一章 その②
目が覚めるとそこは、ベッドの上だった。
見慣れない天井、見慣れないクインさんの顔。心配そうに僕を覗き込んでいる。いや、だから近いって! この人は僕を殺す気かっ!
「あのっ!」
と思わず勢い良く起き上がってしまう。あ、これ頭をぶつける奴だ。と思ったが今更どうにもならない訳で。
だけどいつまで経っても頭に衝撃が襲って来ない。はて? 思わず目を
いやいや。僕だってね。今みたいに動揺してなければ、そのくらいの芸当はお茶の子さいさいですよ。いや本当にね。伊達に武闘派で異世界歴訪してませんよって事ですよ。
「おはようございます。急に倒れられたのでびっくりしました。お元気そうで良かったです」
「あ、いえ。ご迷惑お掛けしました」
「いえいえ。ご迷惑をお掛けしているのはこちらの方ですから。どうぞお気になさらず」
「そう言って貰えると助かります」
ここでハタと気付いた。
心から丁寧な対応に終始するクインさんに、ついつい反射的に喋り返してしまっていた。今から何とか誤魔化せないだろうか。いや流石に無理か。むしろさっき喋れない振りしてた方の弁解を考えた方が良さそうだ。
ん? いや待てよ。動揺していて直ぐには気付かなかったが、クインさんさっき普通に喋りかけて来てなかったか? 頭に声が響く感じがなかった気がする。うん。なかった。ん? という事は……どういう事だ? クインさんが近くにいるせいで頭が上手く回らない。
未だに心臓はバクバクと高鳴り、顔が熱い。クインさんをチラ、チラと見る度に温度は上がる一方だ。これはもしや──日本の漫画で見た、恋、という奴か! 僕が! クインさんに! 一目惚れしたっていう事か!?
いや、待て、落ち着け僕。全然落ち着けないけど、落ち着いた気になるんだ。何事も冷静に、客観的に、早合点はいけない。ここは拙速よりも巧遅だ。勘違いだったら取り返しのつかない事にもなりかねない。
そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、ニコニコと笑顔のクインさんが「でも、良かったですね」と、今度こそ間違いなく現地語で普通に話しかけて来た。
「探りを入れているのがバレなくて」
ギョッとして振り向いた先には、やはり笑顔のクインさんがいた。
これが僕──日ノ
ダメ元で今更ながら「何を言ってるか分かりません」的なフリをして、チラとクイン──もうさん付けは止める! トンだ食わせ者だ!──を見ると、「ダメです」と言わんばかりに笑顔で首を横に振っていた。
「駄目かぁ……」
「ええ。駄目です」
ハッキリと言われてしまった。
「……いつから?」
「そうですね……。無祈力状態から有祈力状態になった時からですね」
という事は、最初からバレてたって事じゃないか。マジかー。
「それって祈法? を使う人は皆気付いてた?」
「うーん……どうでしょうか。多分私だけだと思いますよ。保障は出来ませんが」
ふむ……。なるほど。それなら──。
「先に一つ言わせて下さい。私はあなたの不利益になる様な事は致しません。ですので、今お考えになっている様な事はお止め下さると助かります」
おっと。祈法というのは僕の思考を読み取る事も出来るのかな?
「それを信じる根拠は?」
止めるとも止めないとも言わず、クインに質問を投げかける。
「あの場でバラさなかった。それ自体が根拠にはなりませんか?」
「なりませんな」
僕は即答する。
「あの場でバラした所で僕への不信感が少し溜まるだけ。それも突然の異世界で警戒していたとか言えば十分な説得力がある。だけど、後からこうして秘密を共有する形にすれば、それは脅しの材料ともなり得るからね。まあ今回のコレはそこまでの物ではないけど、敢えて不信の種を撒きたい訳じゃない」
だから……と言って、僕は『魔法』で特殊な能力を付加した剣を創り出し、クインの首元に突き付けた。
今回の剣には記憶を消す効果を付与してある。というか記憶を消す事しか出来ない。物理的な斬る力は皆無だ。消える記憶の量はまちまちなので何とも言えないが、今までの感覚から言うと大体一日分程度。酷いと全部消し飛んだ事もあったけど、そうなったらそうなったで仕方がない。諦めるとしよう。
ただ、直ぐに剣は振るわず、クインの反応を見る。
もしかしたら本当の事を言っている可能性も否定できないからだ。ここまでやっておいて言うのも何だが、僕はわざわざ敵を作る様な事が好きな訳ではない。
「そもそもあなたの意図が解らない。どうしてこのタイミングで気付いている事をバラしたのか」
僕の言葉にクインは剣を
「ですよね。今考えればこうなるかもって思い至っても良さそうなものだったのですが、二人きりのこの状況が絶好の機会だと思ったらつい」
「つい──?」
「私の事を信用して貰おうと思いまして。結果逆効果で、この有様なのですが」
あはは。失敗しちゃいましたね。とクインは笑っている。
「僕の信用を、王様達を出し抜いてまで得ようとした訳は?」
「私を、お供に選んでもらう為です」
真っ直ぐに僕を見つめて来るクインの目は、真剣そのものだ。これは間違いなく本当の言葉だと思う。これまで嘘だったらもうしょうがない。降参だ。
「オーケー。もう少し事情を聞かせてもらおうかな」
僕はクインに突き付けていた剣を一旦下げた。でも、まだ警戒しているぞとアピールするために、剣は消さずにいつでも振るえるぞと握ったままにしておく。
「はい。やっと落ち着いてお話が出来そうですね。お顔の熱も引いたようですし」
クインにそう言われて、僕も今気付いた。
クインの顔を見ても、さっきまで見たいに体がオーバーヒートしていない。胸はじんわりと暖かく鼓動はまだやや早いものの、正常の範囲だ。思考も大分落ち着きを取り戻している。じっと直視していると……かなり危険だが。まあこれくらいなら何とか……許容範囲と言えなくもなくもない。ないない。どっちだ。
「どこからお話しましょうか……」
「そうだね。まずはこの国の現状を聞かせてもらえるかな? あと、僕に敬語は必要ない。普通に喋ってくれて構わないよ。むしろその方が助かる」
「これが普通ですが……困りました。ええと……分カったぁぜェぇ?」
妙ちくりんなアクセントで喋り出したクインに、僕はすぐさま謝罪する。
「すまない。無理を言った
あんな変な喋り方をされたら、何か背筋がザワザワして気持ち悪くて堪らない。
「あれ? 何か変でしたか? 以前にも友人に同じ様な事を言われたのですが、その時も少しして同じ様に言われたんですよね」
その友人も、きっと今の僕と同じ様な気持ちだったに違いない。
「気にしないでくれ」
「はい。えーっと、国の現状でしたね。その前に少しだけ必要な話をさせて下さい」
「ああ」
「私達が住むこの国、魔法王国ムーシカというのですが、五百年の
「『いました』か……」
「はい。古代のムーシカの民はムー大陸統一の際、大陸全土を覆う巨大で、強大な祈法結界を敷きました。この結界は大陸に侵入した資格なき人間に幻を見せるものでした」
「アレの事だね。鍵は祈力、だろ?」
「はい。祈力はムーシカの民だけが持つ不思議な力です。なぜムーシカの民だけがこの力を持っているのかは分かりません。その点を忘れて異世界から救世主たる御人を招いた結果が、お気づきだったでしょうが、あの慌てぶりです。幸いあなたは自力で祈力を手に入れられたので事なきを得ましたが、正直凄く驚きました。失礼を承知で正直に言いますが、私はその瞬間まで異世界から無関係の人を召喚するのには反対でした。自分達が苦しいからと言って、わざわざ無関係の人を死に追いやる必要などどこにもないのですから。しかし、あの瞬間、私の考えは打ち砕かれました。この人だ! そう思ったのです。この人ならきっと奴らにも勝てる! と。だから私は、持てる力の全てを使ってあなたの盾に、剣になりたいと、そう思ったのです!」
話す度に言葉に、体に、力と熱が入って行ったのだろう、ググググとクインの体が僕の方へと迫って来る。その圧に押されて仰け反るも、僕が仰け反った分だけさらに体を押し出して来る。顔が、体が、近い、近い近い近い。近いって! ああ……! 何だか凄くいい匂いがするし! 理性が……っ! 理性がもたない時が来ている……っ!
「あ……っ! コホン。失礼しました……」
僕を押し倒しそうになっている事に気付いたクインは、恥ずかしそうに身を引いてくれた。その時の表情もまた良し。
「あ、えーっと……。そうそう! ムー大陸全土が結界で護られている所まで話しましたね」
照れ隠しなのか、やや早口で声が上擦っている。
「ムー大陸全土を覆う結界は非常に強固なものですが、その対象は人間に限られています。祈力を持たない人間だけに幻覚を与え、ムー大陸への侵入を阻んでいました」
「つまり、人間じゃないモノが侵攻してきたという事か」
「はい。その通りです」
クインは侵略者たちの事を思い浮かべたのだろう、自覚があるのかどうか分からないが、強く、強く拳を握り締めている。
「奴らは非情にして冷酷です。何の感慨もなく私達ムーシカの民を殺戮します。捕虜や奴隷にすらしません。年齢や性別、戦闘員か非戦闘員の区別もありません。ムーシカの民であるというその一点だけで、奴らの殺戮の対象となるのです。そして、無人となった町や田畑を破壊し尽くして行きます。奴らが通った後には、私達の築いて来た物は何一つ残される事はありません」
「それはまた……徹底してるな……」
話半分に聞いても、相当な惨状であることは間違いないだろう。思った以上に相手は容赦がないようだ。流石の僕もクインにかける言葉はない。
「奴らの姿形は様々ですが、一つ共通している事があります。奴らは皆、人を模した姿をしているという事です。人に似た、人とは似ても似つかぬ姿。神を冒涜するかの様なその所業は、醜悪の極みです。神話に登場する悪魔の如き奴らの事を、私達は『
『魔軍』と言われると今までの経験から、色々頭に浮かぶ物がある。とはいえ、そうと決まったわけでもない。あまり先入観を持ちすぎると判断を誤る事にもなる。どうせそう遠くない内に実物を拝む事になるだろうから、想像を膨らませるのは止めておこう。
助ける前提で思考している事に疑問はない。これもいつもの事だからだ。
世界を渡り歩いてきた僕にとってその世界の窮地を救うというのは、旅行先で楽しむアクティビティとか、御当地名物を頂くのと同じく様な感覚だ。折角来たのだからやっておかなきゃ損。そんな感じだ。
当然そこには、僕の『魔法』であったりとか、戦闘スキルによる裏打ち、要は「最悪自分の身は何とかなる。出来る」という自負があるからだ。
「現在、奴ら──魔軍によって支配されている地域は、大陸の北と東です。その広さは……既に大陸の半分程にも及んでいます」
「魔軍の連中はそんなに強いのか?」
「個々の強さで言えば、私達祈法衛士に劣ります。奴らがこの大陸に姿を現し始めたのが百年程前の事だと記録されていますが、その頃は何の問題もなく駆除できていた様です。状況が変わったのはここ十年程の事です。それまでの間も、徐々に奴らは力を増していましたが、危機感を覚える程の脅威ではありませんでした。海を渡って来る必要があるため、どうしても一度に来られる数に限界があったからです。ですが、それが当時のムーシカの油断でした」
「敵も馬鹿じゃないだろうからなあ」
「はい。奴らは私達が想像もしなかったような巨大な
これまでの勝利の積み重ねで心に油断という悪魔が住み着いたムーシカの祈法衛士達と、敗北の経験を積み重ね対策を講じ続けてきた魔軍。いずれどちらに勝利の天秤が傾くかは自明の理というやつだな。
そこから先の展開は結果を知らずとも容易に想像できてしまう。
海岸線の防衛に当たっていた祈法衛士部隊の壊滅。
魔軍による橋頭保の確保。
大量かつ安全に兵士を輸送できるルートを確保した事で、瞬く間に戦火が拡大して行ったことは確実だろう。
そうして戦火が広がる事で防衛に割く人員に不足が起こる。手薄な所から崩され更に戦火が拡大する。敗北への負の連鎖だ。
要衝に一極集中させるべき状況である事は分かっていたのだろうが、魔軍の容赦ないまでの侵略行為がそれを許さなかったのだろう。そこまで人の心を計算し、冷酷無比に実行していたのだとすれば、この魔軍とやらは中々に侮りがたい相手だ。
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