第5話 いかなる自然も芸術に劣らず

「……スケッチブックがない?」


 帰宅した亮はバックを広げると、自分の大切なものがカバンの中に入っていないことに気づく。

 どこで落としたのか、記憶を辿って見る。

 図書館のあと、亮はミチルに付き合い、美術室で延々とコンクールのエントリーを説得された。この賞を受賞できれば、将来は芸術家になれるなどなど、文句で説得しに来る。

 だが、一応スランプだから、創作できないことを理由にして断った。

 彼女からはかなり不満がっていたが、理解してくれたのか、それ以上介入することはなかった。

 ……その時にカバンを見ていたか?

 亮はもう一度思い出す。

 その時にはカバンの中身を見ていない。スケッチブックを取り出していなかった。なら、落とした場所は美術部ではない。

 もっと過去をさかのぼってみる。

 スケッチブックを活用した場所はどこか、思い出してみる。


「図書室だ!?」


 など、思い出した場所を口にする亮。


「……そういえば、あの時、僕はスケッチブックを取り出した」

 

 スケッチブックを取り出したまでは、覚えている。

 だが、その時はなにも描いていなかった。確か、描く気が沸かんかったので、描くのをやめた。

 気晴らしに本を読もうと、本棚に向かった。

 難しい哲学の本棚で取り出した本の名前は、「純粋理性批判」その意味を理解できず、頭を抱えているところに現れたのが、咲良先輩。

 そうだ、あの時自分は咲良先輩と合ったのだ。それからミチルの加入で、慌てて図書室を後にした。

 スケッチブックはカバンにしまったはずだ。

 もしかして、あのときスケッチブックが中に入っていなかったのか?


「まさか、咲良先輩が僕のスケッチブックを見たのかな?」


 など、亮は青ざめた表情で最悪のパターンを想定する。

 あのスケッチブックは亮の趣味だ。亮だけの秘密。黒歴史を詰まったノートだ。誰にも見せられる品物ではないのだ。

 もし、咲良先輩がそれを見てしまったなら、恥ずかしくて彼女に面と向かって顔向けできない。


「それより、咲良先輩に何か言われるのか……想像するだけで腹痛がする」

 噂通りなら、咲良先輩はきっと亮を脅かす。

 もしかすると……


『あらまあ、萌豚が一匹いるわ。日本語ではなく、ブヒブヒと鳴きなさい』


 亮の頭の中では咲良先輩が黒く女王様の格好をし、鞭で叩いてくる妄想が膨れ上がっていく。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 想像するだけで、悪い方悪い方へと向かっていく。底のない奈落のように、思考はどんどんとマイナス方向へ落ちてゆく。


「……明日、咲良先輩に直接訪ねてみよう」


 そして亮はこのことについて考えるのをやめる。

 これ以上考えたら害しかない。明日に図書室に行けば、彼女に出会えることを信じる。そして、咲良先輩が善意の心が残っていることを祈る。

明日、スケッチブックを返してもらう。

 今日はもう夜遅いからもう寝ようと、亮は電気を消し、ベッドで横になる。

 これ以上何も考えたくはないが、咲良先輩の高笑いする幻聴が聞こえてくる。

『ほほほ、あなたの趣味がオタクだったなんて、思いもよらなかったわ』など、とばりばりとスケッチブックを引き千切る夢を見た気がした。

 人って不思議だな、嘘だとわかっていてもそれでも信じ込む。

 と亮は意識を失った。



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