エンタメ業のオモテウラ
高温高湿、うだるような暑さ。狭い視界から見えるのは、海と見紛うほどの青空。
多くの人で賑わう土日のアミューズメント・パーク。南国をモチーフにした、たくさんの人が訪れる歓楽の象徴のようなこの場所で、
「ただいま、当園のイメージマスコット、『ぷぷちゃん』とのフォトサービスを行っておりまーす」
──ただし、着ぐるみの『中の人』として。
声をあげている付き添い役のスタッフがいるのとは反対側から、なんとなく横から引っ張られている感覚がする。
「おかーさん、ぷぷちゃんと、おしゃしんとったら、ふうせんもらえるって! ほしい!」
「風船? うーん、お金かかるんだったらちょっとね……あ、こら!」
ゆっくり首を動かすと、幼稚園児くらいの男の子が、『ぷぷちゃん』のスカートを引きちぎりそうな勢いの様子で、母親らしき女性とスタッフの二人がかりで止められていた。
「お兄ちゃん、そんなに引っ張ったら、ぷぷちゃんがびっくりしちゃうから、やめてねー」
付いてくれているスタッフに注意され、少ししょげたような小さな男の子を励ますのが、ぷぷちゃん、もとい心暖の役目である。
「……ぷぷちゃん?」
しゃがみ込んで男の子と目線を合わせ、ウサギの垂れ耳を動かすための紐を口で引っ張った。手はもちろん使えないし、歯でこの仕掛けを動かすのは意外と重労働だから、普段からはやらない。でも男の子が嬉しそうにぷぷちゃんの耳を撫でるのを見ると、少しだけこのもう一人の『
その後男の子とは一枚だけ写真を撮って、最後に男の子はぷぷちゃんの首もとの貝殻のネックレスを思い切り振り回してから帰った。ぐったりした様子がマスコットにまで表れていたのか、数分前付き添いのスタッフにかけられた『あと五分ほどしたら休憩しましょう』という言葉を思い出して
とはいえ、現実はそう上手くはいかないものだ。
「うっわ、こっち来て見てみなよ? この着ぐるみ、後ろから空気出てるよ」
多くの着ぐるみアクターにとっての天敵、小学生男子集団のご登場だ。
「わ、ホントじゃん! 涼しー!」
「ていうか、こういうマスコットのチャックってフツー背中側にあるんじゃないの? どこかな」
「ジャブ! キック! ホームラン!」
いつも一瞬にして現れる彼らは、とにかく恐ろしい。
まず、着ぐるみの中には人が入っているということを知っていながら、マスコットに対する手加減というものを知らない。着ぐるみ越しとはいえ、暴力やセクハラまがいのことを受ければ苛立つし悲しくなるものだ。
だがマスコットは『設定』を守らなければならない存在であって。下手に怒りを表現することはできず、ただでさえ動きに制限があるので抵抗するのも難しい。
よって主に対処は付き添いスタッフにお願いするのだが、あいにくこのアミューズメントパークは人手不足。担当スタッフは迷子の連絡に駆り出されてしまっていた。そろそろマスコットにも人権が、言うなればマスコット権が欲しい。
それからわりとすぐにスタッフが戻ってきて、ようやっと助け出された。今日はもう時間的にキャラクターグリーティングは終了なので、着ぐるみを脱がせてもらえば日誌を書いて終業である。
スタッフに控え室まで送ってもらい、着ぐるみから解放された。帰宅交通手段は自転車なので、エアコンの効いたこの部屋でクールダウンしつつ日報を記入するのがルーティンだ。ただ、この夏の暑い時期は書き終わってもう少し涼ませてもらっていくことにしている(この仕事は時給制ではないのでおそらく不正残業には当たらない)。
『あろ〜ん、ゲーム実況企画ぅ‼︎』
『いえーい!』
『よっ、きたー‼︎』
数日前に動画サイトに投稿されていた動画をスマホで再生しながら、温いペットボトルの麦茶を口に含んだ。
『本日やるのは! こちらのぉ〜』
『はいはい! 今日やるゲームはなんですかー⁉︎』
『よーしっ、全員倒すぞ〜!』
『ちょ、しぇるた、お前仲間に攻撃するなや!』
『あの、さぁー! るたくんだけやないで、そういうロニもついさっきまで俺の進行方向バリバリに邪魔してきたやろ!』
思い思いに全員が喋りながら、ここまで楽しそうにできるのも彼らの才能なのかもしれない。
『あろ〜ん』のメンバー八人のうち六人は成人していて、湊とあともう一人だけが十七歳だ。
だがグループ内の関係は年齢よりは各個人の性格に寄っていて、それはメンバーどうしの呼び方にも表れている。活動名を基本とした呼び方なのは当然だが、たとえば『しぇるたくん(=湊)』なら、可愛い系担当のキャラということもあるのか、呼び捨てだったり、ファンからの愛称『るたくん』で呼ぶメンバーもいる。
こうして自分を表現してメンバーやファンに可愛がられ、社会的に上手くやっている湊を見ると、普段はなんだかんだ言いつつもやはり凄いと思う。
「心暖ちゃん、お疲れ様〜! 今日も暑いわねえ、……あら?」
突然自分を呼ぶ声に、現実に引き戻された。スマホの音量を切ろうと手探りしながら振り返る。
「
いま心暖がいるのは、着ぐるみのスタッフの更衣室が入る建物。他のパークスタッフももちろん利用することはあるが、通常この時間に部屋のドアを開けてまで入ってくるのは付き添い役のスタッフと、パーク内でドリンクワゴンを提供していて世話焼きの、この福子さんくらいだ。
普通なら心暖は人の気配には敏感なほうなのだが、今日に至ってはエアコンの冷気と動画に気を取られていて、福子さんの気配に全く気がつけなかったのだ。
「あら、それなんて言ったかしら、今若い人たちの間では凄く流行っている、動画が見られるやつでしょう? こんな感じなのねー!」
横からスマホの画面を覗き込む福子さんは本当に感動しているようで、心暖は苦笑いを返すだけで精一杯だ。
「心暖ちゃんはこれが好きなの?」
「あ、ええと、実は知り合いがその動画に出てて……『アロアロ・ライオン』っていう、グループでやってるんですよ」
「アロアロ……たしか、ハワイ語でハイビスカスのことかしら?」
驚いた。若者言葉に全く縁のなさそうな、なんなら外来語全般に対して疎そうな(とまで言ったらさすがに失礼だろうか)この上品な老婦人がそんな言葉まで知っているとは。
「この中で、一番中心になっているのはこの黄色い子?」
そう福子さんが指差したのは、『ゆーくん』。大して長い時間、動画を見た訳でもないのに。
「──どうして、お分かりになったんですか?」
『あろ〜ん』が所属する事務所の、グループ内で唯一契約ではなく正社員で、グループの発起人であり中心人物、『ゆーくん』こと『ゆぅら』。
メンバーの生配信やライブのスケジュール、収益の管理、グッズ制作、最近では雑誌やテレビへの出演も含んだ外部との連絡や交渉など、活動の裏方ほとんどを手掛ける彼だけは、メンバー全員から『ゆーくん』と呼ばれ慕われている。
MCとしてまとめるリーダーシップはもちろんだが、要所では場を盛り上げるのも上手いので、湊を含めた『あろ〜ん』メンバーは、ほとんど絶対的な信頼を彼に置いているのだという。
「私ね、趣味でフラダンスを習っているのよ。衣装の色とかにも関係するから、ハワイのことを少しだけ勉強したことがあってね。それで、濃い黄色は、ハワイの王家の色だから、もしかしたらそうなのかしらって思ったのよ」
福子さんの説明を聞いて、納得がいった。メンバー一人ひとりにはそれぞれ個人を象徴する色が当てられていて、それがハワイにある八つの島のシンボルカラーから採られている、という話はファンの間では常識だが、それを他に知っている人がいるとは思わなかった。人生の大先輩である福子さんに、少し申し訳ない気持ちになる。
「私の知り合いは、この白い髪の絵の子なんです」
「あら、『ぷぷちゃん』とお揃いね」
その言葉には黙って頷いた。『pupu』は、ハワイ語で『貝がら』という意味だ。だから勿論、ウサギの『ぷぷちゃん』の毛色も白に設定されている。
「あら、お話が楽しくて忘れていたわ。今日はね、心暖ちゃんにキッチンカーの夏限定新商品のお試しの協力のお願いをしにきたのよ。若い子の意見を聞きたくて」
はい、と手作りの紙チケットを八枚綴りで手渡される。……一枚は弟にあげて、学校の友人たちで消化できてもせいぜい三、四枚といったところか。残りの二枚はどこにやろう。
少し考えている間に福子さんが、来た時と同じように、す、っと気配もせずドアから出ていったようだった。実は先祖が忍者の家系で、というのもあり得なくはない話だな、などとどうも馬鹿らしいことを考えてしまうのは、たぶんこの『あろ〜ん』の、調子の良いふざけたテンションのせいだ。
『あ、なんかこの銅像、事務所にあるコーヒーメーカーに似てね?』
『うわ、まんまアレじゃん』
『ゆーくんが買ってきてくれたやつですね!』
ゲーム中のステージ内にあるオブジェが、『あろ〜ん』の事務所にあるコーヒーメーカーと似ているらしい。以前、湊──『しぇるたくん』の放送で、特にコーヒー好きの『ゆーくん』が、メンバーやスタッフのために買ってきたという話を聞いたような気がする。
『うんうん、俺とロニくんとスタッフさんしか使ってくれてるとこ見ないけどね』
『いやゆーくん、あれさー、ガムシロップないから僕たちホットはいいけどアイスは飲めないんだよ』
『あれ、そっか! ごめん、俺ミルクしか入れないからスティックシュガーがあればいいかなって置いてなかったね』
『カプチーノとかできるし美味しいのはいいんだけどさー、中の掃除するのめんどくさくて飲まなくなってるんだよねぇ』
『それはお前がやることやろ。てか全部ゆーくんに頼むんじゃなくて自分らでやれよ!』
『だってゆーくんに任せたら間違いないじゃん』
『うーん、正直買い出しとか掃除とかは誰でもできると思うんだけどなあ?』
『……ごめんちゃーい』
『ゆぅら』よりも年長の元気の良いメンバーですら、彼には敵わない様子が、やはり流石だし微笑ましい。
最後に、すでに発表されている数ヶ月先の大規模なライブツアーについて、メンバーが冗談みたいに面白おかしく宣伝する。あくまでもファンではないと思っている心暖でも、つい笑いが堪えられなくなるくらいだ。
きっとこういう小さなエンターテイメントの積み重ねが、『あろ〜ん』が最近人気が急上昇中のグループたる所以なのだろう。
──消えかけていた、湊の活動を知った時の懸念が時差的に的中してしまうことを、この時の心暖はまだ知らない。
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