源を求めて、貼られていた動画のリンクに飛ぶ。有名人の暴露系の配信や動画で視聴者を獲得している『グラサンス』という活動者の配信録画だった。

『みなさんね、ほら見てくださいこの通帳の引き出し金額。こんな桁数さ、詐欺でもなきゃ滅多に見ないよ? この金額をゆぅらはグループの資金だって言って当時付き合っていたこの女性に貢がせて、で、今あんなに稼いでるっちゅうのに一向に返済する気がないらしいですよー? やばいね』

 いわゆる、女性問題が絡んだ金銭トラブル。

『初期のファンと浮気した上に別れ話切り出されたら泣きついて許してもらってさー、で金返せってうるさくなったらポイってこれ酷い話ですよ。この後ゆぅらとのツーショットの写真、被害女性から貰ってるんで見せます』

 しばらく聞いて状況を把握していくうちに、心暖の中にこの配信をする『グラサンス』とその視聴者に対する怒りが湧いてきた。

 ──何にも彼のことなんか知らないくせに。人の悪口言って、歪んだ正義感みたいなのを振りかざして告発して、何が楽しいんだ。結局あんたらもそれで得られる金とシャーデンフロイデ他人の不幸の蜜の味が美味しいだけでしょう。だいたい大きい会社とかのお偉いさんみたいなほとんどの金持ちはそういう汚いのにまみれてるものなんだから別に彼だけが悪いわけじゃない。

 そんなひどい偏見に偏見を重ねた暴論を振り回す自分の心の中の声でひとつだけ理解したことは、もう自分は『傍観者』では居られないということだった。

 深呼吸をする。

 心暖は『あろ〜ん』を表と裏から知る、けれどもあくまで一歩引いた世間一般として、ファンでもアンチでもなく中立でいたかった。だが抱いた感情は明らかに『ゆぅら』を援護する側で、どう足掻いても一般的であるとは言いがたい。

 だから、心暖はその立場を半分だけ諦めた。つまり、ファンではないにせよ、世間一般の中でもグループに同情的な立場でいることを決めた。

 世間的には間違っているのかもしれない。これで『ゆーくん』を、『あろ〜ん』を好きではいられなくなるファンもいるのかもしれない。世間が『あろ〜ん』とそのファンを否定的な目で見るようになるのかもしれない。

 ──だけど、今、それよりも優先すべきことがあるのだと、素直に思えた。

「えっと、もしもし?」

 六コールを数えたところで応答した声は、やっぱり震えていた。

「心暖、悪いけど今は──」

「湊。ぜんぶ、見たよ」

「……うん」

 思った通りだった。ファンも傷ついているけれど、より近くで彼のことを見て、支え合ってきたメンバーの心境はきっとそれ以上で。

「メンバーとは話したの?」

「……いや、今日の夜九時から。ロニくんとは今朝通話したけど」

「うん」

 もし湊がありのままの思いを吐き出す場所を探しているとしたら、それは心暖のような『第三者』が一番楽なんじゃないだろうか。

「誰にも言ったりしないから。湊が思ってること、全部教えて」

 異様に長く感じられる沈黙。

 実際には十秒くらい経った後──ようやく、すすり泣くような鼻声で湊が喋り始めた。

「なんで、なんでゆーくんなの。ゆーくんが僕らに何か隠してることがあるのは知ってた。それがあんまり良くないことなんだろうなっていうのは気付いてた。

 だけどゆーくんがくれるものはそれ以上で、いっつも『あろ〜ん』のことしか考えてないような人で、朝早くから夜遅くまですごく忙しそうにしてて、でも僕が落ち込んでると『るたくん、ご飯行こ?』って誘ってくれて。

 今は人気になって、ファンも増えて、たくさん応援してもらえるようになったけど、それだって半分以上は確実にゆーくんとスタッフさんのおかげで。

 今のこの幸せは永遠には続かないって分かってるし、周りは誰だって今からなら間に合うから勉強頑張って進学しろって言うし、このままだといつか親のスネかじりニートになるって俺だって知ってるけど。

 活動をやめようか迷ってた僕を、ファミレスで閉店間際までずっと話を聞いて励まして、『あろ〜ん』はこれからもっともっと多くの人に楽しいを届けられる、でも選ぶのはるたくん自身だよって優しく諭してくれたのはゆーくんなんだ。

 グラサンスが憎い。元カノも憎い。だけど一番悪いはずのゆーくんを憎むなんてできない。だって『あろ〜ん』はゆーくんの誘いで、ゆーくんが発案した事務所の企画で集まったグループなんだから。ゆーくんがいなきゃ今の俺はいないんだから」

 せきを切ったように溢れ出す『彼』への思い。

 本物の、炎上内容だけを報道する世間には知られていない、もう一つの『彼』の姿。優しくて雄大で勇ましい心を持つ『ゆーくん』という、一人のキャラクターであり人間。

 だけど湊のこれは、決してネットの世界で迂闊に公表していいものじゃない。ファンに、全世界に、届けることが許される感情じゃない。

 顔も出さず、匿名で活動しているのに、現実よりも不自由だなんて、なんて皮肉なんだろう。

 そしてそれは着ぐるみを演じる心暖にもよく分かる。

「スタッフさんからさっき連絡が来て、当分の間はゆーくんだけ活動休止になりそうって言ってた。大事な連絡の時は必ず八人のグループメッセージにゆーくんからも二重で教えてくれるのに、それが無くて。今さらゆーくんに頼りきりでいたことに気づいて、遅いよね。

 分かってるよ、グラサンスさんと元カノさんを憎むのはお門違いだって。だけど、もう嫌だ。俺は彼が大好きだし、今すぐ会いたいし、帰ってきてって言いたいのに、電話の一つだって今じゃ好きにかけられなくて。

 ──もう、僕も炎上してもいいかな。そしたら気兼ねなくゆーくんに会えるかな。そしたらメンバーも偶数になって企画もやりやすいし、六人には頑張ってもらって、それで良いんじゃ、」


「──この馬鹿っ!」


 混乱しているのは分かる。一人称がぐちゃぐちゃになるほど。

 だけど自暴自棄になるのは止めなければならない。そのために電話を掛けたのだ。

「六人が、ファンが、スタッフさんが、何より『彼』が悲しむとは思わないわけ⁉︎ 『あろ〜ん』と湊を信じて付いてきてくれたファンをさらに裏切るようなこと、許されるって本気で思ってるの?

 見損なったわ、それでもあんたは『あろ〜ん』メンバーって言えるわけ⁉︎」

 心暖だって今回の告発をした活動者と『彼』の元カノを恨んでいる。だけどそれじゃあ、湊は前に進めない。

 湊を通して知った、『あろ〜ん』での放送中の『彼』を思い出す。グループのまとめ役として、好き放題する七人をどうにか収拾つけて、たまに率先してふざけて、どんなときでも優しくて。だけどちょっと打算的で、おっちょこちょいな、そんな可愛くて尊敬できる大人な『彼』のことを、湊が切り捨てられるわけがないんだ。

「いつだって『あろ〜ん』とファンのことしか考えてなかった『彼』なら、なおさら『しぇるたくん』がそんなことしたら悲しむんじゃないの? 自分のせいで、って」

 ──そんなの、分かってるに決まってるじゃん。酷いよ心暖。ボロボロのノイズ混じりの声でそうなじられた。──こんな状態のときにわざわざ電話なんか掛けてきて、そんなド正論かまして。

 気が済むまで、ぶつけたらいい。心暖だって、こうやって余裕なフリをしているけれど、胸中ではさっきから湊に感化されて暴走しそうな感情を、必死に抑えているのだから。

「……うん、うん、そうだよな。ファンの子たちを笑顔にし続けるっていうのは、『あろ〜ん』のみんなで決めた最大目標だから──言っちゃえばこっちが笑顔を貰ってることのほうが多いんだけど──。僕だけが諦めちゃいけない、よね」

 『あろ〜ん』は、ユニットだ。誰か一人のためにみんなが苦しんで悲しむこともあるけれど、一人がみんなのために頑張ろうと決意することもできる。良くも悪くも、仲の良い連帯感のある集団だった。──たとえ、そこに創始者の意図が無かったとしても。

「ごめん、心暖」

「私はただお節介を焼いただけだから。それより、もう少ししたら……七人で会議するんでしょ?」

「あ、うん。それまでにちょっと落ち着くわ……はは」

 ここから先は、心暖の関わるところではない。今出来るのは、ただ彼らが上手くいくと良い、と願うことだけだ。

「じゃあ、切るね」

「……うん。ありがと」

 ──『彼』の活動休止が正式に発表されたのは、それから三日後のことだった。

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