ep6 狂気のオバハン マミ3

 黄金の男は、右肩を露出した僧衣を纏い、体長三メートルのクロカンガルーに乗って六畳間へと降り立った。男の白い肌や、ふたひらの花弁めいた目、金の長髪、爪の先に至るまでが目映まばゆい輝きに満ちている。


 男の姿を見た脳裏から、現実感という言葉が引きはがされていくようだった。思わず頬を殴りつけて、確信する。これは異常ではあるが夢ではない。だ。

 男は、およそ全ての人類が好感を抱くような、多重的な声と抑揚で「ごきげんよう」と告げ、悲しみか憐れみか、仏像のような微笑でカンガルーの首を撫ではじめた。

 私の足が、人知れず震える――気圧けおされているのだ、この私が。そんな事があってたまるか。


「……インセプションって映画、見たことあるか?」


 男は、はにかんだような微笑をこちらに向ける。


「私はありませんが、マミはあるようです。だから、私も結末を知っています」 

「……どう思った? 独楽こまは、止まるかな?」

「そうですね……ううんと」


 手を止めてうなる姿が、驚くほどに優雅だ。そうしてまるで雑草でも引き抜くような手つきで、男はカンガルーの後頭部に手を差し入れた。

 常軌を逸した量の血飛沫が上がり、男の身体を鮮血と湯気で塗りつぶしていく。ビヒィィン……と鳴いたカンガルーが倒れると、男の全身へと凝固した血液が纏わりつき、鎧のように彼を覆った。

 男は血に濡れた手を、一度だけ振るう。


 ひゅん。


 と風を切った男が、私の眼前に立っていた。

 心臓のように炯々けいけいと光る目を私が捉えると、男の強烈な前蹴りが私の腹部に突き刺さっていた。私は焼かれた子牛の横っ腹に激突する。


「うげえっ!」

「私はマミの夢で生まれ、マミの願いから現実と化した――だから先ほどの答えはどちらとも言えません……夢と現実に本来、境はないのですから。そうしたヒトの概念を脱し、私たちはいま、あなたがたと結びつきたい」

 

 洛臓が熱を帯びて脈打つ。

 初めての体験だ。

 まったくもって何故……普通に生き、スリルを楽しみたいだけで、こんな超常現象と戦うことになるのか。

 そもそもこいつは誰で、この家はなんだ。洛臓はなぜ活性化した。私たちはなぜ、こんな身体で生まれてきた? 世界とは疑問だらけだ。


 まるで時が止まったように――私は瞬間的に跳躍し、再び男と相対した。


「む」


 当惑する男の、二つの膝をまず蹴り折る。血の鎧が砕け、金の肉片が辺りに飛び散った。一連の動きが、まるでスローモーションに見える。


「私も答えはおんなじだ」

 

 前につんのめった男の首を、右の脇に抱え込む。左の手で、その無防備な腹を押し上げながら、首を下方に押し下げると、男の全身はテコの原理で空中へと倒立した。


「答えはどちらともいえない……どっちでもいい」


 そのまま右足を空中へ――逆上がりするように爪先を跳ね上げると、男の頭部を足元の自然岩へと痛烈に叩きつけた。血飛沫の代わり、金粉のような物質が辺りをおびただしく飛散する。


「お前が何者か、オバハンが誰なのかはどうでもいい。私は探偵でも霊媒師でもないからな……邪魔だったらぶっ飛ばすだけだ。夢で幽霊に伝えとけ」


 動かなくなった男を置いて、ダッフルコートについた金の粉を払い落とす。


「ああ、スッキリした」


 もし儘痲マミが人にまた迷惑をかけたら、二度と珍妙なマネができない体にしてやる。だが今日は、人を許せる気分だ。玄関先に置いてあったベージュのハンチング帽をかっぱらって被る。


「貰ってくぜ」


 ドアを蹴り開けると、そこは人里離れた切り株だらけの山肌。皆既月食を起こした月が、夜空に赤く燃えていた。


「ああ、落夢に連絡しないと」


───


「GPS、辿ってみたら、こんな山奥。ひい、ふう……かーっ! 字余りだ」


 加速アクセルどう落夢らくむは左手のスマホで『ストーカー川柳』の公募ページを閲覧しつつ、右手のスマホで御神籤凶が歩いた妙な足取りを追っていた。


「普通の依頼って聞いたんですがねえ」


 御神籤凶が寺に向かったのが44時間前の朝。そこから一切の音沙汰がなく、一日目の夜はその内帰ってくるだろうと思っていたが、二日目になって何か厄介事に巻き込まれたのだと思い車を出した。


 39時間前に彼女が訪れたのが、寺から50kmも離れたこの山奥だ。ここで、彼女はつい先ほどまで滞在したことになっている。時間あたりの移動距離を考えると、御神籤凶は自身の能力――身体能力の超人化を利用して移動したことになる。それほどの用が、こんな山奥にあったのだろうか。

 常人以下の体力しか持たぬ落夢は、一人で白いため息を吐く。


「死んでなきゃいいんですがね――お?」


 落夢のスニーカーが、枯れ葉とは違う乾いた物体を踏んだ。屈んで手に取ると、それはズタズタに千切られたダンボールだった。よく見ると、同様の物が辺りに幾つも散らばっている。


「これ、不法投棄じゃないな。でもホームレスも住まないだろうし、何だろう。凄い数だこりゃ」


 ダンボールを踏み越えて先に進む。もうすぐ、御神籤凶の居た場所に着くはずだ。


 ――メリィ、ブチ、バチバチバチ。

 その時そんな音が、行く先で切り倒された木々の間を吹き抜けてきた。


「お、誰か居るんすかー?」

 

 ひゅう、と寒風が吹く。風に乗って、黄砂のような色味の粒子が吹き込んできた。


「うわ何だこれ。服に付いたぁっ」


 ――風上で、枯れ葉を踏み鳴らす音がした。


 それは人の足音のようで、だとすれば妙な――半身不随の人間が、両手を使って無茶苦茶に地面を這い回るような、変則的な律動だった。天体が身をよじり、赤い月食がほどけると、白みを帯びた月光が差し込む。

 人だ。裸体の男が、腕で地面を這ってくる。

 葡萄色にぬめる脳漿のうしょうを月に晒しながら。ちぎれた足を置き去りにして。


 透き通るような美声で、こう呼びかけていた。


「お、みく、じ、きょう、ちゃん、で、てお、いで」



   (続)





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いつも読んでくれてありがとうございます。

文学フリマ東京35にサークルで出展するので、以下に場所など記載しました。

よろしければ手に取ってみてください、それでは。


https://kakuyomu.jp/users/tonnura123/news/16817330649333711473

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