一章 その⑤
それから更にどのくらいの時間が経過したのだろう。クインとの会話も途切れ、そろそろ眠れそうだと感じた矢先──。
掛け布団の中に、外の冷たい空気が流れ込んで来た。
んん?? これは……!
直ぐに外気の流入は止まり、逆に熱の塊が傍に存在する。
やばい。やばいやばいやばい。
クインがベッドの中に入って来た!
なぜ? ほわい? どうして自分の部屋に戻らない!
最早眠気の欠片も存在しない。探るまでもないクインの熱が、ダイレクトに伝わって来る。
ベッドは広く、大人二人が寝ても全く問題はない。問題は無いが、問題だらけだ!
これは、僕は、今からクインに襲われるのだろうか?
それとも、誘っているのだろうか?
僕に出来た事は、この姿勢のまま一夜を明かす事だけだった。
翌朝。
何食わぬ顔で僕に起きる様に促すクインの声が掛かるまで、ひたすら寝たふりを続けた僕は、当然の様に酷い寝不足だ。幸い、ずっと目は閉じていたので、疲労が顔に出ているほどではないけれど。
「良く眠れましたかな?」
朝の食事会で王様に聞かれた時は、文句の一つも出そうになったが、そこは僕が一つ大人になっておいた。
「ええ。それはもう」
社交辞令だって言えるさ。
「この後、僕はどうすれば?」
特に無ければ早速北の砦とやらに敵の様子を見に行こうかと考えていると、
「この後、正式に結希殿に協力を要請する式典を開く予定なのだが、
正直面倒臭い。そんな事してもらう必要はないと言ってみたが、王様にはあるようで。代りと言っては何だけど、同行者はクインだけにするようお願いしておいた。王様は少し驚いた顔をしたけど、二つ返事で了承してくれた。むしろ有難いとまで言っていた。どうやって同行者を付けようか頭を悩ませていたそうだ。
そこには王様としての思惑があった。
式典を開く事で、王都の内外に広く喧伝し、戦線を支える兵士達を鼓舞する事。
魔軍に怯える民たちに、希望を、明るい未来を示す事。
僕だけでもそれなりの効果は期待できるが、その救世の戦いに自国の祈法衛士が参加する事で、その効果はより一層高まるだろうというのが王様の考えだった。
その考えには僕も納得せざるを得ない。快くとまではいかないが、了承する以外の選択肢なんて僕には無かった。
朝食の後は式典の準備という事で、午前中は多くの人がバタバタ忙しそうにしていた。その間僕に出来る事と言ったら、宛がわれた部屋で大人しく待機している事だけだ。うーん。退屈。
クインも色々とあるみたいで、今は傍に居ない。「後で来ます」とは言っていたけど、後とはいつの事だろうか。こっちには日本みたいにテレビやゲーム、漫画なんかはない。本自体はあるし、異世界の本というのは中々に興味深い物ではあるのだけど、今はそういう気分でもない。この退屈な時間を如何に乗り切るか。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げながらぼけーっとしてみる。天井の模様が気になったので、無駄に模様の数を数えてみたり。うん。直ぐに飽きた。
何もする事ないなー。
暇を持て余して、ベッドの上でゴロゴロ。ゴロゴロ。
昨夜は一睡もできなかったなぁ……。なんて思ってたらいつの間にか眠ってた。
眠ってたと気付いたのは、部屋に向かって来る複数の足音と何かが転がっている音が聞こえて目が覚めたからだ。時計を見ると、どうやら二時間ほど寝ていた。思ったよりしっかり寝てたな。
その物音は僕の居る部屋の間で止まり、暫く間をおいてからノックされた。
「結希様。お休みの所申し訳御座いません。少し、よろしいでしょうか」
走って来た割に呼吸に乱れた様子はない。なるほど。色々と整えていた訳か。
誰が、何の用件で来たのか、本来なら告げる所なんだろうけど、僕は特に気にする事なく入室を許可した。許可してしまった。
「どうぞ!」
流石に寝っ転がったままでは失礼だと思って、起き上がってベッドに腰掛ける。
「失礼いたします」
と言って入室してきたのは、一目でメイドと分かる、メイドさん部隊だった。
メイドさん部隊は五人小隊。先頭に小隊長と思しき年嵩のベテランメイド。続く二人はキャリー付きの衣装掛けをそれぞれ一台ずつ装備している。その衣装掛けにはびっしりと豪奢な服が掛けてあった。最後の二人は、装身具と化粧用具をそれぞれ装備している。
あれほどの重装備で一体何と戦うつもりなのだろか?
僕は自分で自分に気付かない振りをしながら、じりじりとお尻で後退っていた。
「な……何の御用件でしょうか……?」
聞くまでもない。分かり切っている。
でも、聞かずにはいられなかった。
僕の想定を否定して欲しかった。
当然、否定される事はなかったのだけど。
メイド小隊は僕を取り囲む様に素早く回り込むと、息の合った連係プレイで僕の着ていた服をスポーンと脱がし、逃げられなくされてしまった。
流石に下着だけの状態で囲まれるのは、相手がクインじゃなくても恥ずかしい。抗議の視線を向けたが、「直ぐに終わりますので大人しくしていて下さいませ」とにべもない。メイド小隊の皆々様は、裸など見慣れている様で誰も気にした様子もない。テキパキと仕事を熟していく。僕は彼女たちの為すがままだ。下手に逆らうと、この羞恥の時間が長引くだけだと悟っていた。
衣装係の二人があーでもないこーでもないと頭を悩ませ、衣装を厳選する。赤と黒を基調とした戦闘服をチョイス。無駄な装飾や弛みなどのない動き易い服だ。強さと見栄えの良さ、両方を兼ね備えた選択となった。
次に化粧係が服に見合う様に髪型をセットし、化粧を薄く施して行く。その間にもう一方が装飾品を取り付けていく。儀礼的な意味合いと、あとはやはり見栄えだ。
そうして苦労の二時間経て完成した僕の姿を、メイド小隊長が改めてチェックする。
そこから更に一時間。メイド小隊長の指示に従い微調整が行われ、完成と成った。
メイド小隊と入れ替わりにクインが部屋に来た。儀式用の礼服なのか、装飾多めで全体的に白色な制服に身を包んでいた。実に決まっている。
「結希も素敵ですよ」
ニヤケそうになるのを必死で我慢した。
三時間も我慢した甲斐があった。
「では参りましょう」
クインに連れられて行った先は、謁見の間。
扉の前に立っていた衛兵に来訪を告げると、暫し待つように言われた。
扉の向こうからはザワザワと話し声が漏れ聞こえ、結構な人数の気配が伝わって来る。
衛兵は大きく息を吸うと、先ず扉を大きく四回叩き扉の向こう側に合図を送る。すると、ざわつきがピタリと止み、辺りからは物音一つしなくなった。
「異世界よりの救世主、日ノ守結希様、御来臨!」
衛兵が大きく呼ばわってから扉を開放する。
外開きに全解放された扉の中央から謁見の間に足を踏み入れると、左右にずらりと並んだお歴々から、万雷の拍手で以て迎えられた。
案内係を務めたクインはここで脇に下がってしまった。ここからは一人で行かなければいけないようだ。正直付いて来てほしかったなぁ。この中を一人で歩くのは小っ恥ずかしい。言っても仕方がない。段取り通りだ。
玉座に腰掛けている王様の前まで、堂々たる態度で歩いて見せた。
王様が手を上げると、それを合図にピタリと拍手が止む。
「よくぞ参られた結希殿。昨日の活躍、誠に見事であった」
僕は王様の言葉を黙って受け取る。昨日僕の戦いを直接見ていた人と、見ていなかった人で大きく反応が分かれた。ざわつく列席者が落ち着くのを待って王様は式を進める。
「我がムーシカは今、近年急激に力を増した魔軍と呼称する軍勢に脅かされ、滅亡の危機に瀕している。結希殿、どうかそのお力を、ムーシカの民を守る為にお貸しいただきたい!」
僕の前まで進み出て、王様は
おおっと! 王様! 段取りと違う!
「陛下。どうか顔をお上げください」
僕の言葉で顔を上げた王様に、周囲に気付かれない様に王様に抗議の視線を送ると、王様はしてやったりとといった視線を返して来た。
僕も膝を付き王様と視線の高さを合わせる。
「伝え聞く魔軍の暴虐は目に余る。私の持てる力、全てお貸しいたします」
「おお! 引き受けて下さるか!」
「ええ。皆さんの御期待に応えてみせましょう!」
ここでガシっと王様と握手。そしてこれも事前の打合せ通り、列席者の中のサクラが「おおお!」と歓声を上げと、周りの列席者たちもそれに合わせ歓声と拍手の嵐だ。
それが自然と収まるのを暫く待って、王様は玉座まで戻って腰を下ろすと、今後の細々とした予定を皆に聞かせるために話す。これも打合せ済みで、内容としては僕は軍には属さない事。軍に対して王に次ぐ命令権を認める事。国内のあらゆる物を自由に使用していい事。あとは、まず北の砦の援護に向かって欲しいという事だ。
かなり破格な条件に、むしろ僕の方が戸惑ったくらいだ。それほど今のムーシカが窮地だという事なのだろう。何にしろ、これは大分やり易くて助かる。
そして式の最後。
「結希殿が我がムーシカで不便がなきよう、護衛の者を一人付けようと思う」
来た来たー。
「祈法衛士クイン・エスメラルダ! これへ!」
「はっ!」
名前を呼ばれたクインが僕の隣まで進み出てくる。
「あれが……」「例の……」等々、何やら列席者が少し騒がしい。クインに何かあるのだろうか? ぶっ飛ばしてやろうか?
「クインは祈法衛士の中でも一の剣の使い手。見事任を果たして見せよ」
「はっ!」
王様に対して敬礼をした後、僕へと向き直る。
「結希。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしく」
こうして僕とクインの希望通りの、ムーシカを救うための戦いが始まったのだ。
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