第13話 我が姫君

彼女らは冷えていた。

凍てつき止まない旋風が吹き荒ぶ。


見渡す限りの白が、とうに視界を覆い、風に乗って遊ぶ豪雪は紗幕さながら。

礫程ではない。しかし中途半端に固まった氷雪が渦巻くことで、体温と気力はありえない程奪われるのだ。


山の天気というのはこうも厳しいものなのか。

先程まで走り泣きながら見ていた月も夜空も、とうにその姿は吹雪と雲に厚く閉ざされる。


どこか自分たちの行く末を暗示しているようで空恐ろしかった。

最早リシェルの足元さえ霞み、時々目に入る樹木の木肌に驚かされてばかり。


それでも、と抗い続けなければ御后様に顔向けできない。


中腹までは来ただろうか。

寒さと疲労で、今にも死んでしまいそうな思考の中ぼんやりと考える。


涙は枯れ、体力は死に、回廊での火傷と傷、そして山の追い打ちから頂いた憎たらしい凍傷。


既にお仕着せの、フリル付きのスカートと袖は千切った後に姫君の暖に宛てたため、満身創痍と言う他なかった。


きっと自分は酷い顔をしているんだろうなぁ。


それくらいの自嘲がなければ活が入らなかった。

何も考えなければ自然と、温かい侍従寮やそこの暖炉が浮かんできてしまう。


歯を食いしばり、向きあうしか道はないのだ。


御后様の示してくださったメウィリーン領は、銀刀山脈の高原にある、皇国首都メレス・レス・マリスを除いて一、二を争う規模の都市だった。


夏季にもそれなりに涼しい、と御后様が避暑地として行っていたのは良く覚えている。


普段なら迂回し街道を使うのだが、帝国の手がどこまで迫っているかわからない今、急斜面を駆け上がるしかない。


と、いっても雪は先日の分と併せてかなり高く積もっており、入るどころか歩くだけで手一杯。


夏季になれば岩石と砂利、僅かな樹木が乱立する山脈だ。

どこかで踏み外し穴に真っ逆さま、となるのは考えにくい。というか考えたくなかった。


「あぐ……」


新たな痛みが全身を駆け巡る。どうやら足首を捻ったらしい。


幸いにも冷やす雪ならそこら中ある。

一瞬止まった後、再びのそのそと歩き出した。


痛い、辛い、寒い、そんな考えはすぐさま捨てる。

私の身はこの方の身。


何度も。

何度も何度も何度も何度も何度も繰り返してきた、呪詛のような言葉が頭を巡る。


誠心誠意の努力、それを持ちえたとしても、安寧と普通は手が届かないのか。


もう、信じる、という虚ろで遠い炎しか彼女にはなかった。


教えてください星霊様。

教えてください月兎様。


私と、この子は――


ばさ。


重いものが雪に落ちる音がした。

誰が?

何が?


探って、初めて肝まで冷えた。


私だ。

私が倒れているのだ。


なんで、どうして、ひめさまは?


呆れるほどの吹雪が荒れ狂い、彼女を蝕んだ。

宵の白雪が、限界のリシェルを染め上げる。

何一つ明かりのない山の雪は、彼女の肌を喪服のようにした。


「……め、さま」


多分、呻いたのは自身だろう。

その確証も曖昧で、衰弱しきった彼女はとうに自覚というものを壊している。


「……姫さ、ま」


目の前には、何よりも価値のある人がいて。

なのにこの手が思うように伸びなくて。


「……ひめさま」


意志と倦怠感がせめぎあう。

吐いた息と言葉の代償として、どこまでも冷たい空気が胸を満たして静かに暴れる。


多分、長くはもたない。

本能でそう感じた。


「……ひめ、様」


雪上でもがく。

蛆虫のように。

蛆虫でもいい。


体が軋む。

せめてせめてと腕を動かす。

ちぐはぐな、元は引き裂いたお仕着せの布と御后様のもっていた布を合わせて包んだ突貫品。

それ、いやその方こそ雪より淡いリシェルの全て。


今日何度目かも分からない強烈な眩暈が視界を火の玉で遮る。


護ります。

そう誓ったはずなのに。


託します。

そう言われたはずなのに。


これまでとは違う、頭を思い切り殴られた余韻のような、意識の混濁と馬鹿みたいな熱が、彼女の全身に猛威を振るう。


「姫様」


狂う意識の中で、確かにリシェルはその名を呼んだ。


ぷつり。

黒が支配した。


すぐそばに、荒々しい足音が迫っていることも知らずに。

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