第3話 桔梗3
本当ですか? と聞こうとしたけれど、そう何度も上司の発言を疑ってはいけないと思い直した。相手が相手なら、叱責されることもある。
どちらかと言うと、本気にして騙されるほうが安全だ。
おそらくこの『人ならなる者が関係する事件』という説明を、私が受け入れることができると判断されてスカウトされたのだろう。
それが求められているのなら、受け入れねばならない。
警察は人に関わる事件ではプロフェッショナルであるが、人以外ではどうだろう。訓練もないし。
もし人ならざる者が存在するとして、その者たちが罪を犯したとしたら、普通の警察より、専門的な部署が動くほうがスムーズに解決できるはず。
そもそも人に対してだって、それぞれ専門的な部署が対応するのだから。
ただ、もちろん疑問はある。
「すみません。不勉強なものでして、その人ならざる者、というのは……?」
「うん、ちょっとね、ふふふ、かっこよく言ってみた。そうだなぁ、都内で一番多いのは、まあ、吸血鬼だね」
「吸血鬼というと、あの?」
「そう」
「血を吸ったりする」
「そうそう。やっぱりね、仲間を増やせるからさ、結構たくさんいるんだよね」
雑草や虫のことを言っているように聞こえるが、表情を見ると、侮蔑的な意味で言っているわけではないようだった。
「吸血鬼による犯罪というのは、件数としては多いんでしょうか?」
「我々の部署が介入する事件の大半は吸血鬼によるものだけれど、総数としてはそう多くない。みんな温厚な性格だからさ。まあ、そういったタイプの吸血鬼のほうが長生きできるからだろうけど。人間のほうがよっぽど凶暴なんだよ」
そう言ってアザミさんは豪快に笑った。そして、さらりとその笑いをおさめる。
「きみは一度吸血鬼の起こした事件に関わっているんだ。スカウトした理由のもう一つはそれだよ」
そう言われて、ついこの間まで勤務していた交番での出来事がさっと思い返された。
大きな事件や事故は起こらなかったけれど……。
そう、一回あった。あれで私は表彰されたのだ。
「連続通り魔事件」
アザミさんが頷く。
警察官になって一年目のことだ。といっても一昨年の話になる。
私が勤める警察署の管轄で、四件の通り魔事件が発生した。
被害者は全て若い女性。
夜、帰宅途中に襲われている。路上で倒れているところを通行人が発見し通報。
倒れた際に負ったと思われる擦過傷以外に、目立った外傷はなかった。盗まれた物もない。
襲われた前後の記憶が曖昧であることから、薬物が投与された疑いもあったのだがそれもなし。
現場周辺に防犯カメラはなく、現場に至るまでの道沿いにあるカメラにも、被害者の後を追うような人影は映っていなかった。
三件目の発生をもって傷害事件から通り魔事件に切り替わった。我々地域課も事件現場を中心にして、人気のない路地などのパトロールを強化していたのだが、進展のないまま数日が経過してしまった。
その日は夜勤だった。
事件の発生頻度はニ週間に一回程度。
そろそろまた起きる頃ではと、半ば期待されていた。良くないことだけれど。
私は先輩とパトロールをしていたところ、事件発生の一報を無線で受け、現場に急行した。
現場からほど近い場所にいた私たちは、一番最初に到着できた。
足を投げ出し、壁にもたれた体勢の女性と、彼女に寄り添うもう一人の女性。二人を庇うように男性が一人そばに立っていた。
遠くに野次馬が二、三人。
被害者の近くにいるのは、通報したカップルだった。
二人は女性が倒れる瞬間に遭遇したらしい。通り魔事件のことが念頭にあったため、即座に通報できたそうだ。
二人は走り去る人物を目撃していた。
我々が到着するまでに五分はかかっただろうか。
まだ近くにいる可能性がある。
先輩にその場を任せて、私は犯人が逃げたと思われる方向へと走り始めた。
犯人を見つけられたのは僥倖だった。
不審な人物を発見して、職務質問をしようと近づいたところ、その人物は私に猛然と向かってきた。
私は警棒を構えて待ち構える。
すると、その人物は目の前で大きく踏み込むと私の頭上を宙返りで飛び越えた。
驚いている時間はない。
私は咄嗟に片足を引くと、後ろを振り向くと同時に警棒を振るう。
着地が足なのか手なのか予想できなかったので、出来るだけ低い位置を狙った。
警棒が足にめり込んだ。
手加減はできなかった。
犯人はそのまま崩れ落ちるかと思ったが、そのまま何度もアクロバットを繰り返して私から素早く離れると、走り去ってしまった。
息があがってすぐには追えなかった。
荒い息のまま無線で応援を呼んだ。
私が犯人に追いついた頃には、何人もの警官に押さえつけられていた。
犯人は傷害容疑で起訴された。起訴内容を認めていたはずだ。
その後はどうなっただろう。
控訴したという話も聞かないから、刑に服していると思われる。いや、執行猶予がついたのだっただろうか。
そもそも犯人は何のために被害者を襲ったのだ。
「吸血するためさ」
「首筋に噛み跡が見つかったということでしょうか?」
「いやいや、今どき首に噛み付いたりしないよ。だいたいがここ」
アザミさんは親指の付け根の膨らみを指差した。
母指球と呼ばれる部分だ。
「ここなら、誤魔化しやすい。あまり痛くないしね。あの事件のときは他の擦過傷にまぎれて、最初はわからなかったんだ」
「それにしても、起訴や公判って、一般に人間が犯行をおこなった場合と変わらないんですね」
「うん。まあ、吸血鬼とはいえ、半端な種類だったし。人間の範囲におさまっていてくれる限り、人間として扱うさ」
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