3 卓雨桐

 卓雨桐ジュオユートンはセクサロイドメーカーの工場生産ラインの管理を担当している。

 今はお楽しみの真っ最中だ。

 左側を鮮やかなライムグリーンに染めたアシンメトリーの髪をかき上げ、高級ワークチェアの肘掛けに肘をつき足を組みながら、モニタの映像を見て目を細めている。

 モニタには、2つの映像が同時に映されていた。一方はベッドの上で若い女の身体を組み敷く中年男性、もう一方は当の男が眼を瞑り息を荒げる様子を正面から見る構図で、カメラ自体が男の動きに同期して揺れている。

 女とも見えたそれは、セクサロイドだった。眼球を模したカメラの映像と、部屋の天井に設えた隠しカメラの映像を同時に試聴しているのだ。


 世界で初めてセクサロイドが作られてから、もう10年近くが経つ。かつてラブドールと呼ばれたそれはいくつもの厳しい制約を課されたAIと自律動作機能を備え、セクサロイドという新たな名を獲得した。最初の個体を作ったのは、日本のとあるベンチャー企業だ。流石はヘンタイ大国、さもありなんと世界中で呆れる声が上がったのも束の間、あれよあれよという間にそれは世界中へと膾炙し、需要と供給のバランスから販売価格が先進国のホワイトカラーの年収程度に落ち着く頃には既に、セクサロイドは性風俗産業の一角に固く食い込んでいた。結局のところ日本だけではない、女にあぶれ、あるいはそうでなくとも特殊な性的嗜好をもつ世界中の男に共通の、それは欲望だったのだろう。

 いくつもの事故が起き、その度に規制が増え、今では民間企業の新規参入は現実的でないと言われる程に既得権益ガチガチの産業になってしまったが、それもさして珍しい事ではない。

 大学で工学エンジニアリングを学んだ雨桐が今の会社に就職したのはそこに至る途上、いわゆる黎明期と呼ばれる頃で、それについては我ながら先見の明があったと自負している。お蔭で規制と監視の目が強まる前に少しずつ部品をちょろまかして、2体の完成体を手に入れる事が出来た。当然どちらも女性型だ、男性型もあるにはあるがその需要は天と地ほども違う。

 今ではこうして、趣味と実益を兼ねた副業に手を出している。セクサロイドを使った売春自体は合法だが、雨桐の行うそれは必要な手続きや届け出を一切行っていない違法なものだ。

 言わずもがな、それはカメラによる外部監視の可否が関わっている。覗き見は古今や洋の東西を問わずマナー違反と言う訳だ。だが、雨桐の精神状態を維持する為にも、この覗き行為は止められない。

 雨桐は、アセクシャルだった。あらゆる他者に対して性的欲求を覚えることが無い。加えて、思春期に入ってからこの方、強烈な性嫌悪を自身の裡に抱き続けている。当然、悩みと無縁などということは無かった。どうして自分はこうなのか。なぜ他人と違うのか。家族や友人に内緒でカウンセリングやセラピーに通い、それでも性自認は強固なままで、数度の自殺未遂を経て、ある時天啓を得た。

 なぜ他人と違うのか。それは自分が完全な存在であるからだ。完全なる者は、当然自分だけで完結して誰を求めることもない。だから、自分はそうなのだ。そう思う事でようやく、雨桐は自身の精神の平衡を保つことが出来た。

 他人の性行為を初めて覗いたのはいつだっただろうか。暗い部屋で、体液の粘つく水音をたてて交わる姿の余りの醜さに愕然とし、同時に自分がそれと無縁である事に強烈な安堵を覚えた。この副業を思い付いたのはそれからだ。覗きという行為そのものに興奮するのではなく、それによって自分の完全さを再認識することが雨桐の愉悦だった。とりわけ男の、射精に至るまでの攻撃的ですらある性欲の発露は堪らなく醜く、その分だけ今自分がいる高みとの落差を楽しむことができた。

 もう一体のセクサロイドはカメラによる外部のリアルタイム監視こそ行っていないが、こちらはより利益を追求するタイプの仕事に専ら使っている。

開発途上で起きた数多の致命的な事故の内、決して少なくない数が雨桐の使用目的に沿った使い方をした結果だと彼女は予想している。それは形を変えた、現代の房中術の一種とも言える。

 雨桐が使うのは毒物だった。それも遅効性かつ非致死性であるところがミソだ。これをセクサロイドの性器や口腔内に仕込んでおく。例えば、昨今はめっきり減ってしまった自動車の有人運転を行う際であるとか、対象にシビアな判断や集中力の求められる時間帯に症状が出るように調整する。これが意外に成功率が高いのだ。それに、絶対にバレていないという自信もあった。

 滅多に依頼が来ることは無いし、来た所で依頼人や対象の素性に関するリサーチは慎重を極める。接触も可能な限り間に人を介さず、自分についてのあらゆる情報を伏せ、ほんの一言二言の通信ひとつを行う時でさえ、いくつもの無関係なシステムやゲートウェイを極めつけに回りくどいルートで経由した。

 労力は掛かったが、それだけの見返りはあった。今ではちょっとした島が買えるくらいの金額が、複数の口座に貯まっている。


 画面の向こうはいよいよクライマックスを迎え、一際激しい動きの後、だらしのない顔とうめき声と共に男が絶頂に達したようだった。ああ、何と愚かしくも汚らしい存在だろうか。

 かつてネット上で「セクサロイドにも生まれ持った基本的被造物権がありセクサロイドの意に沿わないセックスを強要することはそれを侵害している」という意見を見た時は、彼女は腹を抱えて笑ってしまった。世の中には色んな奴がいる。

 ひとしきり満足を得た彼女は監視を切り、服を脱いで部屋の中央にあるカウチソファに裸で仰向けになった。ソファの上にあたる天井には大きな鏡が嵌め込んであり、寝そべると自分の全身を眺めることが出来る。

 細く長い手足、凹凸の少ない体型、きめ細やかな肌に薄い体毛。余韻に浸りながら、これが、これこそが完璧さだと雨桐は思う。

 手元のスイッチを操作すると、部屋の照明がブラックライトに切り替わった。同時に、彼女のライトグリーンの髪と体中に施された蓄光タトゥーが燐光を発する。もう一つのボタンを押すと、プロジェクタが壁天井の一面に同色の曼荼羅が映し出された。可視光ギリギリの暗紫色に照らされる暗い部屋の中で、蛍光色が揺れ、動き、踊る。鏡に反射した一部の光がソファの表面で舞い、それがまた鏡に映って……千々に舞い動く光が雨桐の網膜を通し、脳内で酩酊作用を引き起こしてゆく。

 早くも夢うつつに陥りながら、手探りでソファの肘掛けの辺りから有線プラグを引っ張り出して、こめかみに埋設したジャックにかちりと挿入した。最後のボタン操作で注入されるのは、雨桐イチオシの電子ドラッグだった。視床下部へと外科的に埋め込んだデバイスが電気的に刺激され、ある種の受容体を選択的に活性化させる。効果は劇的に現れるが、スイッチさえ切ってしまえば醒めるのも早く肉体的依存性もないというのがバイヤーの売り文句だった。確かに効き目は早い。間を置かずして曼荼羅の縁が滲み、鏡に確たる虚像を映すはずの身体の輪郭が失われていく。半ば開いた雨桐の口元から、涎が糸を引いて垂れた。


 不意に玄関のチャイムが鳴り、虚空に漂っていた意識が現実に戻った。

 何だよ良い時に。雨桐は無視を決め込もうとしたが、玄関先の誰かはしつこくチャイムを鳴らし続ける。雨桐が出るまではテコでも動かないという意志の強さを感じた。

 舌打ち混じりに全てのスイッチを落とすと、途端に頭にかかった靄は消え、同時に白々しい色が部屋を満たした。

玄関ドアの上のカメラの映像を立ち上げる。

 そこに映っていたのは二人の男だった。一人は後ろに控えていて、サングラスを掛け光沢のあるブルゾンに身を包んだ体格の良い短髪の男。

 そいつはまだいい。その前でチャイムを鳴らすもう一人が、問題だった。三つ揃いの上等なスーツに身を包みながら、ジャケットのボタンを二つとも開けて、だらしのない結び目のネクタイをしている。長身の者にありがちな猫背、整髪料でテカテカに光るオールバックの髪、青々しい髭の剃り跡。見覚えは無い、無いが……

「小姐。ちょっと訊きたい事があるんだ」

 スーツの男はそう言って、視線だけを上部のカメラに向けた。三白眼で睨め上げるその姿と唸るような独特の抑揚といい、明らかに堅気のそれではなかった。

「あんたがやってるアルバイトについて、いくつか」

 クソ。

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