一章 その①

 目を開くとそこは、異世界だった。

 異空間ではなく、紛れもない異世界。うん。いや? 異次元の可能性もあるか。

 まあどっちでもいいか。日本でない事だけは間違いないしね。何故なら、あの物理法則に護られた世界には、こんな場所は存在しないから。

 見渡す限り何もない。光もなければ闇もない。そのくせ一応周りを見る事は出来る。明らかに可笑おかしいことだらけだ。

 文字通り三六〇度どこを見ても何もなく、地平線と言えばいいのか水平線と言えばいいのか、まあどっちでもいい。どちらもないのだから。

 上を見上げれば空もないし、下を見下ろせば地面もない。

 まさにないない尽くしだ。

 あると言えば、呼吸するための空気くらいだ。

 地面がないお陰で、立っている感触もない。なのに立っている。

 浮いている訳ではない。『魔法』で空も飛べる僕だから分かる事だけど、そういう感覚とも違って、何とも不思議な感じだ。

 試しに『地面』を右の爪先で蹴ってみる。

 左足と同じ──だと思う──高さで爪先は止まった。だけどやはり何の感触もなし。

 まあここまでくれば大体絞れて来る。

 今回は間違いなく幻覚を見せられている──それもあらゆる感覚器に対して。

 恐らくだけどこれはこの世界の超常の力、僕の『魔法』と同じ様な力でこの幻覚を見せているのだろう。どのくらいの範囲に効果を及ぼしているのかは今の所分からないけれど、この精度の幻覚を強いる事が出来るというのは、中々に凄い事だ。恐れ入る。

 ただ一点。どうしても腑に落ちないというか、納得いかない点がある。

 僕を自分達、もしくは個人かもしれないけれど、一方的に呼び付けておいて幻覚に閉じ込めるとはこれ如何いかに。

 はっ!?

 もしかして、助けて下さい系の異世界召喚じゃなかった!?

 僕をさらってこの幻覚空間で滅茶苦茶にしてやろうっていう、そういう系!?

 勝手に助けて召喚──僕命名──だと思い込んでた自分が恥ずかしい!

 まあ兎にも角にも、まずはこの幻覚をどうにかしないと何も分からないままだ。

 呼んだ人たちが解除してくれれば話は早いんだけど、どうもそういう様子はないし。しょうがない。僕が自力で何とかするしかないか。

 『地面』に腰を下ろして目を閉じる。長期戦になる事も覚悟してのリラックスした体勢だ。それじゃあ早速と『魔法』で幻覚の正体を探ると、予想に反して直ぐに答えが出た。この幻覚空間は、この世界特有のある力に反応する結界の様だ。当然僕にはそんな力はない。だから結界に囚われ幻覚を見せられている。そういう事の様だ。

 つまり、この結界から逃れるにはその力を持っている事を示すか、この結界自体を消すかどちらかしかないという訳だ。ただ、この結界はどうやら相当広範囲に拡がっているらしく、探りを入れた限りでは境界を見つけることは出来なかった。実質、選択肢は一つしかない様なものだ。

 とはいえ異世界の未知の力を得るというのも、普通の奴なら実現性に乏しいだろう。しかしそこは僕には僕だけの『魔法』がある。僕の『魔法』は意志の力。僕のやりたい事を世界に押し付け実現させる。力の及ぶ限り、出来る事に制限はない。

 『魔法』を使って未知の力をコピーする。簡単だ。ただ、この出来上がった力をどうすれば良いのかが分からないな。ふむ。

「取り敢えず身体に取り込んで見ようか」

 これが僕の使う『魔法』と似た様なものと仮定するなら、身体に宿しておくのが正解だろう。何か力が反発し合って身体が内から爆発! とかはないだろう。多分。きっと。そうだったらいいなぁ。でも、これ以外今の所良い方法も思いつかないし、いつまでもここでこうしていても仕様がない。

 あまり考えすぎると怖くなってしまうから、エイヤと思い切ってコピーした力を身体に押し込んだ。押し込んだ! さあもう後戻りは出来ないぞ。

 まず結論として、身体は爆発しなかった。良かった。時間差で何か弊害があるかもしれないが、この調子ならまあ多分大丈夫だろう。次に、予想通り未知の力を宿す事で結界の効果が薄れて消えて行った。

 そうして僕の前に現れたのは、顔を青くしてバタバタと走り回っている大勢の人達だった。

 僕が立っている場所は学校の体育館くらいの広さの、割と広い部屋だ。足元には怪しげな魔法陣らしきものも描かれている。僕はその中心に立っている形だ。建物自体は石造りで窓には透明なガラスが使われている。それなりに技術は発展しているようだ。

 多分だが、僕はこの世界に召喚されてからこの場にずっと立ち尽くして居たんだと思う。それで結界に囚われている僕をどうにかしようと、右往左往しているのだろう。彼等はまだ僕が自力で結界を突破した事に気付いていない様だ。

 この召喚の儀式のリーダーなのだろう男性が、周囲の人達に大きな声であれやこれや叫んでいる。当然現地の言葉で叫んでいるので、何を言っているのかサッパリ分からない。という事でまずは『魔法』で言語学習といこうか。周囲のあらゆる声を拾い、自分の中に定着させていく。これももう随分と慣れた作業だ。

 大体必要と思われる程度の言語を収集するのにおよそ十分ほど。人数が多いと早くて助かるなあ。よし。こちらの準備が整った所で満を持して……。

 あれ? また周囲が……。

 あ、また結界に……。

 どうやらこの世界の力は時間と共に消費される様だ。

 という事は、常時作り続けるようにしておかなくてはいけないという事か。んー、これは結構なリソースを喰わされてしまうなあ。とはいえ、そうしておかないと真面まともに活動できないのでは仕方がない、か。

 『魔法』を調整する事で、僕の視界は再び例の部屋へと戻って来た。よし。完璧。

 ここで初めて今気が付いたかのように身動みじろぎして見せる。

 何だったら、

「ん……。──ここは……?」

 なんて演技も入れて見たりしてやろう。

 周囲を不審気に見回す僕に、周囲の人達の視線が一斉に突き刺さる。それはもうグサグサと。と思った次の瞬間には、飛び上がって喜ぶ人や、泣き崩れる人、隣の仲間と抱き合う人、反応は様々だが兎に角喜んでくれているのは伝わって来る。

 そんな中、先程のリーダーらしき壮年の人物が進み出て声を掛けて来る。

「ここは魔法王国ムーシカの王都ムーシカ。その王宮にある儀式場の一つ。私はこの国の王、リード・オーガンと申す。誠に不躾ぶしつけで済まぬが、救世主殿、どうかこの国を救って欲しい!」

 ガシっと僕の手を両手で包み込むように握るリード王の手は、ザラザラとした無骨な手だった。その掌の感触から相当に武器を使い込んでいるなと直ぐに分かった。随分と苦労しているのは間違いなさそうだ。顔の皴も深く、良く見ると若干頬がこけている。王様だけあって身形みなりはキチンと整えているが、茶色の中の白が見た目の割に多い様に思う。

 それにしてもやっぱり……。

 まあ召喚された時点で十中八九そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱり助けて召喚でしたか。

 最近はデスゲームの処理ばかりしてたから、正直助かる。気持ち的にね。こう、やる気が出て来るよね。悪趣味なデスゲームより、人助けの方がね。

 二つ返事でOKしても良いんだけど、一先ひとまずここは言葉が分からない振りでもして様子を見てみるとしよう。実は助けを求めて来ているこの国が悪、という可能性もなくはないから。

 僕が困惑した様子で首を横に振ると、王様もハッと気付いた様で「意思疎通の祈法きほうを使える者はおるか!」と、僕たちの様子を窺っている周囲の人達に向けて進み出るように命じています。

 祈法というのは初めて聞いたな。流れからして僕の『魔法』と似た様な物だろう。という事はさっきの力は祈力きりょくとかいう名前に違いないな。

 いやー何言ってるかサッパリ分からなくて困ったなー。というていを装いつつそんな事を考えていると、「それなら私が!」と手を上げ進み出て来た人がいた。

 そしてその人を見た瞬間──体を、電撃が奔り抜けた。

 心臓がバクンバクンと音を立てているのが聞こえる。

 急に呼吸がままならなくなり、息が苦しい。アレ? 今までどうやって呼吸してたっけ……? ふー……ふー……と大きく吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 何だ? 何か仕掛けられたのか? といぶかしんでみても周囲にそんな様子はないし、『魔法』を使って自分の体をスキャンしてみても、結果は異常なし。

 こんなに顔が熱いのに? こんなに息が苦しいのに? こんなに鼓動が早いのに?

 これが正常とは、これ如何に。

 そうこうしている間にも、王様に呼ばれて進み出たその人物が僕に近付いて来る。当然だ。その為に名乗り出たのだから。

 気付けばその人はもう目の前に居て、僕は思わず顔をうつむけてしまった。その人は僕の反応をあまり気にした様子もなく、真摯しんしな口調で話しかけて来た。

『初めまして。私の名前はクイン・エスメラルダ。伝わっていますでしょうか?』

 と直接頭に響く様な感じで、目の前のクインさんの言葉が伝わって来た。実際に発していた言葉と意味合いは同じだ。俗に言うテレパシーみたいな物を、祈法という術? で実現しているのだろう。クインさんからは僕を騙そうとする意図は見られない。

 僕がクインさんの言葉に顔を俯けたまま頷くと、少し気が楽になったのか先程よりも口調が明るくなった様な気がする。

『私はこの国の祈法衛士きほうえいしを務めております。突然の事に大変驚かれ、困惑されている事お察し致します。ですがどうか、私達の窮状をお聞き入れ下さり、お力添えをして頂きたいのです』

 クインさんが話終えるのを待って恐る恐る顔を上げると、バッチリと目と目が合ってしまった! しかもさっきより更に近い。近い! 近いよっ!

 心臓の音がこの儀式場全体に響き渡っているんじゃないかと思うほど、バクバク言っている。心臓が破裂しちゃうんじゃないか? 大丈夫かコレ! あ──何だか目の前が暗く……。

 そこで僕の意識は途絶えた。

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