第四章
ep.20 みんなの町の掃除屋さん
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〇登場人物
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ガシュ ガシュ ガシュ ガシュ
ピチャッ!ピチャッ!ピチャッ!ピチャッ!
便所ブラシの往復音が二つ、町はずれの公園に響いていた。
時は平日の
「ったくよお~~、男ってなぁどうして洋式便座で立ちションをするんだ? テメーのケツで
「喋りかけないでくださいよ。跳ねた水をマスク越しに舐めたらどうしてくれるんスか?」
「そりゃ~まあ貴重な経験だろ……わっ跳ねやがった、クソッ!!」
なんでも、自治体と業者の契約がゴタつき、向こう
「別にこんな依頼受けなくてよかったんじゃないスか?」
「馬鹿、二週間も仕事なかったんだぞ。貯金が底をつく」
「バイトすりゃ解決スよ」
「はは。バイトをするくらいなら、死ぬね。私にもプライドがあるからね」
どん。
景気づけに胸を叩くと、ゴム手袋がビチャと音を立てた。それきり、助手の
私も仕事に戻る。
ようやく一つ目の個室を終えて、木々の隙間に種々の
それから黄ばんだタイルを歩いて、隣の戸を開けた瞬間、私の脳に永劫拭えぬ景色が刻み込まれた。
「うわあああああっ!!」
言いながら振り返ると、助手はまだ何でもない
それは便座の底から星座を目指さんとする様々なゴミの山だった。
カップ麺、アイス、ポテチなどの家庭ゴミから、引き裂かれたボンベ、スーファミ、ブラウン管などのアンティークなゴミが混ざり、さらにそれらは芸術的な感覚で積み上げられて天井まで達している。
清掃係がいなくなり、まだ数日と経ってないのだ。この個室だけ異様に治安が悪い訳もなく、これは一体……
と思いながら一歩を踏み出すと、
なんと便器周りの床が崩落しており、地中がモロ見えになってモグラ、オケラたちとのインフラが確立されていた。
私はしこたま体を
「いでででででっ!」
「はぁ、どうしましたか。あれ、居ない。スピーディに自殺して霊魂と化したのかな」
「そんな訳ないだろ」
「あ、凶さん。何サボってんスか」
助手の手で地中から這い出した私は、もうあらかた人生が嫌になり、ゴム手袋を洗面台のゴミ箱に捨てて「一服や」とトイレを後にした。
「ズルい! 喫煙者の優遇だ! 差別! 差別!」
「これを聞きながら吸うのがうめえだね」
白煙と遊んでいると、ふと、すべり台から怒号と叫声が聞こえてきた。
「馬鹿にしてんのかっ、くらっ、クソガキがッ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
キリンさんのすべり台に駆け上りながら肩をプンプン怒らせているのは丸眼鏡の大学生で、先ほどベンチ飯をしていた陰気な奴だ。まだ声変わりもしていない少年を本気で追いまわしている。
もう一人は小学三~四年が妥当と思われる少年で、謝罪しながらもアスレチックを巧みに利用し、この年代特有の無限のスタミナを盾に逃げまどっている。
「ふむ……妙だ。小学校なら授業中のはず」
私はしばらく、『トムとジェリー』を見るような心持ちで眺めていたが、大学生がやがて息を切らし始めたのを見て近づいた。
近づいた理由の半分は、慈悲。
シンプルに少年との駆けっこで負け、誰からも声を掛けられぬとあっては男のプライドが傷ついてしまう。
「よお」
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ」
「あ……」
と、横にいた少年が露骨に『マズいとこを見られた』という顔をした。
この奇妙な駆けっこの発端は何なのか? それを探るのが、近づいた理由のもう半分だ。
「あー、ええっと。怯えるなよ。怯えるってわかるか? ああ、怖がるなでいいのか。ええっと、別に学校にはチクらない。が、その代わり聞かせてほしいんだ、はは、何やってんの?」
私は子どもの扱いが下手らしかった。
少年の顔は、ヤマネコが飢えたヘビを見つけたように険を放ち始め、顔に寄ったシワがピークに達した瞬間、風を切るように真後ろに逃走した。
――速い。
「あ、お~い少年~」
「ああ、何してくれんだ! あのガキを追い詰めて、もうちょっとだったのに、はぁ!」
「そいつぁ悪かったな。お望みならすぐに追いついてやるが、そもそもガキを追ってる理由は何だ? 場合によっちゃ行き先が変わるんだ」
「ああ? ……ええと、そうだ、あいつがこう言ったんだよ」
陰気な男は、少年のハイトーンをできるかぎり真似ようとして声帯を閉じ、聞くに堪えない裏声で喋った。
『あの、あのすみません。変な言葉を喋らないでください、お願いします。これ、ビスコ一枚あげますんで、頼みます』
「今すぐそのマネをやめろ、きしょいんじゃ」
「そんな、ひどい……声優志望なのに。まあそれはいいとして、そのとき俺はただ、手巻きズシを食べてただけなんだよ」
「ふうん。まあ第三者に聞くか。ちょい、ハナシ聞いてもよろしーですかね」
私は近くのベンチですべてを見ていた、腑抜けた顔のサラリーマンに声を掛けた。
「あ、あの、俺、何も言ってなかったっすよね?」
「ん」
サラリーマンは一度だけ頷くと、あとはもう、この世のすべての行為が倦怠感に封殺されたような顔つきをして、ノリ弁当を膝にのせて天を仰ぐようになった。左手の薬指は空いている。これでは孤独死まっしぐらだ。
「まあ、お前の言ってることは本当かもな。証人の精神状態は不安だが」
「だろ。だからあのガキ、きっと、きっとオツムがおかしいんだ! そもそもこんな給食の時間に、なんでガキが遊んでるんだろう」
「ありがとう」
大学生の右手に、ポケットにあった二十円と洗濯に巻き込まれたレシートを握らせると、私はトイレに戻った。
トイレは死ぬほどピカピカになって、ゴミのスカイツリーは消滅していた。
「おっ、”出来る”ね~落夢くん」
「めんどいから全部片づけましたよ。まったく」
「じゃあ役所に行って振り込んでもらおう。ほたら焼肉でも喰らおかね」
「ウス」
まだこの時点では、私は歴史を揺るがす大事件の渦中に巻き込まれるとは、到底予想だにしていなかった。
(つづく)
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