二章 その②
魔軍の襲来に備え、僕とクインもアコルデオン砦に詰める事になり、僕とクインそれぞれに一部屋ずつ、隣り合わせで用意してくれた。今は部屋が沢山余っているからなとアルモニカは言っていた。理由は……まあそういう事だ。
砦に着いてから二日。予定では明日にも魔軍が姿を現すはずと想定されている。
いよいよか……。と砦全体がどことなく緊張感に包まれていて、少し息苦しさを感じる。そういう僕も、作戦がどの程度上手く行くかは相手次第という事もあり、少し緊張しているようだ。どうも寝付きが悪い。
少し夜空でも眺めて来るかと屋上に行くと、そこには先客が一人居た。
軍服姿のままのアルモニカだ。
煌々と灯りは
となると、アルモニカが人払いをしたか、アルモニカに気を遣ったか。大方そのどちらかだろう。
「ここは空が狭いね」
そっと近付いて空を見上げながらそう声を掛けてみた。
「私にとっては空とはこの広さが当たり前だがな。それに今日は良く見えている方だ」
アルモニカは振り返らずに返して来た。ここで生まれ育ったアルモニカにとっては、見上げ切れない程高い山々に遮られたこの狭い空こそが、当たり前の物なんだろう。もっと広い空を見て欲しいなと思うのは、僕の勝手な感傷に過ぎない。
アルモニカの言う通り、瞬く星々を見上げる事が出来ていた。一年の大半を、山々に掛かる雲が空を覆い隠すこの地では、こうした雲一つ見えない空は珍しいのだそうだ。
「結希殿は寝なくて良いのか? 明日からは忙しくなるぞ」
「大変なのは僕よりもアルモニカの方じゃない? それと砦の皆だ。僕はそれに少し手を貸すだけ。アルモニカの方こそ、軍服のままじゃないか」
「今夜でこの空も見納めかもしれんと思うと、どうにも寝る気にはなれなくてな」
そう言いながらアルモニカは僕の方に向き直ると、ギュッと抱き付いて来た。驚いた僕は咄嗟に振り解こうとしてしまうのを、グッと堪えた。アルモニカの体は小さく震えていた。僕は意を決して、そっと抱締める事に成功した。別にやましい気持ちはない。本当に本当だ。僕はあくまでもクイン一筋だから。だからこれは浮気とか気の迷いとかそういうのじゃないんだ。これはあくまでもアルモニカの為にやっている事であって……ってああもう! 誰に言い訳してるんだ僕は!
暫くそうしたままでいると、少し照れた様子でアルモニカが身を離した。ホッとしたような少し残念な様な。
「急に済まなかったな。だが、少し落ち着いた」
「まあ、半分僕のせいみたいなトコもあるしね。お役に立てて何よりだよ」
「いいや。そんな事はない。いや、これだと役に立っていない様に聞こえるか」
「大丈夫。分かってるよ」
「そうか。なら良い。それに、結希殿のせいではないさ。勝てる見込みのある策があり、僅かながらとはいえ、私が生き残る可能性もあるのだからな」
「それでもきっと、多くの命が喪われる」
「元々全滅する以外の未来はなかった。それに比べれば、どれほどの犠牲だろうと多少はマシと言うものだ」
少しもマシだなどと思っていなさそうな、辛さを押し隠した横顔を僕はただ見ている事しか出来なかった。
気候的には温暖な場所とはいえ、場所柄だけに風は強く、夜風は冷たい。このままだと、僕はともかくアルモニカが風邪を引いたりしないだろうかと、少し心配になって来る。
「そろそろ部屋に戻ろうか。あまり体を冷やし過ぎると明日に差し支えるからな」
「寝られそう?」
「ここに一人で居た時よりは、な。それに……」
アルモニカは視線を僕の後ろ、屋上への出入口になっている扉の方へ視線を向ける。
「これ以上結希殿と二人きりだと、あらぬ誤解を受けそうだしな」
何の事だ? と後ろを振り返ると、慌てて扉の陰に隠れるクインの姿が目に映った。
クイン……。いつの間に……。っていうかいつから居たんだ……?
「フフ。まあ私は誤解されても一向に困らんがな。弁解は結希殿でしておいてくれ」
そう言ってアルモニカは僕を置いてスタスタと歩き始めている。
え? ちょちょ。ちょっと待って。待ってアルモニカさああああああああん!
扉の所で立ち止まったアルモニカは一言、
「それじゃあ、おやすみ」
誰に向かって言ったのだろうか。それだけ言うと、後は振り返る事無く砦の中へと消えて行った。取り残された僕は、唯一の出入口に潜むクインという回避不能の地雷を前に、ただ立ち尽くすしか術がなかった。僕の万能な『魔法』もこういう時には役には立たない。
僕のクインへの弁解はその後一時間以上に渡って続き、
「ふーん。まあいいんじゃないですか。結希様のお好きにどうぞ」
という温かみの欠片もない言葉と視線で打ち切られた。
決戦を前に、僕はもう死にたい気分だった。
◇
「ほう。聞かせて貰おうじゃねぇか。その策とやらをよ。本当にあるんならな」
テキトウ抜かしやがったらぶっ殺してやる。と顔に書いてありますよと言ってあげたくなる
そう。これは僕が「策がある」と言った後の出来事だ。
「僕の策は単純だよ。アルモニカを囮にして敵の総指揮官を炙り出し、これを僕が単騎で叩く。以上終わり」
「はあ?」
ちょっと説明があっさり過ぎたか。まあしかし、ざっくり言えばこの通りだしなあ。
「取り敢えず一ついいか?」
「はいどうぞ。クラビスさん」
「お前の腐った脳みそごと粉々にしていいかな?」
笑顔で怖い事言うなこの人。
「いいわけないでしょ。はい次ー」
とはいえ、そんな物で怯むような神経をしていないので、軽く流しておく。実際に襲われたとしてもクラビスさんでは僕の相手にはならない。それが僕には解っている以上、顔の迫力以上の恐怖はない。
「では、私からもまず一つ良いかな?」
「はいどうぞ。アルモニカ」
「おい」
アルモニカの質問をクラビスさんが遮る。
「さっきもだが、ウチのトップを呼び捨てとは随分だな。おい。何様だ?」
「国王代理の救世主様だけど? 立場で言えば今は僕の方がアルモニカより上だよ。クラビスさんこそ僕に対する態度を考えた方がいいのでは?」
「てめぇをここで殺しちまっても誰も文句は言わねぇんだぞ」
サッとクインの手が剣の柄に伸びるのを、僕はそちらも見ずに「平気平気」と手を振って合図をしておく。
「私が居るのだが? 忘れて貰っては困るな」
「お嬢!」
「私は別に何と呼ばれようと構わん。それに結希殿の言う事は
「しかしですね」
「しかしもかかしもない。それと結希殿。あまりこの馬鹿を挑発せんでやってくれ。ただ、私の事を大切に思っての事なのだ。この馬鹿の代りに謝罪しよう」
またアルモニカが謝ってる。
じとっとした視線をクラビスさんに向ける。
おっさん。上官に、しかもこんな年端もいかない少女に謝らせるとかお前正気か? と。
もう一つ言えば、これで二回目だぞ、と。
これには流石のクラビスさんもバツが悪くなったのか、頭をガリガリと掻いている。
「あークソっ! 俺が悪モンみたいじゃねーか!」
「どう見ても悪人顔だろう。お前は」
「そりゃないぜお嬢……」
「なら一々結希殿に突っかかるのは止すんだな」
「へいへい。分かりやしたよ」
「はぁ……全く。じゃあ改めて私から質問させてもらうとしよう」
渋々といった感じで引っ込んだクラビスさんに念押しの一睨みを利かせてから、アルモニカは再度僕に聞いて来た。
「ざっくりとで良い。成功率と損耗率についてどうお考えか?」
「そうだね……。まず、良い話をしようか。作戦の成功率はほぼ百パーだよ。敵の指揮官を炙り出し、コレを叩く。ここまではね」
「それは素晴らしいな。ほぼというのは?」
「僕が突然死しないとは限らないからね。そういう意味で百パーと言い切らないだけ。戦えば必ず勝つ」
「根拠は? と言いたい所だが、先日の王都での報告はこちらにも来ている。一先ずは信じよう。それと、それ以降については?」
「それは損耗率にも関わって来るかな。僕の予想では五十……」
「五十だとっ!? ふざけるな!」
その数字は、実質軍の壊滅を意味する数字だけに、クラビスさんの怒りも尤もだ。
アルモニカは見た感じは平然としてみせている。だけど、すこし手が震えていたのを僕は見逃さなかった。でも、それを指摘する様な野暮な事はしない。
「それも良くて五十……かなと。出来れば三割は残って欲しいから、クラビスさん達には是非とも頑張って欲しい」
「それは何のための三割だ……?」
「勿論。勝利の為のだよ」
勝利。
僕は敢えてそう言い切った。
「それで魔軍を追い返せる……と?」
そのアルモニカの言葉に僕は首を横に振る。
救世主として呼ばれた僕が、多くの犠牲を払わせてまで得る代償が、高々一戦如きの勝利で満足するはずがないじゃないか。
「奴らをこの国──大陸から一掃する!」
僕のこの大胆発言には、さしものクインすら驚きを隠せないでいた。
「敵は人ならざる者達の集団だけど、軍を構成している以上は取り纏めている司令塔が居るはず。王都でやつらの部隊と戦った際に、どこかと交信している気配を感じた。流石に王都からじゃ距離がありすぎて何処の誰と交信していたかは分からなかったけど、その相手は何らか軍の指揮に関わる部署のはず。その辺アルモニカ達に情報はない?」
「確かに。魔軍の奴らは統制が良く取れている。恐ろしい程にな」
「しかも奴ら、死ぬ事も傷付く事もまるで恐れてねぇ。厄介な相手だ」
「我々も敵の指揮官を探す努力はしてみた事がある。収穫は
「それは?」
「敵の指揮官には、外見や行動で分かる様な差異がないという事だ」
「それは残念」
さほど残念でもなさそうな僕の態度に、アルモニカは少し戸惑い顔だ。
大した情報がないのは想定内。
「大丈夫。僕には敵の交信が『視える』から。そして、一番集中している所を叩く」
「その為に私を囮にするのだな」
「うん。敵は前回の交戦で初めてこちらの指揮官だった前総司令を討取ってる。だけど結果は新たな司令官であるアルモニカが登場し、撤退を余儀なくされた。敵は馬鹿ではないけど、人間の様な思考回路は持ち合わせてない。だから次は直ぐに殺してしまわずに、別の行動を取って来る可能性が高い。そしてそれを判断するのは──」
「指揮官だろうな」
「そういう事。だからこちらの最初の一手は、アルモニカが魔軍にやられる事」
「──承知した」
決意と覚悟。
アルモニカにはそれがある。死んで欲しくはないけど、生き残れる確率はそう高くはないだろう。直ぐには殺されないだろうが、捕虜にするなんて発想は魔軍の奴らにはないだろう。どの程度生かして居てくれるかは奴らの考え次第だ。時間との勝負になるだろう。
こんな最低な策に、何も反論できない自分の弱さを呪うみたいにクラビスさんは両の拳を強く、強く握り締めていた。
「それで。俺達は何をすればいい?」
クラビスさんの言う『俺達』とは、この砦をこれまで守り続けて来てくれた精兵達の事だ。
「『その時』までひたすら耐え続けてもらいます。この砦に敵の全兵力を釘付けにする事。これが二の手。一日とは掛からない筈だけど、その間に相当の被害が出るでしょう」
「はっ。舐めんじゃねぇよ。この砦の防壁があれば一週間や二週間くらい耐えて見せる」
「ええ。そうでしょう。しかし今回は、砦の中に引き込んでもらいます」
「はあ!? 馬鹿を言うな! そんな事をしたら……!」
「間違いなく落とされるでしょう。それもあっという間に。でも、落とされないで下さい。そして死なないで下さい。僕の策の本当の要は、クラビスさん達なのだから」
「糞がっ! 無茶苦茶な事を簡単に言ってくれるぜ」
「それでもやってもらうしかありません」
「んなこたぁ分かってんだよ! クソ! クソ! 糞がっ! それで! その時ってのはいつ来るんだ!」
「来れば分かります。そしてそれが反撃の狼煙になる。その時は思う存分敵を蹂躙してやればいい。徹底的に。一兵たりとも帰さないつもりでね」
これをするには兎に角人手が居る。僕一人では流石に手が回らないのだ。
その為にこの砦の兵には一人でも多く生き残ってもらう必要があるし、敵を出来れば全て砦に引き込みたい。さっきも言った通り、一兵たりと逃がさないために。
敵を誘い込む為のエサは考えてあるが、果たしてどこまで効果があるか。
「敵を砦に誘い込むための囮は、僕の相棒であるクインにお願いしてある」
「なるほど。祈法で釣るのか」
「とびきり強力なヤツでと頼んであるけど、具体的にどんな祈法を使うかはクインに任せてる。魔軍は強い祈法に対して優先的に処理しようとするのを利用する」
「それなら常に不意打ちに近い形で敵と戦い続けられるな」
「一日は保ちそう?」
「クラビス達ならやり遂げてくれると信じている」
なあ? とアルモニカがクラビスさんに信頼を篭めた視線を向けると、クラビスさんはツカツカと僕の前に詰め寄って来る。
こうして目の前に立たれるとクラビスさんは大きい。縦も横も厚みも。僕の視線はクラビスさんの首のあたりだ。壁の様にがっしりとした体型は壁の様に迫力がある。
そのクラビスさんが僕を見下ろし、睨み付けるように宣言する。
「七割だ」
「へえ……」
その視線を僕は、挑発する様な笑みで受け止める。
「損害は三割未満に抑えてやる。魔軍のクソ共に俺らが半分もやられるとか、ふざけた事抜かすてめぇに吠え面かかせてやる」
「それは実に頼もしいね。出来る物ならね」
「ハッ! ラクショーに決まってんだろ。おい! クインとやら!」
「あ、はい!」
「時間がねぇ! 今から直ぐに砦内部での防衛準備に取り掛かるぞ! てめぇの祈法が肝心要だ。必要な物を言え!」
「ハッ! まずは……」
クインが答えようとした頃には、クラビスさんはさっさと部屋から出て行こうとしていた。クインは置いてけぼりだ。
「おい! クイン! なにボケッと突っ立ってんだ! そんな事は歩きながら喋れ! ったくこれだから王都のモヤシは使えねぇんだ!」
「ハッ! 申し訳ありません!」
クインは僕とアルモニカを一瞥し、一礼すると駆け足でクラビスさんの後を追って行った。
後はクラビスさんに任せておけば大丈夫だろう。何せこの砦を今まで守り抜いて来た傑物だ。この砦の事も
「流石救世主殿といったところでしょうか?」
「まさか。全部アルモニカあっての事さ。クラビスさんは君を、そして砦の将兵達を一人でも多く助けたいんだろうね。だからあんな簡単に僕の挑発に乗っかってくれた。そしてその為の最善を尽くそうとしてくれている」
本当に。最初の印象通り、悪い人じゃないんだよなあ。
「これは僕も負けていられないな」
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