一章 その③

「今もズルズルと負け続けている状況?」

「いえ。今は大陸の北部と南部を繋ぐ要衝で、北からの進軍を抑えられているので、東側の魔軍に対して攻勢を仕掛けています。東部は森林地帯であまり拓けた場所がないため大軍が展開しにくい地形なので、少数精鋭の私達が有利に戦えています。奴らもそれは理解しているようで、最近北からの圧力が増していると、北の砦から報告が来ていました」

 クインはあらかじめ用意していた地図を広げて説明をしてくれた。

 北の砦は、大陸を南北に分断する峻険しゅんけんな山々の僅かな隙間を塞ぐ為に築かれた物で、遡ればムーシカが大陸統一に乗り出した頃、北部の国々の侵略を防ぐ目的で造ったのが始まりだという。

 その後大陸が統一され無用の長物と化した砦だったが、その要衝を代々治めてきた将軍の一族は砦と守備兵の強化に尽力し続け、今となっては砦というより要塞と化しているらしい。曰く「来るべき日に備えて」が、その一族の家訓だったとか。周囲の政治家や将軍達からは「金喰い将軍」と揶揄されていたけど、王は何故か常に予算を組み続けていたそうだ。

 その鼻摘み者だった将軍一族が築き上げた要塞が、今、この時代になって、正に「来るべき日に」その真価を発揮している。この要塞がなければ、既にこの国は滅んでいたでしょうとクインは話を締め括った。

「東の敵を駆逐して南部を安定。しかる後、北部に反転攻勢を掛ける。というシナリオかな?」

「はい。このまま順調に行けば、今年中には東部の敵を駆逐できる見込みだと聞いています。それを待って、戦力の集中を計り逆激に打って出ます」

「そう上手く行くかな? 正直な所、クインはどう思ってる?」

「前線で戦う兵士達は皆、頑張ってくれています。必ず上手く行くと信じています」

「でも、本当の所は?」

「信じています」

 顔が赤くなりそうなのを必死に我慢しながら、じっとクインの目を見つめる。クインはそんな僕の視線から逃れるように目を逸らした。

「僕のパートナーになりたいと言う以上は、遠慮なく腹を割って話せるようじゃなきゃいけないと思うんだ。勿論、互いを尊重する事も忘れてはいけないけどね。親しき中にも礼儀ありと言うしね」

 一旦言葉を切り、天上を見上げる。上を見たのには特に意味はない。クインに視線を外してますよと分かり易くアピールできれば、どこでも良かったのだ。

「言い出しっぺの僕から率直に意見を述べようか。

 君たちが考えている程度の事は敵も想定しているだろう。東に増援を寄越さないのは、不利な地形故の費用対効果の薄さもあるだろうけど、本当の狙いはそこじゃないと見る。敵の真の狙いは北の砦を抜く事だ。そのために戦力の集中を計っている。そして、その時間稼ぎに東部の兵を捨て駒にしている。入り組んだ森林地帯が君たちの戦闘に有利に働いている様に、敵もまたその地形を時間稼ぎに利用している。小さな勝利を君たちに与え、少しずつ、少しずつ、北の砦から兵力を引き離している。君たちが東を攻め切る前に、恐らく敵の大攻勢があるだろうね」

「それは……! それは……」

「それに君のさっきの話だと、そもそもの話、僕を召喚する程の必要性を感じない。つまり、逆説的に考えると、僕を呼んだというこの事が今の状況が危険だと理解している人が確実に居るという事を意味している。少なくとも、あの王様はそう考えているだろうね。あれだけの儀式だ。王様の許可なしにやれる事だとは思えないからね」

 暫くの沈黙の後に、クインが重い口を開いた。

 心の中で「よしっ」とガッツポーズを決めながら、表情は真面目を取り繕う。

「お見通しですね……」

「これでも召喚された数は両手の数で収まらないからね」

 経験豊富なんですよというアピールを、クインを安心させるために冗談っぽく、両手をワキワキさせながら言ってみる。

「フフ……」

 あ、ちょっと笑ってくれた。

「はい。仰る通りです。軍の参謀本部が出した結論は、北の砦はもってあと一月という事です。早ければその半分ももたない可能性も十分にあると考えているそうです」

「そこで、起死回生というか……」

「はい……。藁にも縋る思いで行われたのが今回の救世の戦士の召喚です」

「最初からそう言ってくれれば話が早かったのに。いきなり絶体絶命の危機だと言ったら、逃げられるとか考えてたのか?」

「陛下から、『余計な重圧を掛ける事のない様に、情報の提供にあたっては細心の注意を払うように』と。どちらを選ばれたとしても、ご負担にならないように配慮すべしとの御下命でしたので……」

「事、ここに至ってさえ、出来たお人のようだ。ここの王様は」

 素直に感心すると、「そうなんです!」とクインが嬉しそうに頷いている。

「異世界人なんて、上手に褒めてすかして、使い潰してやればいいっていうのが大半だったからな。新鮮だ」

「酷い! 酷いです!」

 まるで我が事の様に怒るクインに、なぜだか無性に笑いが込み上げてきた。

「何を笑っているんですか!」

「だって、僕は怒ってないのに君の方が怒ってるんだもの、何だか可笑しくってね。それに、異世界人を上手く使おうとするのは別に悪い事じゃない、と僕は思う。保身だけが目的ならお暇させて貰うけど、僕が会って来た人達は皆、自分達の国の、世界の、そこに住む人々を救う事を第一に考えていた。秤に掛ければ僕の方が軽かった。それだけの事で、むしろ当然とも言えるんじゃないかな。僕だってそうするし」

 僕は自然な振りをして、一念発起してクインの手を包み込む様にして握った。握った!

 ふああああああああああああああっ!

 はぅっ!

 いけない、いけない。思わず意識が飛んで行った。

 クインは手を振り払うでもなく、恥ずかしそうに少し俯いている。お陰で一瞬とはいえ、僕の奇行を直視されずに済んだはず。セーフ! いや、セーフか? いやいや。セーフという事にしておこう。でなければ僕は死んでしまう。

「僕は君たちに協力するよ。必ず、とは保障は出来ないけれど、最善は尽くす心算つもりだ」

 動揺を取り繕って言葉を紡いで行く。

「クイン。僕に付いて来てくれるかい?」

 クインに先に言われてしまった事だけど、改めてここは僕からお願いしたかった。

 はあぁぁぁ……。何とかちゃんと言葉に出来たぞ。

「はい! 喜んで!」

 満面の笑みでクインが抱き付いて来たので、僕の意識は再び闇に堕ちていった。


 目が覚めるとそこは……ってもうそれはいいか。

 さっきと同じベッドに寝かされていた。

 横には心配そうな顔で僕を見つめるクインの姿があった。ずっと付いていてくれたのだろうか。何だか手が温かい。

「驚かせてしまってすみません……」

 僕が気が付くと、クインは開口一番に謝罪を口にした。

「いや、謝るのは僕の方だ。いつもはこんな事ないんだけど。まあ兎に角、大丈夫。僕はどのくらい寝てた?」

 むくりと体を起こし、丁寧に掛けられていた薄手の掛け布団を退けると、僕の左手をクインがしっかと握っていた。

 それに気付いた僕は顔が赤くなっているだろう事を自覚する。それを見られない様に直ぐに顔を逸らしたが、手は離さなかった。クインの手、祈法衛士というだけあって鍛錬を積んでいるそれだったが、僕にとっては何物にも勝る極上の触られ心地だ。

「あ……っ! すみません!」

 僕の態度で気付いたのだろう、クインは慌てて握っていた手を離した。離してしまった。

 ああ……。

「寝ていらしたのは五分ほどです……」

 恥ずかしさからだろう。蚊の鳴く様な声で僕の質問に答えてくれた。

「そうか……。はは……。あはは……」

「はい……。ははは……」

 シーン。

 ──気まずい。

 空気が悪い、という訳ではないけど、何か物凄く照れ臭い! 恥ずかしい!

 うおおおおおおおおおおおおおおお!

 こういう時はどうすればいいんだ!?

 今までの僕自身の経験にはないが、日本で得た知識から推測は出来る!

 僕はクインに恋、しているのだろう。一目惚れという奴だ。今まで読んで来た数々のラブコメ漫画から推察するに、きっと間違いない筈だ。ハズだ……。違ったらどうしよう。何分初めての事なのであまり自信はない。クインを好きなのは間違いないが、これが本当に恋なのかどうかが分からない。まあ今は、クインに惚れているのだという自覚があるだけ良しとしておこう。問題はそこじゃあない。

 僕は自分で言うのも何だが、戦いに関しては相当なもんだ。最強とか無敵とか言うつもりはないけど、まあそれなりだ。人付き合いだって別に苦手って訳じゃあない。誰とでも直ぐに仲良し、なんて特殊能力は持ってはいないけど、日常生活を円滑に行うのに支障はない程度には熟せている。ただ、あれだ。異性の扱いというものを知らないだけだ。いや、言い直そう。好きな人にどう接すればいいのか分からん!

 何かクインの方から話題を振ってくれないかと、チラっと視線を向けると、丁度同じタイミングで顔を向けたクインとバッチリ目が合ってしまった。

 お互いに慌てて目を逸らして、さっきまでと同じ様に俯いている。全く何をやっているんだ僕は!

 一瞬だけ見えたクインの顔は、赤かった。

 もしかして……。クインも僕と同じ様に……。

 いやいや。いやいやいやいや。まあ落ち着け。

 クインの善意をそういうのだと勘違いするのは良くない。良くないぞ、僕。

 あああああ! 一体全体何をどうすればいいのかっ!

 とはいえ、いつまでもこうして居る訳にもいかないだろう。何か話題を……、話題を……。

天気の話でもするかっ!? それとも趣味の話でも……ってお見合いじゃないんだから!

 こうも話題が見つからないのは、僕がクインの事を知らなさすぎるからだ。まあ今日のさっき会ったばかりなのだから、当然と言えば当然だ。これからお互いの事を知り合っていけば良いんだ。そうだ。その第一歩を踏み出すときだ。

「「あの……!」」

 被ったあああああああああああああああああああ!

 ああああああああああああああああああああああ!

 何だか分からないが、もう死にたい。

 絞り出した勇気の雫が霧散した僕が再び俯こうとすると、クインが心の一歩を踏み出した。

「あの、いいですか?」

「はい……! 何でしょうか?」

 反射的に返事をして顔を上げると、クインとまた目が合った。

 クインは少し照れた様子ながら目を逸らさなかった。僕も今度は何とか耐えて見せた。

 心を落ち着けるかの様なしばしの沈黙の後に、クインが口を開いた。

「もっと早く聞けば良かったのですが……。お名前を窺っても良いですか?」

 あっ! 言われてみれば名乗って無かった!

「全然気付かなかった。ごめん。僕の名前は──」

 僕がクインに名前を告げようとしたその時──。

 頭に直接響く様に、カンカンカンと早鐘を打つ音が鳴り響いた。

 これは恐らく祈法による緊急警報だろう。

 クインの方を見ると、今までの雰囲気とは打って変わった、一人の戦士がそこに居た。

 僕の方には聞こえて来ていない、何かのメッセージを受け取っているのだろう。頭の中の声に意識を集中している様子が窺える。道具も使わずにメールみたいに一斉送信も、個別送信も可能とは、祈法というのも中々便利なようだ。

 まだ僕の頭の中では、カンカンカンという早鐘の音が鳴り続けている。余程の事態が起きている、もしくは起きようとしているという事だろう。

 考えられる一番の理由は──

「敵が来ます!」

 クインが端的に事態を説明してくれる。

「どこから?」

 僕の質問に、クインはスッと指を上に向けた。

「空からです」

「ハッ! 成る程っ!」

 今回の敵は空も飛べるようだ。しかも、少し浮き上がれるとかってレベルじゃない。恐らく北の要塞か山々を飛び越えられる程に高空を飛行できるのだろう。

「上等!」

 僕は勢い良く立ち上がり、走り出す。

 『魔法』で敵の現在位置は把握した。そのまま追跡もしている。間もなくこのお城の上空だ。

「お供します!」

 迷いなく動き出す僕に、クインが慌てて立ち上がって付いて来る。

 僕はそれに、「応」とも「否」とも返さず、部屋の戸を開けた所で一旦立ち止まってクインを振り返った。

「僕の名前は、結希ゆうき。日ノ守結希ひのもり ゆうきだ。よろしく、相棒クイン!」

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