第20話 覚悟

「ひめさまっ!」


開口一番、途方もなく大きな声が出た。

まだ2つを数えたばかりの体に、皇家の象徴銀髪を薄く光らせて小さな姫は寝息を立たていた。


上げてしまった声で起こしていないか心配だが、そんな事をものともせずに寝顔をさらけ出している。


胸に詰まって凝り固まっていた黒い感情が消え、ぽっかりと空いて止まない心の穴の縁が少し、ほんの少しだけ埋まった気がした。


つい目頭の熱さを留め逃してしまった。


「ひめ、さま」


涙を止めようと上を向くも、その姫の御姿をもう失いはしないと見据えようとして、なんだかおかしな様子に似なってしまった。


「あんたが救った命と、皇国の未来だ」


「…はい」


「この子の存在が知れ渡れば、帝国は間違いなく首を狙う。そん時そばに居てやるのがあんたの仕事だ」


「わかってます。二度と、失いたくない」


「…気張れよ」


そう似合わぬ重さで言うと、フードの彼女は部屋から出ていった。


屋敷の一室で、リシェルは俯く。

堰が崩れた涙が頬を伝い、小さな、しかし暖かな嗚咽が響く。

きっと顔はぐしゃぐしゃだろう。でも、それで良い。


震える手を伸ばした。

真っ白でふかふかとした毛布と共に、その重みがリシェルの心に一筋の光を落とした。


起こさないように。慎重に。姫君を抱える。

いつもこの子を抱かれている御后様は、もう。


急に現実が目の前に迫り出してきたようで、辛かった。

彼女は姫君を涙で濡らさないように、起こしてしまわないように、そっと腕に顔を埋めて大粒の滝を作った。


いや、后エルメレス様は死んじゃいない。


モルトヴィネ侯が仰られた通りなら。

メレス・レス・マリスは時が止まった。あの十字架が霊術で、それを戻す方法があるならば。


僅かな可能性にかけても、リシェルはやるつもりだった。


みっともない鼻水をすすり、ちょっと歪んだ視界で姫君を見た。


「…必ずや」


―――行きなさい。私は貴女を信じ、託します。


申し訳ございません御后様。

私めは危うく託された姫様を失う所でした。


―――ありがとう、リシェル。生きなさい。


申し訳ございません御后様。

私めは今より、霊術士となります。死の淵に参ります。


―――血統や政治に関わらなくていい。せめて、世界の片隅で、普通に


申し訳ございません御后様。

私めは、姫様を、姫様たりうる子とし、貴方様を必ずや助けます。


腹に当たる温かみは逃さない。

リシェルは覚悟した。


行ってきます。


私の身はこの方の身。

例え修羅に堕ちたとしても、皇家が幸せであるならばそれでいい。


霊術士とは、他を殺し己を殺すものと聞いている。

月に御わす玉兎は、力を与える代わりに生命を蝕む呪いをつけるという。


ぎゅっ、と淋しい気持ちとともに力を入れた。


「…姫様」


不意打ちをくらったような表情になっただろう。

目を開くと、金色があった。

純血の象徴、真白の国の、皇帝を示す。


起きていた。

眼を不格好にこすり、それでも凛とした瞳で。


不思議なお方であった。この無礼きわまりない行為を前にして、実母エルメレスとも違う抱かれ心地を前にして、好奇心の目のみを向けている。


「かあさま、どこ?とおさま、どこ?」


「…っ!」


酷く純粋な痛みが突き刺さる。

何も知らないのだ。離れて10日経つ実親にパニックを起こさず、多少見知った程度のリシェルに甘えようとする姫様は何とも健気だ。


失ってはならない。

主人の御意志を無下にする訳にはいかない。


「…御父上も、御后様も、きっと、きっと私が助けます」


きょとん、と小首を傾げた姫君に対してリシェルは唇を噛む。

彼女は覚悟した。





日が山に近づき始めた頃に、部屋の外でおろおろしていたリシェルと同じ歳ほどの侍女たちと話し、「皇家第二皇女であられるが為、丁重に」と子守と世話の仕方を伝えた。


話によると、雪山ノ剣城の頃行っていた初等の教育はモルトヴィネ侯が直々に継いでくださるようで、「この屋敷にいる限り姫様と剣城の傍付き侍女の諸般責任と面倒は私が見る。折角の霊術の才能だ、十二分に役立てろ」との事だった。


「おやおや、随分長かったな」


曲がりなりにも、あの鬼族ロニアの人にちゃんとした礼がしたいと探していると、ちょっとした広場のような場所でおどけた声がかかった。


そちらの方を見ると、どうやら外出から丁度帰ったらしい彼女が風よけ布と雪駄についた雪を払うのが見えた。


「泣いて気持ちはついたかい?どっちにしろあんた次第だ」


「……私は、血も争いも嫌いです」


「じゃ、やめるか」


「ですが!」


むきになって応えた。


正直、怖い。

かの星辰守護士団の面々のように、心を殺して敵を屠るだけの器械的な行動はしたくない。


それでも、それも、言い訳でしかなかった。


「私は姫様を護りたい!あんな戦争なんて起こさせたくない!私はその、覚悟が足りないかもしれないけど、姫様に、御后様に怖いなんて思いは味わって欲しくない、だから!」


思い切った発言も、徐々に速度が衰え探り探りの言葉であった。

泳いでいた視線を戻すと、そこには真剣な彼女の姿と眼差しがあった。


「女としての真っ当な道を捨てることになる」


「構いません」


「死んだほうがましという道を選ぶことになる」


「構いません」


「最後には殺される」


「構いません…!」


「人を殺した手で姫を抱くことに自責を感じることになる」


「……っ!それは!」


どうしようもなく自分は我儘だった。

でも、護りたい。あの暖かさを護りたい。


何にも代え難い存在を衞るために、自分は堕ちる。

それでも、誰が上に藻掻き手を伸ばしてはいけないと決めた。


抗うのだ。

帝国にも、それ以外の敵にも、己の命運にも。


「…それでも私は、護ります!」


文字通りの雪辱、二度と姫様を失ってたまるか。

強くなる。強くなって、救い、助け、姫様を護る。


「どうか、どうか私に霊術を教えて下さい」


頭を下げた。

こんな強情な娘が、半端な覚悟で割り込んで良いものではない。


分かっている。頭では分かっているけれど。


自分の本能が訴えかけていた。

私は、強くならなければならない。


殺す為でなく、護るために。


「……先ずは、基本的な知識と筋力だ」


「ありがとうございます!」


「勘違いはするなよ。これは言わば小手調べだ。あたしだって見込みのないやつに時間をかけるほど暇じゃない。幾ら霊力が強かろうと、他で弱ければ意味がない」


「…はい!」


「半年だ。半年経った後に決める。その包帯だらけの体が完治した後から、六ノ月までにどれだけ伸びるか、見る」


深く息を吸った。

幾ら才覚の兆しがあろうとも、結果が出なければ意味がない。


剣城にて貴族や皇家、政治の一部を身近でみれた彼女になら分かる。


「よろしくおねがいします!」


精一杯の覚悟を決めて彼女は言った。

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