第5話「おれは、エグザイル。愛を失い放浪するもの。しかし、それは今宵で終わる」



 其の五「おれは、エグザイル。愛を失い放浪するもの。しかし、それは今宵で終わる」



 電子的にブーストされた轟音が、響き続ける。

 炸裂するリズムが脳の奥を揺さぶり、高速で走行するフレーズが身体の奥、敏感な部分を刺激していた。

 そして、こころの奥を蕩かすような甘いメロディが、歌われていく。

 南国の花々のように極彩色のドレスを纏ったおんなたちが、深海に沈んだ死体のように身体を揺すっている。

 研ぎ澄まされたナイフのようなおとこたちが、その周囲でステップを踏む。

 マキューシオは自分の狩り場を見回る猫のように、悠々とフロアを闊歩していく。

 おんなたちに頬をよせ、おとこたちに眼差しを投げる。

 マキューシオはディオニュッソスのような笑い声をあげ、ロミオを手招きした。

 ロミオは、激しい音と色彩に、少し酔ったように思う。

 そこは水の変わりに轟音が満ちた、深海のようだ。

 身体の動作が緩慢になり、意識が遠くなる。

 オペラグラスを逆さに見たように、全てが遠くに感じられた。

 ロミオは、ポケットから煙草を取り出す。

 煙草といいながら、ハシシュが混ざっている。

 ロミオはそれに火を点け、煙を吸い込んだ。

 そして、目を閉じる。

 とたんに、全てがクリアになった。

 音が結晶化して、幾何学模様のように閉じた瞳の中で見える。

 おんなたちも、おとこたちも、工場で動作するマシンのように、ダンスを踊っていた。

 ロミオは、目を閉じたままフロアを歩いていく。

 突然、ロミオは爆弾の炸裂したような輝きを感じた。

 音の無い閃光が、フロアの片隅から発せられている。

 ロミオは、目を閉じたまま、超新星のような輝きに向かって歩いていく。

 ロミオは、ようやく光の前についた。

 そこで、目を開く。


 そのとき、撃ち殺されたように、全ての音が消えた。


 それだけではなく、全ての色も消滅する。

 そこは、無限に白く、果てしの無い静寂に満ちた空間であった。

 その白い世界に、ひとりの少女が佇んでいる。

 ロミオにとって、今世界はその少女だけが全てであった。

 彼は、その少女を知っている。

 今朝、橋の上で出会った少女であった。

 ロミオは、叫び、少女を抱き締めたいと思ったが、実際には身体が動くことはなく。

 何も言い出せぬまま、少女の前で立ち竦んでいる。

 少女は、名もなき花が開くようにそっと微笑むと、赤い薔薇のような唇から言葉を零れさせた。


「あの、あなたはどなたなのでしょう」


 その言葉と同時に、世界に色と音が戻ってきた。

 そこは、元のダンスフロアである。

 おんなたち、おとこたちが海を泳ぐ魚のように、音楽の中を漂っていた。

 少女は、おそらくキャピュレットの精鋭であろう若者たちに、取り囲まれている。

 ロミオは、大輪の花のように美しい顔に、笑顔を浮かべ囁く。


「おれは、名も無き道化。天使のあなたとダンスを共にするために、来た」


 少女は、ロミオの差し出した手を取る。

 少女の回りの若者たちは、ざわついたが少女が手をあげて留めた。

 若者たちは、指示を仰ぐようにキャピュレットの当主を見る。

 当主が、許可を与えるように頷くのを見て、動きを止めた。

 少女は、風に舞う花びらのように、ロミオと共に音楽の中を漂っていく。

 やがてふたりは、ダンスフロアの片隅にある、人気の無いパーティションに落ち着いた。

 少女が、再び問う。


「あなたは本当は、どなたなのかしら」


 ロミオは、少女に頬を寄せて答える。


「おれは、エグザイル。愛を失い放浪するもの。しかし、それは今宵で終わる」


 少女は、瞳で問いかける。


 ロミオは、語る。


「愛を探す探求は、今終わったんだ。おれはここに愛を見つけた」


 朝焼けのような薔薇色に染まった少女の頬に、ロミオはそっと手を添える。


「おまえの愛は、どこにある? 愛するおとこは、いるのか?」


「いてます」


 少女の言葉に、ロミオは目を見開く。

 少女は、優しく微笑んだ。


「今日の朝、橋の上で倒れていたひとに、わたしの愛は奪われたのです」


 ロミオは笑い、道化の仮面をとりさった。

 少女は、頷く。


「そう、そのひとは、あなたなの」


 ロミオは。口づけするように、少女に顔を寄せる。

 その時、声が聞こえてきた。


「ジュリエット様」


 少女は顔をあげ、答える。


「ここに、います」


 黒服が、ふたりのいるパーティションを覗く。


「お父上が、お呼びです」


 少女は頷き、ロミオを見る。


「わたし、行かなくては。最後に、あなたの名前を」


「ロミオだ」


 それを聞き終えると、少女は立ち去ってゆく。

 ロミオは、途方に暮れたように立ち竦んでいた。

 彼は、まるで冥界を流離う亡者のように、ダンスフロアを歩いてゆく。

 そのロミオの肩を、叩くおとこがいた。

 マキューシオである。


「なんだ、ロミオ。幽霊を見たような顔だな」


 ロミオは、魂を失ったような顔で呟く。


「おれは、新しい恋を得たぜ」


「ほう」


 マキューシオは、笑みを浮かべる。


「結構なことだな。相手は誰なんだ?」


「ジュリエット」


 マキューシオは、一瞬胸にナイフを突きたてられたような顔になる。

 けれど、すぐに笑みを取り戻した。

 ただ、その笑みは苦いものを噛み締めるような、笑みではあったが。


「ロミオ、その名はキャピュレットのひとり娘の名としらぬ訳ではあるまい」


「もちろん」


 ロミオは、少し遠くを見る目をして言った。


「知っているさ」



 黒服は、ジュリエットを導きながら、彼女に声をかける。


「先程、御一緒されていた方は、ロミオではありませんか?」


 ジュリエットは、驚いた顔をして黒服を見た。


「知っているの? ロミオを」


「もちろん」


 黒服は、賢者のように落ち着いた口調でジュリエットに答える。


「モンタギューの、跡取り息子ですよ」


 ジュリエットは、すっと月が雲に隠れるように、表情を失う。

 彼女の周囲から色が消え、灰色に閉ざされたかのようだ。

 黒服は、慇懃な口調でジュリエットに語る。


「もし知らずに話をされていたのであれば、誰にも語らず忘れることですね」


 ジュリエットは、死者のように白い顔をして、無言のまま頷いた。



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