三章 その③

 目が覚めるとランプに照らされたテントの中だった。

 慌てて飛び起きると、物音に気付いたのだろうクインがテントの中に入って来た。

「おはようございます」

「時間は?」

「まだ大丈夫です。そう言う私も先程起きたばかりですけど」

 クインの言葉に思わず「はぁ~」と安堵あんどのため息が出た。あれだけ大見得切って寝坊しましたじゃ格好が付かないどころの騒ぎじゃない。

 平静を取り戻すと、外からはもう祭の喧騒が聞こえて来る。陽気にかき鳴らされる楽器の音、それに合わせて歌う声。上手な者も居れば下手な奴もいる。でもそんな事は誰も気にしていない。とにかく皆で騒いで楽しんでいる様子がここまで伝わって来る。

 外に出て見るともうすっかり陽は沈んでいた。夜の闇に負けじと至る所に篝火が焚かれ、祭の会場は煌々と照らされている。

 空を見上げれば雲に覆われた生憎の天気だ。

「じゃあちょっと行って来る」

 ここからは僕の仕事だ。

 篝火の明かりの外に出れば、そこは漆黒の闇だ。日本の様に街灯もなければ、地球の様に月もない。星は驚くほど綺麗で、良く見えるけど、だからといって地上を明るく照らしてはくれない。まあ、人に見咎められずに済むので好都合ではある。

 『魔法』で一気に上空へと舞上る。そのまま雲に突っ込んで──突き抜ける。大陸に掛かる雲が一望できる高度まで上がって停止。南部は快晴。北部は広い地域に渡って雲に覆われている、と。肉眼では真っ暗で碌に見えないから、これも『魔法』で視ているわけだけど、何か嫌な物まで見えた気がする。「視線」を北東方向に向けて改めて再度確認。嫌な予感は当たっていた。

 北東方向、凡そ五千キロ先の海上に、百隻を超える大艦隊の姿が見えた。見えてしまった。試しにその中の一隻を詳細に覗いてみると、艦内には大量の魔軍兵が詰め込まれていた。概算だけど、一万体を下る事はないだろう。都合、百万を超える圧倒的大軍団だ。これが上陸してしまったら、今度こそムーシカは滅ぼされてしまうだろう。

 問題は、奴らを迎え撃つ戦力はもうムーシカには残されていないという事。奴らが迫って来ている事に気付けなかった事だ。今このタイミングで気付けたのは本当に偶然に過ぎない。とはいえ、今更これを伝えた所で打てる対策はない。奴らは恐らく一週間と掛からずにここに辿り着いてしまうだろう。百万の大軍を相手にして、勝利できるだけの準備が出来る様な時間は残されてない。

 となれば、採れる方法はただ一つ。

 奴らが大陸に辿り着く前に、全て海の藻屑に変えてしまう。これ以外にムーシカが生き残る術はない。

 問題はそれをどうやってやるか、だ。

 幸い、奴らは全て海の上だ。船を沈めてやれば……いや待て。海に沈めたからといって必ず死ぬとは限らないな。なんせ奴らは人間じゃない。もしかしたら自力で海を渡ってくる可能性もある。船を使っているのはその方が効率が良いからと考えれば、不自然な事はない。

 船を沈めるだけなら百隻くらい、かなり、かーなーり疲れるけど、やってやれない事もないかもしれないかもしれない。……いや、ちょっとキツイかなぁ。それを中の魔軍兵推定一万体毎消し飛ばさなければいけないとなると、これは流石に無理だ。

 これは困ったぞ……。どうする。どうする……?

「結希。大丈夫ですか?」

 突然クインの声がした。

 キョロキョロと周りを見回してみたけど、姿はない。

「何かありましたか?」

 心配そうなクインの声。あっそうだった。通信用の宝珠か。

 ごそごそと手荷物を漁って宝珠を取り出す。

「ごめんごめん。僕は大丈夫。ちょっとトラブルがあってね。雲を払ったら直ぐ戻るから、その時話すよ」

「分かりました。お待ちしています」

 ダメだなー。クインに心配掛けてしまった。

 うん。よし。まずは祭だ。魔軍の方はまだ何日か猶予がある。未来の僕が何とかするだろう。こうなったらヤケクソだ。

 『魔法』を使って気流を掴み、ぐいっと捻じ曲げる。イメージとしてはそんな感じだ。

 風向きを北から西へ。上空にだけ強めの風を吹かせて、一気に雲を吹き飛ばして行く。

 もっと早い時間から取り掛かる予定だったから、果たして間に合うかどうか。最悪でもある程度は見える位にはなるだろうとは思うけど。

「とりあえずこれで良し。あとは時間との勝負だな」

 一仕事終えた僕は地上に戻った。上で見た事をクインと相談しようと思ったら、テントの中にはアルモニカも居た。

「おかえりなさいませ」

「首尾はどうだ?」

「うんまあ、何とか間に合うと思う。それとちょっと相談がある。いいかな?」

 一応改めてテントの周囲を確認しておく。人気はなし。

「何だ? 秘密の話か?」

「うん。絶対に他言無用の話だよ」

「先程様子が変だったのはそのせいですか」

「ああうん。そうなんだ。落ち着いてる場合じゃないんだけど、落ち着いて聞いて欲しい……と思う」

「勿体ぶるな」

「魔軍兵を乗せた船がこちらに向かって来ている」

「「──っ!?」」

「それも僕達が倒した数の、五倍は居る」

 魔軍の再度の襲来だけでも衝撃だというのに、追い打ちを掛ける様な絶望的な数字。

 クインもアルモニカも言葉が出ないようだ。

「──確か、なのか……?」

「数はおおよそだけど、凄い数が向かって来ているのは間違いない」

「いつ、来る?」

「今日、明日って程じゃないけど、そんな先の事でもない。遅くても一週間以内には……」

 残された日数の短さに、アルモニカの表情は絶望に染まっていた。

 司令官を務めていた身だ、僕の情報から王国の破滅が不可避である事が分かり過ぎる程に分かってしまうのだろう。

「アルモニカ様。諦めるのはまだ早いですよ」

 クインは、笑っていた。

 僕でさえ内心、正直言って諦めかけているところだったのに、クインからは一欠けらもそんな様子がない。クインは凄いと思う。本当に、だ。

「幸いまだ敵は海の上です。ですよね? 結希」

「え、ああ、うん」

「なら、上陸して来る前に倒してしまえばいい」

 おおう。クインも僕と同じ発想か。でも、それをどうやって実現するかが問題だ。

「結希は何か策がありますか?」

「それがあればこんな深刻な顔して相談してないよ」

「アルモニカ様は何か思い付きませんか?」

「無理だ。相手の数が多過ぎる。そういうクインには何かあると言うのか……っ!」

「はい」

 現状を理解してないとしか思えないようなクインの態度に、苛立ちをぶつけるアルモニカに対して、クインは事も無げに言ってのけてる。

 え? まじか。クインは一体どうやってあの大軍を殲滅する気だ?

「私が敵の船に乗り込んで、殲滅してきます。これを百回繰り返せば終わりです」

 おう……。クインさん……。まじ脳筋かよ。

 呆れているのは僕だけじゃない。アルモニカもポカンとした顔をしている。

「いやいやいや。待って。それは流石に無理がある」

 と僕が言うと、

「無理無茶無謀は百も承知です。ですが、それでもやらなければ終わりです。出来なければ終わるんです。だったら、やるしかないでしょう!」

 クインに一喝された。

「何かお二方に妙案があるのでしたら私もそれに従います。ですが、それはないと言われました。でしたら、私が、持てる全ての力を、いいえ、それ以上の力を振り絞ってでも敵を殲滅してみせます!」

「わわわ、分かった。クインの気持ちは分かったから! 僕もちょっと気持ちで負けてた。謝るから少し落ち着こう!」

 フーフーと息を荒くしているクインを何とか必死で宥める。

「流石にそれよりは良い作戦を考えるから、もうちょっと待って」

「もうちょっとっていつですか!」

「もうちょっとはもうちょっとだよ。流石に直ぐには思い付かないから!」

 ガックンガックン揺さ振られながら、何とか言葉を絞り出す。

 実際問題、魔軍もだけど特攻しかねないクインもどうしようかと頭を悩ませていると、

「あーお楽しみの最中申し訳ないんだがな、そろそろ本番の支度をする時間だぞ」

 呼びに来たのはクラビスさんだ。

 渡りに船と僕はこれに飛び付いた。

「うん。皆を待たせては悪いからね。さあ、お祭りのメインイベントだ! 張りきって行こう!」

「結希! 話はまだ終わってません!」

 殊更明るく言葉にして、クインの手を取って強引に連れて行った。

「お嬢。何かありましたか?」

 尋常じゃないアルモニカの様子に加え、僕とクインの様子もおかしいとなれば大して鋭くない者でも不信に思うだろう。クラビスさんならもっと深い所まで察してしまうかもしれないと気付きながら黙っていた。

「……何でもない」

 そうとだけ告げるアルモニカの声を、背中で聞きながら。


 祭の会場は、それまでの喧騒が嘘だったかの様に静かだ。でも決して無音ではない。それまでの賑やかな楽器の音、出鱈目な歌声、大声ではしゃぎ騒ぐ声、それらに代わって隣に居る愛する人、親しい人との細やかな会話の音が、重なり合い、混ざり合っている。

 皆、思い思いに地面に寝転がり空を見上げている。

 僕も空を見上げた。

 雲は空に二割ほど。それも直に消えていくだろう。

 絶好の星降祭日和となった。

「結希。いまは──」

「今は祭を楽しむ時だ。焦っても良い考えは浮かばない。それに──」

 空を見上げていた視線をクインに向ける。目と目を合わせる。少し怒った顔も可愛い。

「それに、折角皆で準備したんだ。台無しにしちゃあ勿体ない」

「結希……。はぁ……」

 ニカっと笑ってみせた僕に、クインも怒った顔を止めて少し笑った。やっぱり笑った顔が一番好きだな。

「なんですか?」

「なんでもない」

 じっと見つめ過ぎた。

 すっ呆ける様に視線を逸らしたら、こちらに向かって来るアルモニカ達の姿が見えた。

 こっちこっちと手を振ると、アルモニカも小さく手を振り返して来る。

 歩ける程度にはショックは抜けた様だけど、遠目にも元気がないのが分かってしまう。

 二人と合流すると、僕達も手ごろな場所にシートを広げて寝っ転がる。煌々と広場を照らしていた篝火には、順次蓋がされて行っている。最後の篝火に蓋がされると、辺りは一面夜の闇の中だ。隣に居るはずのクインの顔さえ良く見えない。でも、それだけに、夜空の星は一際明るく輝いて見える。

 大陸中の人達が今、夜空を眺めながら祈りを捧げてくれているだろう。

 そろそろ時間だなという所で、広場に集まった人達から淡い光の玉の様な物が、ポン、ポン、と飛び出しては空へと昇って行く。

 んん? 何だこの現象は?

 しかも一人や二人じゃない。全員だ。一人の例外もなく、アルモニカやクラビスさん、クインからも出ている。そしてそれに驚いている様子もない。驚いてるのは僕だけだ。

「どうしました?」

「いや……何か皆から光の玉? みたいなのが突然出てきて、ちょっと驚いてる」

 見たままの事をクインに伝えた。

「結希にも見えますか。綺麗ですよね」

 クインが言う通り、確かに幻想的な光景だ。その光の玉は、光を放ってはいない。ただそんな風に見えているだけだ。だからだろうか。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がって行く無数の玉の儚さが、とても美しく感じるのは。

「あれは祈法として練られていない、祈法の卵みたいな物です。あれを肉眼で捉えられる人は多くはないんですよ。流石は結希ですね」

「祈法の卵……」

「祈法を扱えるのは祈法士だけです。ですが、祈力を持つ私達の強い祈りが祈力と反応して、こうして祈法の卵を生み出すのです」

 強い祈りの力?

 僕はこの光の玉からはどこか温かい物を感じる。でもそれが全てじゃない。中には冷たい物や、濁った物もあったりして、色とりどりだ。祈りというどこか画一的なものじゃない、もっと純粋で、人の根源に近い物を、この光の玉からは感じる。

 何だろう。

 何だろう──。


『星降祭とは願いを叶える星降りを祈願する祭』


 というアルモニカの言葉が何故かふと脳裏をよぎり、それだ! と得心がいった。

 願いだ!

 祈法、祈力の源は祈りじゃない。恐らくだけど、その根源は願いの力だ。

 願いを実現させるための力、それが祈力。

 願いをカタチにするための手段、それが祈法。

 それは時に僕の『魔法』より貧弱で、時に僕の『魔法』を凌駕する。そしてそれは、奇跡を呼び起こす絶大な力たり得る可能性を秘めている。

「いける……」

「え……? 何処にですか?」

「これはいけるかもしれない。いや、絶対上手く行く! はず!」

「どうしたんです結希」

「クイン! 協力して欲しい!」

「へ? はい。それは勿論何だって協力しますけど──おおぉぉぉぉ」

 クインの言葉を最後まで聞く事なく、僕はクインの腕を掴み空へと舞い上がっていた。

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