ep5 狂気のオバハン マミ2

 気づけば私はダンボールで出来た六畳間の中央で、茶を啜っていた。

 黄緑色に朽ち果てた畳の反対に、謎のオバン、儘痲マミが正座している。寺の池で出会った時とは違い、彼女は和服を着ていた――鹿の皮と雑巾をいだ前開きを和服と呼べばだが。

 あれからどれほどの時が経ったのか? ダンボールを切り開いてガラスを嵌めた窓から、真昼の光が差し込んで痛い。マミは異様に突き出た二本の下門歯を覗かせながら、


「結構なお点前で、と貴女は言うでしょう」


 と言った。


「結構なお点前で」


 と私は言った。

 確信できることは一つ。マミには強制に人心を操作する能力が備わっていて、私は術中に嵌まっている。分からないのは私に何をさせたいのかだ、と考えたところで何かを思い出せそうな気がしてきた。


「私の付き人になるのでしたら、まずお作法を覚えなさい」


 そう言われ、以前の記憶を取り戻す。


――『貴方、私の家に来ませんこと? その背後霊をすべて、霊界に送り返して差し上げますから付き人になりなさい』


 そうだ、そんな風に言っていた。という事はどういう事かというと、私は発狂したオバハンの家に軟禁されている。


「ひいいいいっ!」


 恐ろしくなって叫んだ。自発的に叫べたところを見るに、常に精神を支配されている訳ではないらしいが、「お黙り!」とマミが叱責するや否や私の呼吸は停止してしまった。息を吸うにも吐くにも、喉にコンニャクの餅が詰まったようにどうにも出来ず、呼吸をあきらめる。

 私の場合、十五分ほど息は止められる。そこを刻限として、まずはこのオバハンをどう始末するかを考えることにした。

 本気を出し、支配される前に一瞬で彼女の意識を奪えば、現状はどうとでも打破できる。極めて容易だ。

 だが何かの間違いでやり損ねた時……私の力は逆手に取られ、中国雑技団も未知の軟体人間にされるかもしれない。それは嫌だ――極めて嫌だ。


 兎にも角にも周囲を観察、何か偶然にも彼女の身を守る要因が無いかを探すべきだ――ほら、こんな所に自然岩が突き出ていて、いかにも躓きそうになっているでしょ。と思いつつ辺りを見回して私は、この空間の異様さを思い知った。


 天井と壁はすべてダンボール製だ。だが空間は広大で、六畳間にはシャンデリアが吊り下げられ、窓ガラス、玄関ドア、小上がり、ウォークインシュークローゼット、風呂トイレなど完備してあるが、強度を担保する骨組みはどこにも見当たらない。通常の重力下であれば、一瞬で崩落するはずの建物だ。

 

 設備ごとの不調和も著しく、たとえば床は畳敷きで腐食、ところどころむき出しの地面からはキノコと岩とタケノコとが乱立しているが、シャンデリアなどは燦然と輝いているし、かと思えば小上がりの上で子牛が焼かれている。


「(何だここは……何だ? こいつのオツムの中か?)」

 

「あなたの考えていることは正しいわ。北の守護神にするかクアッカワラビーの繁殖にするか、迷っているのでしょう」


「……」


「あら、声が出ないのね忘れてたわホホホホ。ゲームキューブでこめかみを殴りなさいッ!!」


 イカれたババアめ。

 まあ、私にとって、此処が何処かなぞどうでもいい。周囲の状況は把握しており、洛臓のエネルギーはゴビ砂漠を横断できるほど余ってる。この女を始末するのに労は要らない。

 何かを言いかけたマミの顎先をデコピンで弾き、私は彼女の背後に降り立った。デコピンの衝撃は顎から脳天にかけてをシーソーの如く揺らし、強烈な脳震盪でマミは倒れ込んだ。その身体を支えて、畳に降ろす。すると私の喉から圧迫感が消え、徐々に記憶も鮮明になってきた。

 大きく息を吸う。


「終わった――」


 背後で山羊の泣き声がはじけ、窓の外の景色が目まぐるしく昼夜を入れ替え始めたのはその時だった。

 メエエ、と喚くそれは焼かれた子牛だ。畳に生えていたタケノコは急速に成長を始め、部屋の四隅の暗闇が肥大化していく。

 ――何が起きた!?

 問う間もなく、六畳間の上空には小暗き黒雲が現れ、そこから漆黒のカンガルーを駆る黄金の益荒男ますらおが降臨したのであった。


          (続)

 

 

 

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