第22話 ヘカテの要塞
暗闇の底で、一つ瞬く炎があった。
夜空に浮かぶ青の煌めきは、彼らの言葉で紺碧ノ太陽と言う。
かつて有史以前に天文と暦の歴史を築き上げた学者の名は、マルセニア・リテリアと遺されている。
由緒正しきメレス皇国原初の王、ミルトナリリア・レス・メレスの腹心にして、
夜空に置かれていると考えられていた星々と太陽、そして月の中に、この種族多様な大陸と海を湛えたこの星までもが円環の中にあった。
その中でも異質、太陽こそ最も夜を遮る明るいものと考えられていたが、青い太陽があると発見されたのだ。
星霊教徒は夢見た。
決して驕らず、しかしどの星よりも眩い青の光を。
皇国の守護を担う最強は、そういった紺碧ノ太陽の力を受け取った故の強さだった。
ここは帝国領、メレスとの旧国境線は今や完全に帝国の支配下にある。
一際高く、監視塔の意味も込められたヘカテの要塞は、暗い曇天の中に薄い灰色の城の肌を目立たせていた。
地下牢は仄暗いが、湧き出る青白い光によって視界は思いの外明るい。
そして何より恐ろしいのは銅像であった。
金色の短い頭髪に、細身で女らしい体つきだが要所に備えた筋肉。鎧はぼやけて光り、手にもった紺碧の宝玉の槍が戦士―――霊術士で有ることを伝える。
そして目を引くのは有り得ないほどの殺意と衝動を以って見開かれた蒼の瞳と、彼女の真上に立つ身の毛がよだつ程に不気味な赤の光の十字架であった。
正しくは銅像ではない。メイヴスト・ヘルメタイン。
皇国の勇猛なる戦士は、首都攻撃の際時の秘術によって沈んだ。
「憐れだな…」
カツーン、カツーン…。
革靴の石を蹴る音は、この地下牢には嫌というほど響く。
音の主、細い男は木枯らしのように薄く息を吐いた。
名を、フレムレードと言う。
皇国が首都、メレス・レス・マリスの時を殺した張本人であり、帝国が誇る貴族位を与えられた霊術士、枢機卿。
「メイヴァ」
鉄の檻越しに、彼は凍ったままのメイヴストを呼んだ。
親しい者しか使わぬ愛称で。
錆びつくような細い声からは、苦痛と追い詰められた何かが感じられる。
「何年ぶりかな」
かつての旧友に向けて、フレムレードは自嘲混じりの、乾いた笑いを浮かべる。
だがその目は震えたままで、不安の形が浮き彫りであった。
「君に再び会って、胸が苦しかった」
冷たくて、絡みつくような空気が憎い。
籠に入れられた鳥は大空を飛ぶという美しさを欠く。
彼はあの時、自ら籠を蒼い鳥に被せた。
「……君の死刑が決まった」
彼は聞こえるはずのないメイヴストに向けて呟いた。
胸を抉られるような、心臓が迫り出して体が張り裂けそうな様子で。
「さようなら」
余りに名残惜しいと叫ぶ心の声は、誰にも聞こえなかった。
短い、一方的な会話であったが、フレムレードが振り向くことはなかった。
国境沿いの帝国領の街、ヘカテ。
豊かな山脈の恵みと、国防を担う帝国兵達で大変賑わう場所である。
春の訪れを感じる、微かに温かい南西の風がなびく。
現在二ノ月、メレス首都が失陥して二ヶ月が経つが、表立った大きな混乱は起きていない。
北部の優秀な領主達が神帝の気まぐれで降伏勧告に済んでいる為、各国にも国が危うくなるような危機は及んでいない。
しかしここヘカテには大きく変わった点が一つ有る。
丘の上にある一番大きな砦付近は何人たりとも近づいてはならない。という
何でも皇国のお姫様が囚われているだとか、いやいや霊術士様が北部を落とすための儀式の準備をしているだとか、根も葉もない噂が呆れるほど広まった。
が、そういうのはすぐに行商人の新しい積み荷だとか、街の
しかし臣民は知らない。
時の止まったメイヴストの術が解けると同時に、彼女が時の止まり際に放とうとした特大の霊術が放たれるかもかもししれない。そう危惧したフレムレードが進言したと。
表向きには誰も居ない事になっているが、如何せん万物の干渉をも避ける状態で首を刎ね飛ばす事も、槍を取り上げることもできない。
数人の手練が砦の中で見張りと警戒をしているのだ。
そして、そして時は動き出す。
僅かにでも実った希望はこちらにも落ちていた。
―――ヘカテの戦後の平穏は今、唐突に破られた。
突如の閃光と爆音。
何事かと子を家へ隠し外へ出てみれば立ち上る蒼い炎が、砦を破壊しているのだ。
騒然と街は混乱し、多くの兵士たちがそこへと向かう。
青血の炎魔、今ここに。
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