第一章

ep1 胃カメラの亡霊

「内視鏡と胃カメラって同じ意味らしいスよ」


 助手の加速アクセルどう落夢らくむは、彼女の右腕にある『冷やし中華をすするシャレコウベ』のタトゥーを撫でながら、ベッドで寝る私にし掛かってきた。彼女はポリシーにより右胸のみ豊胸しているので、左腕にゴム毬が一つ置かれたような感触を覚える。


「なんでも屋とは言ったけど、こっちは管轄外だな」


 落夢の頭上でタバコに火を点けながら、私はサイドテーブルに置かれた一枚の写真に目を通した。

 写っているのは、食道と思われる粘膜の筒――その内側である。血管の浮いた白い粘膜が、奥へ奥へと伸びていて、胃との境目にある弁はキュッと閉じられている。

 そして、そのなんだか肛門みたいな境目の部分に、『人の目らしきものが写っているから除霊してほしい』との依頼があったのだ。


「しかしこれは……」


 と、私こと御神籤おみくじ きょうは唸る。

 

ちちちちっ!!」

 

 頭のつむじに落ちた灰に絶叫した落夢が起き上がり、タバコの火を指で揉みつぶしながら抗議した。


「殺すぞ!」「やってみ――

『病院内ではお静かに!!!!!!!!!』


 見回りロボットが電子拳銃を向けて警告するので、我々は目を合わせて、あはは、とか、「『軍鶏』の映画版はおもしろくなかったね」みたいな話をして喧嘩をやめた。


「それにしても、全然、心霊に見えないんスよね、それ」


「私もそう思う」


 写真をいま一度見てみるが、そこには心霊らしきものなど何も写ってはいない。メールの内容が確かなら、私たちは健康的な30代男性の食道内粘膜を、病院のベッドの上で吟味していることになる。これは狂気的な事態だ。


「もういっそのこと、依頼主に直接会ってみるのはどうでしょう」「いいね」


 落夢は彼女の着ていた『2♡B Forever』と書かれた中古のクラスTシャツに手を突っ込んで、右の下乳から車のキーを取り出した。


――


 ブウウウウ……ウウウン。


「野良猫を蹴とばして、進みゆくは蜘蛛スパイダー~♪」

「いい歌っスねえ!」


 落夢はハンドルを手放して中腰でオベーションを始めた。

 

「座れっ! ハンドルを握れっ!」


 だが時すでに遅く、窓の外でバゴンと快音が響いた。

 私が窓外に突き出していたアコギのヘッドが、ワゴン車に激突して破損したのである。


「クソッ!」

「見えてきましたよ」

 

 あっけらかんとした落夢が、フロントガラスの向こうを指さす。指さすと言っても、そのガラスの左半分(つまり私の座席側)には『右折禁止』のシールが貼り巡らされていてよく見えない。


 キキッ!!


 落夢がムチャクチャなドリフトを決めて路駐した場所、そこはとある診療所の手前だった。


「依頼人の住所に来たんだよな?」

「そうです。それにしては妙ですよね、だってこれ――」



 ……ただの廃墟じゃないですか?


 

 その言葉に、私はツバを飲む。呑気が取り柄の落夢ですら、歩道へと降ろした足を動かそうとしない。

 十中八九、この依頼はイタズラだろう。

 だからきっと、自分の粘膜を特定少数に認知されることが趣味の変態がメールを寄越したにすぎない。(何だそいつは)


 だが、一割か二割、我々の想像もつかないような事態であれば。あれば。

 

 ――あれば?


「うひゃああ~~!」「メチャクチャ楽しみだっ!!」


 数年ぶりの昂奮が私たちを襲ってきた。

 我々が人間社会で生活すると、日常にスリルというものがない。たとえば頭上から鉄骨が落ちてくるとなると一般的には即死するが、私たちは避けるか、粉砕すればよい。

 そういったスケールで生きていると、ジェットコースター、お化け屋敷などの装置でスリルは得られない。


 では何に出会えば同等の刺激が得られるのかといえば――それは伝説の生物や、はたまた幽霊、そう言った眉唾なる存在との邂逅である。


 ――玄関を通ると、三方から10体ほどの悪霊が飛びかかってきた。


「南無三!」


 落夢は洛臓らくぞう(先天的に超能力を生み出す臓器)に貯蓄されたエネルギーを解放。光子に干渉する亜重力場サブ・グラビティフィールドを展開し、私たちをのぞく周囲の時間を停滞させた。


 私はアコギ、落夢はヌンチャク型キーホルダーで、横並びの悪霊を強烈に殴打。一撃で成仏。

 

 そのまま走る、走る――爆発する欲のままに走る。

 霞のような幽霊を除霊して、もうすっかり怯えて近づかなくなった下級霊みたいな奴も容赦なく屠り去る。幽霊に人権は無いのだ。


 ――ふと。


「ストップ」


 あらかた除霊し終えた辺りで、落夢の首を引いて走行を止める。私たちの進行方向によからぬものが見えたからである。ピン、とそれを指で弾いた。


「ピアノ線か何かですか。そのまま走ってたら痛かったですね」


「計画派の幽霊もいるもんだ」


 い、いひ、ひひ……と声がしたので診察室のドアを見ると、少しだけ開いたそこから、両目に眼帯をしたみすぼらしい男が顔を覗かせていた。


「うわ、不審者」「もしかして依頼人か?」


 男はニヤニヤしているだけで何も言わないので、残りの悪霊を滅ぼした後、身柄をかっぱらって近所の交番に突き出した。


「今回、中々に面白かったですね」「うむ」


 私たちは満足して、駐車違反の紙を張られた車でドライブし、ドライブスルーでビッグマックセットを二つ買って食べながら帰った。


――


 落夢の運転する車で精神病院に戻ると、医者に『ピーナツバター恐怖症』の症状は改善されたため即座に退院しろ、と言われたので荷物をまとめて家に戻った。


 玄関のカギを開けて、荷物を置き、ショートパンツのポケットに入っていたレシートを取り出したところで、異変に気付いた。写真が入っている。スマホが鳴った。落夢から。


「あい。今日もハッピー、御神籤 凶です」


「落夢です。例の写真について、続報が」


「何?」


「あの写真で検索かけたらですね、とある症例がヒットしました。心霊写真じゃないんですが、それによると……」


 落夢がそこで言葉を区切るので、私も手持ち無沙汰になって写真を見た。イチョウの葉脈みたいに血管が浮き出た、食道の、白い粘膜の写真。確かに、病院で捨てたはずの。


「あれね、食道じゃなくて、人の目らしいです」


「きもっ!」


 私は写真を握りつぶし、そのままライターで着火した。

 その日はポテトを食べて寝て、特に霊障などには困っていない。

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