第6話「あなたは、ロミオであるロミオなのよ」

 第二幕



 其の一



 真夜中近い夜空は、黒曜石のように深く暗い。

 その黒い夜空に、穿たれた白い穴のような月が、輝いている。

 月の白い輝きが、夜空の闇の深さをより濃くしているかのようだ。

 深紅のバイクに跨がったロミオは、煙草に火を点ける。

 ロミオが乗っている高貴な獣がごとき佇まいを持つバイクは、MVアグスタ・ブルターレ・セリエオーロという名を持つ。

 血で染められたような深紅のボディと、太陽を捕らえたような金色のホイールを持っていた。

 そのバイクの傍らに、四輪車運搬用のトラックが停められている。

 そのハンドルを握るのは、ベンヴォーリオであった。

 そして、そのトラックの向こうには、塀に囲われた屋敷がある。

 キャピュレットの、館であった。

 ロミオは、煙草の紫煙を吐き出すと、明かりの灯るベランダの窓を眺める。

 彼は、その窓から彼の愛する少女が姿を現すのを見た。

 月影を纏めて織ったように、白いドレスを着た天使の美貌を持つ少女が、夢見心地の表情でベランダに佇む。

 ジュリエットで、あった。


 ロミオは、そっと目を閉じる。

 そうすることで、漆黒の夜空から降り注ぐ月の光が、よりはっきりと感じられた。

 そして、その白い月の光に浮かび上がる炬のような少女を、より強く感じとる。

 ロミオは、愛する少女がまるで自らのすぐそばにいるように、その気配を感じた。

 彼は、ジュリエットの呟く言葉を、隣で聴いているように聞き取ることができる。

 彼女は、こう囁いていた。


「ロミオ、あなたはロミオなのね」


 少女の呟きは、続く。


「あなたはロミオ、そう。あの輝く月が月であるように、夜空を横切る鳥が鳥であるように、そして」


 ジュリエットはどこか夢見るものが語るような調子で、言葉を重ねる。


「暗い大地に転がる石が石であるように、あなたはロミオなのだわ。だから」


 ロミオは、ジュリエットが真っ直ぐ自分を見つめているような気がしていた。


「あなたは道化でもエグザイルでもない、ましてやモンタギューですらなくて」


 少女は、そっとため息をついて、こう言葉を重ねた。


「あなたは、ロミオであるロミオなのよ」


 ジュリエットは、両手を空に向かって差し出し、叫ぶように言った。


「だからわたしも、あなたの前に立つときにはキャピュレットでは無くて、ジュリエットになるの」


 少女は、自分を抱き締めて、こう言った。


「あなたといる時のわたしは、ジュリエットであるジュリエットなのよ」


 ロミオは、目を見開いた、

 気がつくと、その傍らにベンヴォーリオが立っている。

 トラックの四輪車を積む荷台はバンクされ、スロープを作り上げていた。

 ベンヴォーリオは、うんざりしたような口調でロミオに語りかける。


「まさか、本気じゃあないよな」


 ロミオは、夢見るような表情で、ベンヴォーリオを見る。


「おれは、いつだって本気だぜ」


 ベンヴォーリオは、肩を竦めた。


「ガキじゃあ、あるまいし」


 ロミオは、おんなであれば誰であれ、こころを溶かされてしまうような瞳でベンヴォーリオを見る。


「おれたちは、紛れもなくガキだ。そうだろう」


 ロミオは煙草を捨てると、バイクのハンドルを握った。

 ベンヴォーリオは、ため息をつくと言った。


「ハンフリー・ボガードが出演している古い映画で、こんな台詞がある」


 ベンヴォーリオは、腰からコルト・パイソンを抜くとロミオに向ける。


「命が惜しければ、三つ数える間に失せろ」


 ロミオは、苦笑した。


「おいおい、ベンヴォーリオ」


「おれは、本気だ」


 そして、コルト・パイソンの撃鉄をあげる。

 カチリと、機械が噛み合う音をたてた。


「これが最後の警告だ、ロミオ。おまえは愚かな道を選んでしまった」


「もちろん」


 ロミオは、甘い笑みを見せた。


「愛とは常に、愚かな道だろう」


「映画みたいに」


 ベンヴォーリオは、感情が消えた声で言った。


「三つかぞえよう。その間に考え直せ」


「ああ、答えはもう決まっているさ」


「1、2」


 ロミオのバイクが、獣の咆哮のようなエンジン音を響かせた。


「3」


 銃声は、獣が後脚で立ち上がるように前輪を跳ねあげたバイクのエンジン音に、掻き消される。

 銃弾は、ロミオからそれ塀にあたって煙をあげた。

 バイクは、疾走する獣のように、トラックの作り上げたスロープを駆け上っていく。

 深紅の獣が、漆黒の夜空を飛んだ。

 ロミオの乗ったバイクが、キャピュレットの屋敷の塀を越えて、肝木をへし折りながら庭へと着地する。

 そして、真っしぐらにジュリエットの立つベランダの下めがけて走ってゆく。

 獲物に襲いかかる獣のように疾走したバイクは、ベランダの下へピタリと止まる。

 静寂が、一瞬戻った。

 月明かりの下で、ロミオは軽々とベランダへと登る。

 ジュリエットは、水から上がってきたひとのように、大きく息をして言った。


「ロミオ、ロミオ、なんてこと、あなたはいつもわたしを驚かせる」


 ロミオは、夢見るような表情を浮かべたまま、ジュリエットに顔を寄せる。


「忘れ物を、届けに来たんだ」


「まあ、いったい何かしら」


 ジュリエットが驚いた顔をするのを無視して、ロミオはその唇を奪った。

 それは、相手の魂までも吸い付くしてしまうかのような、濃厚な口づけだ。

 ジュリエットは、世界が消え去り二人だけになったように思う。

 熱が、そして燃え盛る愛が、ロミオの唇から彼女に流れ込んでくるのがわかる。

 脳の奥が、火で炙られているかのように熱かった。

 胸から広がっていく暖かい血の固まりは、腰や下腹を通り抜け脚の先まで伝わってゆく。

 愛の熱に満たされ、息苦しくすらある。

 まるで、愛に溺れてしまうようだ。

 そう思った時、ロミオの唇が離れた。

 それだけのことが、ジュリエットに身を裂くような寂しさをもたらす。

 屋敷が、騒然となった。

 階段を誰かが上がってきて、扉を叩く音がする。

 庭が一斉にライトで照らされ、マシンガンを持った黒服たちが姿を現す。

 けれどロミオは、自分の部屋にいるように落ち着いていた。

 ジュリエットに紙きれを渡すと、もう一度軽く唇を触れあわせ、飛ぶように自分のバイクへ戻る。

 再び獣の咆哮がごときエンジン音が、漆黒の夜空の下響き渡った。

 けたたましくマシンガンの銃声が、鳴り響く。

 猟犬の吠え声のようなその銃声を貫いて、ロミオのバイクは走った。

 ロミオは、大きなソード社製ハンドガンを抜くと、門に向かって一発撃つ。

 落雷のように巨大な銃声が轟き、巨人の鉄槌を受けたように門が開いた。

 ロミオは、疾風のように門を抜け闇の中へと走り去ってゆく。

 ジュリエットは、ロミオに手渡された紙切れを見る。

 そこには、こう書かれていた。


「明日、16時。教会で待つ」


 部屋の扉が、開かれる音がした。

 ジュリエットは慌ててその紙を口に入れ、飲み込んだ。



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