ep.21 Youは何しに?!翻訳不能の霊媒師!
トイレ掃除の帰り道、廃墟周辺の腐り果てた生垣の傍で、落夢が声を掛けてきた。
「さっきの、タバコ休憩にしちゃ長かったっスけど。闇バイトしてたんスか?」
「猫もタタキもする訳あるか……私は怪異への暴力を除けば、かなり倫理観がある方だぞ」
「果たしてそうっスかね……じゃあウンコしてたとか?」
「言い得て妙だ。ウンコみたいな奴らを観察した」
まあ大したことでもないのに確証もなく説明がややこしいから、落夢に話す意味もないだろう。
と思っていたのだがしかし、『ウンコ』で片づかないモヤモヤを抱いたので頭の中を探ってみると、どうやらあの陰気な大学生のモノマネが気にかかっているようだ。
『あの、あのすみません。変な言葉を喋らないでください、お願いします。これ、ビスコ一枚あげますんで、頼みます』
あの、脳内の情景をそのまま引き出そうとした感じの芝居には、嘘が見えなかった。それゆえに、少年が喋ったというその奇妙な内容が気になったのだ。
無論、あの大学生の虚妄であったりするのかもしれないが……であれば、少年は逃げるだろうか? 私の子どもの扱いがいくら下手だったからと言って……
そう思い、廃墟の割れ窓を鏡代わりにすると、目つきの悪い喫煙者が、胸に拳型の汚れが付いたツナギを着て
「……どうなったんだろうか」
「ペケレケ」
背後から、変な調子で女の声が聞こえた。とはいえここには二人だけだ。
「おい落夢、即興の言語で相槌を打つな」
「打ってないスよ。そんな真似したこともないし」
「じゃあ誰なんだよ」
と言って振り返ると、落夢の足の影にへばりつくようにして、全高30cmほどの薄汚い塊のようなものがあって怖かった。
「パシポム」
「うわっ、なんスかこれ!」
こんなものが足元にいて気づかないあたり、落夢の警戒心は絶望的だった。喋るだけあってそれは人間のように思えたが、その全身はホコリだらけの
「センティ」
どのような言語にしろ、単語の羅列ばかりで奇妙だ。言葉の区切りは淡々として、意志を伝える熱量も感じなかった。
そしてその時、脳裏で裏声のモノマネが響いたのだ。
『あの、あのすみません。【変な言葉を喋らないでください】――』
「こいつ……何か怪しいぞ。落夢、捕まえろ!」
「いまカロリーないっス」
「燃費が悪いなお前は」
余っていたチョコバーを投げつけてから、私はその、どこから関節技を極めていいのかわからない布の塊を上から抑え込んだ。酸化した皮脂か何かの、ひどい悪臭が鼻に突く。
布の内側からはロクな抵抗もないのだが、このまま丸め込んで抱えていくと刑罰を受けるのでどうしようか悩んでいた時、切羽詰まったカタコトの声が響いた。
「ヤメテ クダサイ!!」
それは男の声で、なんと先ほどの廃墟の中から聞こえていた。
割れ残った窓をぶち破り、門を跳び越えてヒーローよろしく歩道に転がり込んだアフリカンな男は、私の腕を引き剥がし、布の塊を大事そうに抱える。
取り返すのは容易だったが、状況を掴むまで手荒に出るのは賢くない。賢くない人間なりに賢くありたいのだ、私は。
「なんだお前は。この場でぶちのめしても良いが、ひとまず警察を呼ぶぞ」
「ワタシ、ホニャックデス」
「はい?」
「アイム ホニャック ホニャック トランスレイト」
「I can't speak English very well」
私が唯一ネイティブレベルで話せる英語だ。
「凶さんマジすか? 今のは小学生でもわかりますよ。翻訳家らしいっスよ、この人」
「ィェス、
「翻訳? この女のか」
「ソウ スゴイ レイバイシ」
「霊媒師?! ここに住んでんのか?」
「ソウ」
「で、こいつが喋ってんのは、なんて言葉なんだ?」
「ワカラナイ デモ ワタシ ワカル」
男は自慢げに頷き、私は頭を抱えた。
日本の廃墟に棲む、アフリカンな男と未知の言語を喋る何者か――
「やめだやめだ。意味も分からんし金にもならん。帰るぞ」
「そうっスね。焼肉行きたいし」
見なかったことにして歩き出した私たちの背中に、
「モネルク」
私は、いきなり冷や水を浴びせられたような気がした。
その声の調子は、先ほどと同じ淡々としたもの。だが何か、その言葉自体に――そんなものは信じちゃいないが――まるで呪いのような、恐ろしい意味合いが籠っているように聞こえたのだ。
「……おい。試しに聞いてやるよ。そいつは今、なんて言ったんだ?」
男は、先ほどの自慢げな表情とは打って変わり、緊張の顔で口を噤んでいる。
それに一歩、近づいた。
「答えろ」
もぞ、と、男の腕の中で、布の塊が不気味に蠢いた。
「シヌ デス。アナタ アクマ ツイテル。ダカラ ムゴイ メニ アッテ シヌ ト……」
「――そうかよ。占いは信じねえんだ」
私は踵を返した。
「いや霊媒師っスよ」
「知らねえよ。大体なんで悪魔なんだよ、そんな洋モノが私に憑くか」
「国産の悪魔っていないんすか?」
くだらないやり取りの最中、私は背筋の内側に、ヒルのように湿った何かがへばりついたような気がしてならなかった。
(つづく)
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