第14話 桔梗14
その日は貴婦人の温室を訪れていた。
私は可能な限り、週に一冊本を読み、映画を一本観るようにしていた。彼女と会うときには、おもにその話をする。
頻繁に顔を合わせると、話題に困ることになるだろうと、前から危惧していたからだ。
どんなに新しい作品だろうと貴婦人は知っていたが、私の拙い感想でも熱心に聴いてくれたので、仕事とはいえ楽しい時間である。
公主とは挨拶だけで終わる日と一時間以上も話す日があって、事前の私の準備などあまり意味はないし、伯爵とは会話らしい会話はないから、余計にそう感じたのかもしれない。
帰り際だった。
貴婦人は再び私に小説は書かないかと聞いてきた。
久しぶりだったので、私もすっかりそのことは忘れていた。
「いやぁ、読むのは楽しいと思うのですが、自分が書くとなると……」
「そう、残念ね」
貴婦人が白い手を頬に当てる。
「執筆をお願いしているかたから、しばらくは休みますと連絡をいただいたの。東京を離れるから難しいのですって」
そっとため息をついた。
「だめねぇ。寂しく感じてしまって。お休みとおっしゃるのだから、また書いてくださるのだとは思うのだけれど」
吸血鬼のために小説を書くとは、いったいどんな人物なのだろうか。興味がわく。
「どういったかたなんですか?」
「あなた、ご存じかしら? 公主のところのトオルさん。彼、文学部でらっしゃったから、とても洗練された文章をお書きになるのよ」
森咲トオル。
ナイーブな文学青年といった風貌が思い浮かぶ。
もちろん知っている。
「はい。何度か公主の拠点で会いました。でも東京を離れるなんて聞いていなかったですね。いつ頃のことですか?」
「ここ一週間くらいの話です。ふふふ、今にも飛び出して行きそうね」
隠したつもりだが、貴婦人にはお見通しのようだ。
これは早く報告せねばならないのではと焦ったのだ。
深呼吸をして身体から力を抜く。
「彼に逃げられてしまったのかしら?」
「いえ、そんな大ごとではありません。私が知らなかっただけでしょう」
「そうね……さあ、もう行ってくださって結構よ。また来週お会いしましょう」
「はい。では失礼します」
貴婦人の拠点を出たあとですぐにアザミさんに報告する。
アザミさんはわかったとだけ答えた。
その足で公主の拠点へと移動する。
面会は突っぱねられるかもしれないと思ったが、いつものように迎えられた。本棚に囲まれた部屋の、大きなデスクの向こうの定位置で。
場所は変わっても公主の部屋は廃校のときと同じようなつくりなのだ。
「今日は来る日だったかな?」
「いいえ、公主にお伺いしたいことがございまして」
「なんだろうね。僕にわかることなら良いんだけど」
「森咲トオルさんの所在について」
公主は微笑んで小首を傾げる。
私は無言で待った。
「はは、冗談だよ。そのことできみが来たんだとわかってたさ。僕はもっと早く来るんじゃないかと思ってたんだけど。意外に時間がかかったね」
「所在をご存じですか?」
「数日前に僕のところから出たいという申し出があってね。許可したんだ。まあ、別に僕の許可なんて必要ないんだけど……それに……きみたちの許可もいらないよね?」
「はい」
「うん。一人のクロラがいなくなったくらいで、きみが飛んできたからびっくりしたよ」
公主は椅子をくるくるとまわす。
「所在だったね? それは聞いていないな。日本中をぶらぶらしたいとは言っていたけれど、本当のところはわからない。なにか調べたいことがあるみたいだったけど」
「そうですか」
「僕の眷属たちがやっていることを、君たちが警戒しているのは知っている。彼らが具体的になにをしたいのか僕は知らないけれど、日本を滅ぼしたいなんていう集まりだったら僕がとめるから、安心してくれて良いよ。信用はできないだろうけどね」
「いえ、信頼はしています」
躊躇わずそう返すと、公主は笑った。含みのない笑いだった。
「前にきみのこと、この仕事に向いてないなんて言ったけれど、訂正するよ」
「ありがとうございます」
「もうお帰り。きみらの仲間は、変に勘ぐって大騒ぎしているかもしれない」
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