ep9 集いしビックリ人間たち

「ここか、国立カタストロフィ会館は」

「でっけ~」


 都市部のド真ん中でその特異的なフォルムを打ち立てる館は、東京ビッグサイトを横倒しにして四連結させたような、デザイナーの横暴ともいえる意味不明な構造をしていた。

 許可証で関係者入り口を通り、打放しコンクリートの手狭な通路を歩く。控え室のドアまで残り数メートルといったところで、通路の向こうからヒールを履いた白衣の女が歩いてきた。

 女はゆったりとした上衣からでも分かる豊満な胸をしており、後ろで大雑把に結ばれたボサボサの髪は、日に焼けて茶色を帯びていた。


「お、あんた医療スタッフ?」

「いえ、脳内麻薬ソムリエのDr.アドレナリンといいます。よろしく」

「どういう職業?」

「ハグっ! ハグっ……ハグッ!」

 

 女はいきなり内ポケットから取り出したカツオ節をガツガツと喰らい始めた。


「おい! 何してんだオメエ!」

「凶さん、彼女はビックリ人間です」

「ああそうなんだ」


 カツオ節はギネスブックにも掲載される『世界一硬い食べ物』だが、女はそれを丸ごと一本、おのれの歯のみで喰らい尽くした。妙に薫り高いゲップをしながら、女は口元を袖で拭い、こちらを見た。


「脳内麻薬の生成には複数の必須アミノ酸が欠かせません。アミノ酸スコアについてはご存じですか?」

「知らん」

「食べ物に含まれるアミノ酸のバランスを数値化したものです……最大は100、カツオ節のアミノ酸スコアは――100です」

「そうですか」


 Dr.アドレナリンと名乗った女は、そのまま落夢と私を通り過ぎてどこかへと消えていった。


「何だったの??」

「怖いですねぇ……」


――


啜蠅すすりばえ様。お食事のご用意が出来ました」

「ご苦労ご苦労」


 石弓坂ぼうがんざか啜蠅と呼ばれるその老獪な暗殺者は、楽屋に運び込まれたマリーグレー種のオーストラリア牛、総重量550kgの雌牛を前に、僧服に包まれた腕を軽く振るった。

 牛を運んできたスタッフの目には、その老人の右腕が一度、ぐにゃりと大きく歪んだように見えた。まるでイカの触手のように。

 

 ブモオオオオオンッ!!


 突如、雌牛は首筋から40リットルに及ぶ血液を放出させ、連絡通路全体を揺るがす断末魔と共に絶命した。


「ひ、ひっ……」

「ケケケ」


 その猫背の老人――今や鬼にすら見える男の口がつり上がり、床に広がった血だまりをジュルジュルと、四つん這いで啜り始めた。


「(お、恐ろしい……なんなんだこいつは……!)」


 このスタッフは派遣所から斡旋された日雇いの男で、同僚二十数名のうち彼だけがこの啜蠅のランチ配達を任されたのは不運としか言いようがない。

 足元まで流れてくる熱い血液と、恐怖によって抜けた腰とで、彼が思わず転倒したことも又、その不運の一環と言えたが――それが啜蠅のポリシー『食事を邪魔する者を確実に殺す』に抵触したことは必然だった。

 横で見守ろうが部屋を出ていこうが、啜蠅はあらゆる難癖をつけて人間を殺すからである。


「貴様ァァーッ!」

「キャーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 バタン!

 男が失神したのと楽屋のドアが開いたのは同時だった。ドアの向こうに、ハンチング帽で目を隠したカーディガンの男が立っている。灰づくめで、妙に小柄だ。


 その新たな闖入者ちんにゅうしゃに対し、啜蠅のポリシーが動作し、殺意を与えたのもまた同時であったが――男を見た老人の口角は、一瞬にして固く結ばれた。


「……お主、できるな」

「……」


 棒立ちの小人が放つ、大気が収縮するような異様な風格を見て、啜蠅は食事を中断する。吐き気をもよおす血の沼に一人、臨戦態勢の老爺が立ち上がった。


「名は」

「……」

「コンテスト参加者か?」

「……」

「やる気か? ここでわしと」


 小人は何も答えなかったが、右足を半歩後退させて体側を開くその所作のみで、返答としては十分だった。

 老人どころか人間とは思えぬほどの殺気が巡り、それを満たすには狭すぎる楽屋が悲鳴を上げる。小人の放つむんむんとした覇気のみが、ただその颶風ぐふうに拮抗し得た。


 互いに一歩も動かぬまま、猜疑、殺気、そして時たまに放たれる牽制の怒気が宙を飛び交い、ある時点でふっと、そのすべてが掻き消えた。

 小人が背を向け、楽屋を去る。

 連絡通路に響くローファーの音を聞きながら、老爺は冷めきった牛の死体に視線を戻した。


「ケケケ……ありゃ二人とも死んでたな」


 老爺は失神した男を通路に押し出して、一息をいた。このスタッフを殺してもいいが、そうすればあの小人がやってきて、今度こそ自分を道連れにするだろう。そして何より、今さら雑魚を殺しても楽しめない。


重畳ちょうじょう重畳……儂と競える者がおるのは、これはよい事だ」


 そうは言い条、啜蠅の目に浮かぶのは痛烈な怒気であった。もはや、啜蠅の中にコンテストを勝ち抜くという動機は消え、あの男を如何に一方的に屠るか……ただそれだけを考えていた。


「まずは名を聞いてから……そして必ず、殺す――!!」


――


 ようやく警備員控え室に戻ってきた灰づくめの男に、落夢は腹立たしげに声を掛けた。


「おいこらオッサン、私の昼メシとヤクルトは?」


 男は首を横に振る。


「お~いおいおいお~いおい、マジ?? その年でお遣いもできねえのかよ~~オッサ~~ン?? よお?」


 男は首を横に振った。金も貰っていないし自分の財布も先ほど落夢に強奪されたため、そもそも買う手段がないという意味であったが、一向に口を開かぬのでその意味がバカには伝わらない。

 そうこうする内に、男は頭をハリセンでぶっ叩かれた。


「凶さんこいつやっちゃいますか? 良いすか?」

「うるせ~な~、寝かせろよバカ……」

「ちぇっ、つまんねーの。オッサンなんかマジックやってよ。ハト出す奴、耳から」


 男は首を横に振り、頭をハリセンでぶっ叩かれた。


「…………」


 男の異名はピュア・マン。自我と引き換えに強烈な任務遂行能力を持つビックリ人間――影の世界の殺し屋である。

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