第8話「おまえは、今、我が妻となった」
其の三
ロレンツは、息をのむ。
その少女は、彼の知っていたジュリエットではない。
彼女は教会に踏み込む度に、そこの時間を凍り付かせていくようであった。
黄昏の闇に満たされた教会の時間を、きらきらと輝く水晶の結晶のように、凍り付かせてゆく。
ロレンツは、自分の目を疑う。
ロミオに向かって歩いて行くジュリエットの周りから、色が失われていくようだった。
ロミオが出迎えるように、踏み出していく。
ロミオの周りからも、色が失われていった。
ふたりを中心にして、白い闇が広がってゆくようだ。
ロミオとジュリエットのふたりは、真っ白な凍り付いた世界で彫像のように抱き合っている。
ロレンツは、自分が見ているものが、永遠であると思えた。
愛は自分達の意識を超えた、永遠の一部に触れる行為なのだと、ロレンツは感じる。
それは、落雷にうたれるように、ロレンツのこころに訪れた理解であった。
唐突にロミオが膝をつき、ガラスが砕かれたように、時間が動き始める。
ロミオは腰からソード社製の、ツーハンデッドソードのように長大な拳銃を、ジュリエットに捧げた。
その姿は、誓いをたてる、中世の騎士に似た姿である。
ジュリエットは、無言のままその銃把に手をかけた。
銃口は、ロミオの心臓に向けられている。
ロミオが、言った。
「おれは、おまえを愛し続ける」
ロミオの声は、大きくはなかったが、教会に響きわたってゆく。
「泡立つ海が押し寄せて、我を飲み込まぬ限り」
ロミオは、いにしえの司祭が儀式を執り行うように、言葉を続ける。
「蒼天、我が上に墜ちてきたらぬ限り」
ロミオは、祈りを捧げるように顔をふせ、言葉を締め括った。
「我が誓い、破られることなし」
言い終えるとロミオは銃を腰のホルスターに戻し、立ち上がるとジュリエットに口づけをした。
まるで、ふたりがその身体を溶け合わせようとするかのような、熱い口づけをかわす。
長い長い無言の時間が過ぎた後、唇を離したふたりは見つめ合う。
ジュリエットが沈黙を破り、口を開く。
「わたしは、これであなたの妻となったのですね」
「そうだ」
ロミオは、頷く。
「おまえは、今、我が妻となった」
ジュリエットは、ロミオの肩にその額をもたれかける。
ロミオは、優しくジュリエットの肩を抱き締めた。
ロレンツはそのふたりを見ているだけで、胸を締め付けられるような思いに満たされて行く。
ロレンツは、ふたりの傍らに立つと、言った。
「わたしが証人となりましょう。あなたがたの誓い、確かに見届けました」
ジュリエットは、とても幸福だった。
まるで、薔薇色の宇宙の中を、漂っているかのようである。
頭の天辺から、胸の先、下腹、爪先まで、ぴりぴりとした痺れるような快感に薄く覆われているようだ。
今この瞬間が、永遠に続けばいいと思う。
それでなければ、今この瞬間に世界が滅べばいいと思った。
ああ、なんて愚かなことを考えているんだろうと、ジュリエットは頭の片隅で思う。
そして、その愚かさはどんどん加速していくようであった。
ロミオが、そんなジュリエットの耳に、唇をよせる。
「今夜、真夜中におまえの元へゆく。夜を共にすごそう。だから、通用口の鍵をあけておけ」
ジュリエットは、目の眩むような幸福を感じながら、頷いた。
マキューシオが、モンタギューの屋敷の前にバイクをを停めたその時に、ちょうどベンヴォーリオが外出しようとしているところだった。
「おい、何を急いでる、ベンヴォーリオ」
ベンヴォーリオは、マキューシオを見ると、珍しく焦った感じで問いかける。
「ロミオを見なかったか?」
「いや」
マキューシオは、苦笑した。
「ロミオのお守りは、お前のかかりだろう」
「お前には愛の導きが、あるんじゃあないかと思ったんだが」
マキューシオは、少し頬を染める。
「よせよ、そういうのは」
ベンヴォーリオは、少し肩を竦め立ち去ろうとした。
マキューシオは、慌ててベンヴォーリオを止める。
「おい、何があったんだよ」
ベンヴォーリオは、マキューシオに封筒を投げる。
マキューシオは、ロミオに宛てられたらしい封筒の中を見た。
マキューシオは、眉をしかめる。
「これは、果たし状じゃあないか」
ベンヴォーリオは、頷く。
「キャピュレットのティボルトが、ロミオの相手をしたいらしい」
マキューシオは、ため息をついた。
「エスカラス大公は、認可したのか」
「サインがある」
マキューシオは、自身でそれを確かめる。
封筒をベンヴォーリオへ戻すと、問うた。
「どうするんだ」
「ロミオに知らせぬわけには、いくまい」
「ほっとけ、やつは。恋に狂ってそれどころじゃあない」
「しかし」
マキューシオは、不敵な笑みを浮かべる。
「決闘には代理人をたてることが、許されている。おれが代理人として、ティボルトの相手をしよう」
マキューシオは、獣の目をして言った。
「ロミオを殺させるわけにも、ロミオに殺させるわけにもいくまい」
ベンヴォーリオは、やれやれと頷く。
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