ep11 美少女脳内麻薬

「人ってね。薬物を打ってる時、頭の中で作品を見るんだ」


 トイレの鏡と楽しげに話すこの女は、Dr.アドレナリンという闇医者である。脳内麻薬ソムリエと呼ばれる彼女は、自分の意志で脳内麻薬の産生量をコントロールでき、それらをブレンドすることで、誰も知らない刺激の世界へと埋没する。まさしくビックリ人間である。


 キイ……


 ワームガールという別のビックリ人間が、トイレへと入ってきた。極細フレームの眼鏡を掛けた、パーカー姿の痩せた少女で、前綴じのファスナーを完全に閉めてある。


「でね! それはすっごく感動するお話なんだけど、みんな頭がパッパラパーだから、その内容を忘れちゃうんだ。あはは!」

「ひっ」


 狂った女医がなおも喋り続けるのを見て、ワームガールは怯え、そそくさと個室に逃げこんだ。

 少女は対人恐怖症で、他人が自分と同じ権利を有して存在しているという事実だけでご飯を三食抜ける。


「はぁ、はぁ。はぁ……た、助けて、スデちゃんズ……」


 少女がそう呟くと、パーカーの両袖がもぞもぞと動き始め、そこから二匹の、異常に巨大なヤスデが這い出してきた。その体長は15cmを超え、種の平均の7倍ほどもある。

 それらは少女の手首、尺骨の突起を、鍵盤のようにしなる多脚で官能的に踏みしめながら、その指先に絡みついてゆく。やがてワームは、幾つもの指を縛るように絡んだまま、爪先をキスするようについばみ始めた。

 

「あ、スデちゃん……来てくれたんだ。ごめんね、ありがとね、……ふふ、ふふふふ」

『スデばかりずるいわ! 私も混ぜなさいよ』

{そうさ! 俺たちとも遊ぼうぜ!}


 少女の脳内に、明るい男女の声援が響く。

 ヤスデに触発されるようにして、ポケット、首筋、ズボンの裏側――いたる所から虫が這い出て、彼女の表面を覆い始める。とりわけ巨大なスズメバチとジョロウグモとが一匹ずつ、周囲の虫を押しのけるように彼女の頭にしがみついた。


「スズちゃん、ジョロちゃん、みんなありがと……ひひぇっ」


---

【登場人物名簿 No.12910 ワームガールについて(引用元:東条人物商会)】


 (前略)

 ワームガールと呼ばれる少女に、特定の技能と呼べるものはない。

 ”虫との対話行動(事例2)”についても、彼女の精神疾患がもたらす錯覚であり、単に深刻な妄想であると結論付けてある。

 問題は、彼女が心的ストレスを感じた際、その脳下垂体かすいたいから化学的に証明不能なホルモン(事例3)が分泌され、汗腺を通り発散、それが昆虫の成長・凶暴性を著しく増大させる点にある。

 事例3については研究段階であるが、彼女の脳下垂体は恐らく、洛臓と同様に別の次元(この世界とは異なる法則を持つ世界)と接続されている説がもっとも有力である。


 ワームガールが他人を恐れ、むやみな外出をしない点については、図らずも我々の利害と一致しており、今後もプレミアム会員らによる安静的な観察が求められる。

 (後略)


---


 バンバンバンバンバンバン!


「ひへぇゃっ!」

 

 少女の個室ドアが、外から強烈に殴られて歪む。


「ねえ! 君さ! さっきから私の知らない化学物質を練り出してるよね? 気になってたんだ、なんか甘い匂いがする! 気のせいかなあ?」

「き、気ひ、気のせいでしゅひぇ……」

「そっか」


 ヒールブーツの音がゆっくりと去り、また足早に近づいてくる。

 木と骨がへし折れる音と共に、ドアが一瞬”く”の字にたわみ、女の凄まじい怒号が響いた。

 

「そんなハズねえだろッ! このダボがッッ! テメエの耳かき一匙ぶんの脳味噌にハグらかされるとでも思ってんのか?! だったら嬉しいねぇっ!!」


 ドア越しの女が口走る意味わからない言動に、少女は激しくおののいた。そもそも少女は、自身にそんなホルモンがあることを知らない。

 一度にショックを受け過ぎた少女は、便座に座ったまま天をながめ、口から流涎りゅうぜんして失神した。昆虫がにわかに騒ぎ出す。


「で続きなんだけど」

「……」

「聞いてる? うわっ、ハチだ」


 極度のストレスに晒されたワームガールの体表から、数匹のミツバチが飛び立った。ホルモンにより異常な興奮状態にあるハチは、Dr.アドレナリンを外敵とみなし、毒針を構えて彼女を取り囲む。

 ブウウン……とひどく不愉快な羽音がトイレに響いて、女医は反射的にハチの一匹を叩き潰していた。ハチの内部から、少女のホルモンとハチのフェロモンとが漏れだし、女医はその不可思議な甘い毒液を舐めた。


「れろ……ふんふん。やっぱり知らない物質だね。あははぁ」

 

 ――羽音が止む。


 正確に言えば、ミツバチの羽ばたきが物理的限界を逸し、人間の可聴域を超えたのである。音もなく、弾丸のように飛びかかるハチが、Dr.アドレナリンの白衣を突き刺す。

 それと同時に、毒液に含まれる少女のホルモンが、一気にDr.アドレナリンの血に流れ出した。


「あ、あ、あ、あああああ――っ!!」


 Dr.アドレナリンはその瞬間、息を殺しながら高みまで昇りつめていた……まるで細胞の一つ一つ、血管の内側にまで味覚が存在するかのように――甘美が全身を巡り、心臓へと集結し、再び拡散しては女医の体内を喰らい尽くす。


 彼女の言葉を拝借すれば、Dr.アドレナリンは間違いなく、とろけた脳髄の中で『作品』を見ていた。


「た、助けてっ! も、もっと刺してッ!!」

 

 女医はそう言うがミツバチという生物は儚く、一度針を刺せばその肉体は裂けて死んでしまうのである。


「ぐ、ぐぎぎ……」


 本能のまま女子トイレドアを蹴破った彼女は、そこから少女に巣食う無数の虫と死闘を繰り広げるのだが、それはまた別の話。


 重要なのは、Dr.アドレナリンが脳内でブレンドした特殊脳内麻薬と、ハチの毒、そして少女の固有ホルモンとが、血液内で化学的に融合してしまったこと。

 そしてその血液を、少女が飼っていた一匹の蚊が吸血し、トイレ内部の換気口から外へと持ち出したこと。


 最後に、その蚊がMx.ヒューモットと呼ばれるビックリ人間を刺突し、この一時間後に彼が死に至るという点だけである。


 (つづく)

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