終章
目が覚めるとそこには、見慣れた天井と最愛の人の顔がありました。
私が起きた事にすぐに気が付いたその人は、満面に笑みを浮かべながら泣いていた。
私の記憶に残っているどれよりも、素敵な笑顔でした。
「クイン! クイン……っ!」
それ以上言葉にならない様子で、ベッドで横になっている私に覆い被さる様にして抱締めて来ます。
私の記憶にあった姿より、少し体が大きくなり、その……胸も膨らんでいる様で、こう力一杯抱締められると、気持ち良いやら苦しいやら。でも、見間違えるはずもない。私の最愛の人。結希です。
まだ余り力の入らない腕を精一杯動かして、結希を抱締め返します。
すると感極まったのか、激しい口付けの嵐を受ける事になってしまいました。
為すがまま、結希の口撃を受け止めていると、部屋の戸が開くのが見えました。
結希は口付けに夢中で気が付いていません。何とか伝えようとしましたが時は既に遅く──
「またやっているのか? クインが寝ているからといってあまり羽目を外し過ぎないようにな」
おや? 流れが変わりましたね。
「……んん?」
「いや! 違うんだ! これはそのあれがそれで──。とにかく違うんだ!」
結希が誰に対して何を誤魔化そうとしているのかは知りませんが、私は部屋に入って来たアルモニカ様の方へ、口撃から解放された顔を向けます。
そうしながらも横目で結希をジトっとした目で睨んでおきます。
無抵抗の体を好き放題に弄られるのは、良い気持ちはしませんから。
「だから違うんだってぇぇぇぇぇ!」
「何も違わないだろう。私はいつかこうなると思っていたが」
ベッドの傍に腰掛けたアルモニカ様が私の様子を観察されている。
「体の調子はどうだ? 何かおかしいところはないか?」
「少し、前より体が重く感じますね」
正直な感想を伝えました。
「前の体に比べれば劣るのは仕方がないか。だがまあ、馴染めば十分に動けるはずだ」
なるほど。そういう事ですか。
何となく、自分の置かれた現在の状況が今の言葉で掴めました。
「記憶や人格に、自分で認識出るほどの
「今の所……いえ、そうですね……。ごっそりと抜け落ちている部分があります」
「それにしては平気そうだな」
「あまり良い記憶ではなかったので、無いなら無いで構いません。今の、この世界の記憶があれば、私には十分です」
「ふむ。私が見て、今会話した感じからしても、概ね問題ないと判断する。それでは今日の所はこれで失礼する。二年振りの再会を、あまり邪魔するものではないからな」
二年!?
そんな短期間で私を!?
通りでお二人とも、見た目がそれほど変わっていないわけです。勿論、経た年の分だけ大人びて、より魅力的になられていましたが。
「それではまた、近い内に様子を見に来る」
そう言って何事もないかの様に帰って行くアルモニカ様の目が、零れそうな程にうるんでいた事には気付かない振りをしました。アルモニカ様のお心遣いを無にしないためにも。
「……どこ……?」
結希が辛そうな表情をしている。私は本当に駄目だな。
「良いんです。それに、無くなった記憶はこの世界にはありませんし、無い方が私にとっても都合が良いですから」
そう言っても、結希が納得した様子はありません。
「記憶が無くなっているのに、何の記憶が無くなっているか分かっているのが面白くはありませんか? 抜け落ちている記憶の部分で、何をしていたかを理解している時の記憶──マザーと対峙してからの記憶がハッキリと残っているからです。結希のお陰ですね」
結希をそっと抱締めます。結希も抵抗はしませんでした。
「何で……。クインは何をしたんだ……?」
「マザーは今も?」
「動いてないよ。お陰で、ムーシカは平和そのものだ」
「それは良かった。私がした事はそんな大した事ではありません。マザーのプログラムを書き換えただけです」
「だけど人間の制御は受け付けないんじゃなかった?」
「はい。その為の祈法です。あそこに、分かり易いマザーの筐体があったのも幸いでした。直接プログラムを書き換え、それを伝播させる事ができました。『ムー大陸を開かれた場所にせよ』という彼女に与えられた唯一の命令、それを削除し、この新たなプログラムを全てのマザーに上書きして行くようにと」
「たった……それだけの事に、あれだけの祈法が必要だったのか?」
「いいえ。あれは私の独断です。本来はマザーを完全消滅させる為に私は作られました。私が作られたのはこの時代より遥か未来。マザーによって世界は滅びを迎えていました。僅かに生き残ったムーシカの民と外の世界の人達は協力し、残された技術の粋を集めて私を作り上げたのです。そして彼等は過去に行われたムーシカの祈法による召喚を利用し、私を過去へと送り込んだのです。消えているのはこの後の記憶です。残っているのは結果の記憶だけ。
私は数え切れない程の失敗を繰り返し、その度に召喚の儀式の時まで遡り、やり直すという事をしていました。その中で、人々のマザーに対する感情を祈力に変えて取り込み続けてもいました。
そして今回の世界で初めて、私は、私の使命を、他人に預ける事にしたのです。
なぜそんな事を思ったのかは、私にも分かりません。
積み重ねられた失敗と負の感情に、私自身が壊れてしまっていたのかもしれません。
そうして召喚したのが結希、あなたでした」
「あの時言ってたことは……そういう事か」
そうです結希。あなたは世界を救うために呼ばれた救世主ではなく、私が、私を救ってもらう為だけに呼んだ、私だけの救世主。
「私にも予想外だったのは、私があなたを愛した事。そしてあなたが、私を愛してくれた事。だから私は、あなたと過ごしたこの世界を壊したくなかったのです。何に代えても、あなたとこの世界を護りたかった。その為に、私は私の使命を放棄しました。マザーの消滅に使うはずの祈力と祈法を捻じ曲げ、その反動で私が消滅すると分かっていても」
ドン! と一度、強く胸を叩かれました。
ドン! ドン! と続けて二度。
「馬鹿……っ! クインの……バカ……」
「謝って許される事ではありませんが言わせてくださ──」
「許す! ──でも、次は絶対に許さないっ!」
キッ! と睨みながら、強く、強く、結希に宣告されてしまいました。
その時の私は一体どんな顔をしていたのでしょう。相当におかしな顔になっていたのでしょう。涙と怒りと悔しさで彩られていた結希の顔に、私の大好きな笑顔が浮かんでいたのですから。
「クイン! 誓え!」
「──はいっ! 私、クイン・エスメラルダは、この新たな生涯において、二度と結希を悲しませないと誓います!」
「宜しい」
そう言って太陽の様に笑う結希と、尽きる事ない口付けを交わしました。
「ところで結希。一つ聞きたい事があるのですが」
「何?」
「よくこんなに早く私を蘇生できましたね。どんな魔法を使ったのですか?」
「ああ、それは──」
私が目を覚ましたら見せる心算で、部屋には常に準備していたのだとか。
結希が取り出した物。それは一冊の絵本でした。
『ムーシカ英雄伝』
と題されたその絵本には、勇者クインと、その従者結希の活躍が描かれていました。
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