ep2 ゴースト・アナトミア
「幽霊に『目』ってあると思います?」
不可思議な問いだ。
「ある奴もいれば、ない奴もいるんじゃないか」「あ、あります……」
「多分ないですよ」「どうして?」「ありますって……」
「幽霊の眼球についての資料を見たことありますか? 視神経、錐体細胞についてまで……」
「ないね」
「そこが問題なんです。人類史上、幽霊を解剖した例も無ければ、医学的に捉えてみようという試み自体、なかったんじゃないかなって」
「つまりなに?」
「現時点の幽霊は絵と同じで、内部構造なんてない。一度も観測されていないからです。でも、解剖して、その中身を見たら……」
「そこで初めて目玉が生まれるってワケ?」「そんな感じです」「やめて……」
私こと
「そういうヒトの認知主体の話、よくわかんないんだよね。恐竜が生きてないってことになるんでしょ、イヤだなあ」
「私は結構好きです。めちゃめちゃな傲慢さが、ヒトっぽいじゃないですか。大脳がデカいだけで偉そうに……。あ、ついでに脳も見ときます?」
「いいね」「みぐれっ」
断末魔。
指先から伝わるショッカンはたぶん、生湯葉を切るカンショクと似ていた。
彼は生前もとい死後、ずいぶん闊達な幽霊だった。葬式場の跡地に建てられたコンビニで実体化し、客に痴漢を働いていたので駆除依頼が出され、私たちが生け捕りにしたのだ。
割のいい給料と、活きのいいサンプルが手に入り、私たちはホクホクとした顔で廃病院に出向いて解剖をしているのだった。
「彼はよい幽霊です。一度も命乞いしていません」
「まあ成仏できるし、ラッキーなんじゃない?」
「阿呆ったれっ! そげに浮ついて成仏できるかれっ! あ、脳みそありました」「
頭部を切開されてムチャクチャされた彼は、訳の分からぬ言葉しか喋らなくなった。
「ゼットン、タイル、乳牛、ルサンチマン、笹、佐々木、笹塚」
「壊れちゃった」「幽霊にも脳、必要なんスね」
落夢はゴム手袋とメスを投げ捨て、アップルパイをモチーフにしたリュックサックから二枚のガラスフィルムと顕微鏡を取り出した。
「さあここからが本番ですよ」
「寄席」
「何するの?」
「懐メロ」
「ヒトは細胞の群れですが、幽霊はどうだか気になるんです」
落夢はアラレでも摘まむような手つきで、幽霊の脳をこそぎ取ると、その脳片をガラスフィルムで挟み込んで、顕微鏡の台座に置いた。
「プレパラートだ。懐かしい」
突然、幽霊がけたたましい声で叫んだ。
「アメンボ1ダース、夜明け前に、くださーいっ!」
どうやら言語野がすごいことになったらしい。
「さあどうだ!? 細胞もろとも死霊になるのか?!」
落夢はまるで気にせずレンズに目を当て、ぐりぐりとピントを調節する。
「やめたまへ そらにうたへど とどくまじ
かきくふさるの ごときなるかな」
幽霊が句を詠んだ直後。フッ、とその姿は手術台から消えていた。
「おやっ。落夢、消えたぞ」「えっ」
落夢はキツネに摘ままれたような顔を上げ、それからプレパラートを取り上げてぷらぷらと振った。
「脳も無くなってます」
「何が見えたの?」
「最初は灰色がぼんやり見えたんですが、ピントがあったら何も見えなくなりました。そこで丁度、凶さんが『消えたぞ』と」
「ほーん。ちょっと貸して」
私は左手の甲をひっかき、採取した皮膚片を顕微鏡で観察する。はじめて見る自分の細胞群は、クリオネの墓場みたいで気持ち悪かった。
ともかく、私は消失していない。
「仮説を考えた。幽霊はイメージから生まれるものだから、自分がイメージできる限界まで解像度を上げると追っつかなくなって消失するのだ」
「じゃあ、凶さんは実在する可能性が高いんですねえ。私ぃ、自分の細胞見るの怖いですぅ。幽霊だったらー、消えちゃうじゃないですかぁ」
と言って落夢がくねくね、と動くと右腕にあるドクロのタトゥーもくねくね、と動いて、そのドクロが中華麺を啜っているものだから麺も又くねくね、と動いて気持ちが悪い。
「ええい、やめろやめろ!」
「でも面白い研究でしたね。幽霊の顕在臨界点がわかりましたよ」
「何それ? てかもういい時間だし、報酬でなんか食べない?」
「解剖したから焼肉行きましょうよ!」
「ははは、賛成~」
私はプレパラートを放り投げ、部屋のドアを開いた。落夢がドアの正面にあった円柱に向かって、
「証拠隠滅キック!」
ヤクザキックを浴びせかけると、病院全体が微震を始めた。風化した建物を保持していたバランスが、その一撃で崩れたのだ。またたく間に手術室のみが崩落、すべての痕跡はコンクリートの土砂に埋まった。
「行きましょか~」「Yeah Yeah Yeah」
点く筈のない『手術中』ランプは一度だけ明滅し、誰にも気づかれず消える。
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