四章 その①

 魔軍の大艦隊を、星降祭を利用して壊滅させてから二日が経っていた。

 僕とクインは今、ムーシカが治めるムー大陸から北北東に、凡そ一万キロほど行った先にある巨大大陸のその西端に位置する、ドクトリナ共和国に居る。

 何故そんな所に居るかと言えば、こここそが魔軍の本拠地だからだ。

「それにしても、何というか、思っていた感じとは大分違いますね……」

 クインが街を見た感想がそれだった。

「クインとは違う意味でだけど、これはちょっと予想外……かな」

 僕も街に着いた時から酷い違和感を覚えていた。

 僕達が最初に入り込んだ街は、港を有する大きな港湾都市だ。そこへ着いたのは、星降祭の翌日の事だ。

 大きな倉庫が建ち並ぶ港湾エリアに、船からの荷を運ぶ為の整備された広い道路。港湾エリアから離れれば、住宅街が広がり商業エリアも整備されていた。ムーシカとは異なり、ここドクトリナ共和国では十分に科学技術が進歩している事が、一目で窺える。

 僕が知っている日本の都市と比較して考えると、この街には人口が数十万は居るはずだ。百万を超していてさえ驚きはしない。そのくらいの大都市なのだ。

 だというのに、あまりにも見掛ける人の数が少ない。少なすぎる。

 では街が死んでいるかというとそうでもない。荷を運ぶ車は頻繁に行き交いしているし、船からの荷の積み下ろし作業も絶えず行われている。しかしそれらのどこにも人が関わっていなかった。

 住宅街を歩いてみても、商業エリアを歩いてみても、人が居ない。

 もちろん皆無という訳ではなかった。けど、これほどの大都市にしては人が少なすぎる。

 ただ外を出歩いていないだけかと思ったのだけど、そうじゃなかった。

 『魔法』で探索した結果、街の人口は僅かに一万弱。何とも少なすぎる数字だ。これは明らかにおかしい。

 大きな疑問を残しながらもその日の内にその街を抜け、他にも幾つかの街を巡った。

 田舎もあれば都市もあった。発展具合は様々だったけど、どこも豊かだった。

 だけど、人だけが居なかった。

 僅かに残った人たちも、皆死んだような目で、何もその目には映っていない様だった。あれじゃあ文字通り、生ける屍だ。

 あれだけの軍を短期間で編成できる国家なら、良きにつけ悪しきにつけ、もっと活気に溢れていてしかるべきだろう。

 逆に、ゴーストタウンだというのなら、どうして無駄に見せかけだけの豊かさを維持しているのか。使う者の居ない商店、住宅、遊興施設。食べる者の居ない田んぼに畑。無駄を通り越して不気味ですらある。

 まさか青々と生茂る生命の息吹に溢れた田園風景を見て、不気味だと思うような事があるなんて思いもしなかった。

 僕とクインはテキトウに目についた空き家で一夜を明かす事にした。

 家の中には家電、家具が綺麗な状態で揃っていたし、どういう訳か冷蔵庫の中には新鮮な肉や野菜が入っていた。住んでいる人間など、このエリア一帯に一人も居ないというのに。当然、家の中には生活臭なんていう人間らしいものは無い。ホラー映画にでも迷い込んだのかと錯覚してしまいそうだ。

 さてこの出所の分からない、けど美味しそうな食料をどうしたものかと考えていたら、クインが何の躊躇もなく取り出して料理を始めるじゃないか。

「クイン……?」

「どうしたのですか? 変な顔をして。折角良い食材があるんですから、腕を振るいますよ。期待してて下さいね。あ、でもその前に……」

 クインって意外と肝が据わってるよね。

「これの使い方を教えてください」

 そう言って指さしたのは、キッチンに備え付けのガスコンロだった。


 そうしてクインの美味しい手料理を食べ、決戦前の高揚感と誰も知る人の居ない解放感から同じベッドで一夜を過ごした。正直キスの余韻があった事も否定できない。クインと顔を合わせるのが気恥ずかしいが、何というか満足感のようなものもある。

 珍しく寝坊助なクインを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、リビングで朝日を浴びながら昨晩の事をぼけーっとしながら思い出していたら、クインが起きて来た。

「おはようございます……」

「おはよう……」

「「…………」」

「あ……朝食、直ぐに用意しますね」

 気まずさに耐えかねた様にクインは、キッチンへと逃げて行った。

 あああああああああああああああああああ!

 クインの顔、めっちゃ真っ赤になってた!

 って僕も人の事言えないだろうけど!


 クインが用意してくれた朝食を食べながら、昨日この辺りを見て回った感想をクインに尋ねて見た。真面目な話でもしてないと直ぐに思考がソッチに行ってしまいそうで……。

 クインは魔軍の本拠地だという事で、もっとおどろおどろしい、教典に出て来る地獄の様な場所をイメージしていたようで、ムーシカよりも進んだ文明──というかムーシカは実質鎖国状態で文明の発展が遅れている──にかなりの戸惑いを覚えたようだ。

 ただ、この人の少なさに関しては「やはり」みたいな感想を抱いている。魔軍に侵略された結果、つまりムーシカの未来をこの国の様子に重ねているのかもしれない。ただそうなると、街が豊かなまま維持されている事の説明がつかない。この国がムーシカと同じ様に魔軍の侵略を受けたとするのなら、この国は廃墟すら残っていないはずだからだ。

 今日の目的は、まずこのドクトリナ共和国の首都マリーに行く事だ。

 マリーまでは現在地から東へ百キロほど。鉄道が走っているので、それに乗って行けば迷うこともない。

 初めて来た国の地理を何処で知ったかといえば、普通に本屋で地図を買ったからだ。

 いや、あれは買ったと言って良いのだろうか。

 地図を手に取ったらもう購入済みになっていた。

 これだけ人が居ない国だ。通貨という概念自体が捨てられてしまったのかもしれない。

 まあお金が要らないというのは、今の僕達にとってはありがたい。

 マリーに何かがあると分かってて行く訳じゃない。

 昨日幾つかの町や村、都市を巡ったけど、魔軍に襲われるなんて事はなかったし、それらしき影すらも見掛けなかった。怪しい雰囲気だけは感じ取れたけど、手掛かりはゼロと言って差し支えない。

 というわけで、首都にでも行けば何かあるだろうという、非常に希望的観測に基づいた結論に達したわけだ。

 アルモニカには大見得切って出て来た以上、それなり程度の成果では帰れない。

 ましてや、

「何も分かりませんでしたー。テヘペロ」

 なんて言おうものなら、今後一切アルモニカに頭が上がらなくなってしまう。

 僕が後ろ向きな想定に身を固くしていた頃、僕の隣ではクインが初めての鉄道に、酷く落ち着かない様子で周囲をキョロキョロしていた。


          ◇


「はあ? 敵の本拠地に殴り込みに行って来る、だと?」

 アルモニカの第一声は、僕を非難するものだった。

 時は星降祭で魔軍の大艦隊を殲滅した直ぐ後の事。

 地上に戻った僕達は、心配した様子で待っていたアルモニカに戦果を報告した。

 その流れで言ったのが、アルモニカの言葉にもあった、敵本拠地への直接攻撃だ。僕とクインが直接敵の本拠地を破壊して来ようという、大胆不敵かつ、抜本的解決をもたらす画期的な作戦だったんだけど、どうやらアルモニカはお気に召さなかったらしい。

「こんな短期間であれだけの数を用意できる奴らだからね。根っこを潰さないと何度でも、それも前より戦力を増強して兵を送って来る」

「言いたい事は分かるが、だからといって二人で行くのは余りにも無謀だ。いや、無謀を通り越して馬鹿だ。大馬鹿だ。お前達にそんな事をさせるわけにはいかない」

「いや。逆だよアルモニカ。僕達二人だけだからいいんだ。敵の本拠地なんて何があるか分からないんだから、足手纏いは必要ない。その点、僕とクインなら敵がいくら来ようが何とでもなる。危なくなれば逃げるのも簡単だしね」

「馬鹿を言え。物には限度というものがある。お前達が強いのは十分承知しているが、体力気力は無尽蔵ではない。祈力で補おうにも、祈力にだって限界はある。もっとしっかり作戦を練ってから突入すべきだ」

「それじゃあ遅い。大きな戦力を失った今がチャンスなんだ。奴らは今戦力の補充に掛り切りになっているはずだ。今日、明日っていう喫緊きっきんでの大陸への再侵攻はないと見ていいと思う」

「なら……!」

「だから。今こそ僕とクインが大陸を離れても大丈夫なんじゃないか」

「……っ」

「今、どれだけ戦える戦力が大陸に残ってる? 今から奴らの侵攻に耐えうる要塞を造れる? それも半年と掛けずにさ」

「……」

「奴らに時間を与えちゃダメなんだ。まだ戦いは終わってない。アルモニカが心配してくれるのは嬉しい。でも、僕はこの国を救うために呼ばれたんだ。それに、僕自身もこの国を救いたい。だってクインと、アルモニカ達が居る国だからね。だから僕は行くよ。救える手段があるのに、それをみすみす捨てる様な事はできないんだ」

 アルモニカは両手をグッと握り締めてうつむいている。

 本当はアルモニカだった分かってる。何せ一軍の司令官様だ。戦争の事に関しては僕なんかよりずっと良く理解している。

「今の私は司令官じゃない。ただの開拓団のリーダーだ。そしてお前達はその開拓団の仲間だ。仲間を、友人を、贔屓して、心配して、何が悪い……! 行くな! 行かせるもんか!」

 絶対に行かせないという確固たる意志を持ってアルモニカが立ち塞がった。

 僕はそんなアルモニカを力づくでどかす事は出来なかった。僕に出来た事といえば、ただ抱締める事だけだった。

「約束する。必ず帰って来る。全部ぜーんぶ片付けてね」

「うるさい……。私は行くなと言っているんだ……」

「帰ってきたら一緒に王都でお買い物しよう。服とかアクセサリーとか、アルモニカもそろそろお洒落をしても良いと思うんだよね。それに、アルモニカとデートはした事なかったから、いい機会だ」

「……クインに怒られないか?」

「クインはそんな事で怒らないよ」

「そうか?」

「そうだよ」

「そうか……。そうだな。……はは。格好悪いな、私は」

「そんな事ないよ。今までが頑張り過ぎだったくらいだ。出来過ぎだよ、アルモニカは」

「……必ず、帰って来い。絶対だ。怪我一つだって許しはしないぞ。分かったな!」

「承知いたいしました。姫様」

「ばか……。さっさと行け! 私の気が変わらない内にな」


          ◇


 特に何が起こるでもなく、当然の様に列車はマリーに到着した。

 列車に乗降する客はゼロ。駅のホームにも人は一人も居ない。駅員すらも。

 しかしというかやはりというか、それでも駅は荒れた様子もなく、綺麗に整備されている。

 もうそれに疑問を抱く事もない。当然の様に受け容れる。

 散々見てきた光景だから。

 しかし一つ大きな変化があった。

 駅を出て直ぐの正面にあった大型のモニターに、一人の人物が、僕達を待っていたかのようにタイミングよく映し出された。

 いや、実際待っていたのだろう。僕達がここまで来るのを。

『ようこそ。異郷の友人よ。私はあなた達を歓迎します』

 画面のそいつは、そんな事を言って来る。

 画面に映るそいつは、若い女性だ。二十から三十、くらいに見える。薄い金髪に碧の瞳、慈愛に満ちた母性的な表情でこちらを見ている。声にも違和感はない。とはいえ、僕達に用のある人間が、この画面に映る人物であるという保証はないし、この声も本物かどうか。信じる要素は何一つない。話す内容に関しても、だ。

 クインは初めて見るモニターという物に目を丸くしている。けど、驚きはしても冷静に、僕とモニターの相手、そして周囲の様子をしっかりと観察していてくれる。

「お前が魔軍──」

 一拍おいて言い直す。


「あのロボット兵団の司令官か?」


 ここまで来て何を隠す事もない。

 ずばり単刀直入に聞いてやった。

『その質問への回答は、イエスでありノーです』

「言葉遊びに付き合う気はない」

『申し訳ありません。異郷の友人よ。かのムー大陸へ彼等を送り込んだのが私であるかという意味では、それはイエスです。そして私が司令官であるかという意味では、それはノーです』

「じゃあお前は一体何だ?」

『それはここでは申せません。よろしければ私の許までいらしてください。私はここから動く事が出来ませんので』

「良いだろう。案内しろ」

 モニターと会話をしながら、『魔法』でその裏に居る存在をくびり殺してやろうとしていたのだけど、どうも上手く行かない。

 罠の可能性はあるけど、ここまで来た以上引き下がる理由はない。

 僕の返事を聞くと、直ぐに一台のドローンが飛んで来た。

 それをクインが反射的に斬り落とそうとしたのを、僕が止める。

 ドローンに付いて行った先は何の変哲もないエレベーターだ。

 ドローンと一緒に乗り込むと、ドローンは操作盤に張り付き何かしている。

 暫くすると、エレベーターは少しくだった後水平方向に移動を開始し、その後更に下降を始めた。随分と念の入ったお出迎えだな。

 エレベーターを降りると、エレベーターは元の場所に戻って行った。これで容易にはここから出る事は出来なくなった。普通なら。

 『魔法』で現在地は把握済みだ。いざとなれば空間移動で脱出する事は難しくない。

 だけどどこで奴が聞いているか分からない。

 クインにここで説明する訳にはいかなかった。だけどクインは退路を断たれたというのに、焦りを見せる様子もない。

「行きましょう」

 僕は黙って一つ、頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る