03.

 


 名探偵”シャーロック・ホームズ”…――

 彼を象徴するトレードマークと言えば、多くの読者は「鹿撃帽-”ディアストーカー”-」と「肩掛け外套-”インヴァネス・コート”-」という――“ホームズ・ファッション”――を想像するだろう。ところが、じつは原文中にこれらの記述は全く存在しない。

 十三作目の短編『白銀号事件-Silver Blaze-』の冒頭にて、ロンドン郊外へ出掛ける時のホームズが「耳当て付き旅行帽-”flapped travelling cap”-」を着けている記述は出てくるが、直接に「鹿撃帽-”ディアストーカー”-」と明言された事は一度も無いのだ。外套に関しても同様で、ホームズは普通の『コート』を着ている。


 実はこれらの服装-”アウトフィット”-は…――

 英国小説雑誌『ストランド・マガジン-The Strand Magazine-』に掲載されていた『シャーロック・ホームズ』シリーズの挿絵を担当した、挿絵画家”シドニー・パジェット”氏のアイデアによって追加された演出であり、彼の描いた”挿絵”が演劇やテレビドラマの衣装に取り入れられ、次第に“ホームズ・ファッション”として定着したものだと言われている。

 ちなみに「鹿撃帽-”ディアストーカー”-」が挿絵として初登場したのは、四作目の短編『ボスコム渓谷の惨劇-The Boscombe Valley Mystery-』の扉絵である。列車の客室に座り“怪事件”に挑む雰囲気漂うこのホームズ達の挿絵は、シリーズ屈指の格好良さだと俺は思っている。うむ異論は認めるぞ。ちなみに言うと”名探偵ホームズ”が愛用した事から「鹿撃帽-”ディアストーカー”-」は、別名”シャーロックハット”とも呼ばれているのだが…――英国ビクトリア朝時代のロンドン市街を”狩猟用の帽子”で歩きまわる姿は……さぞ”悪目立ち”した事であろう。まあつまり、あまり現実的な服装ではなかったわけだ。

 だが、パジェット氏の挿絵に関して著者ドイル氏は、第一短編集『シャーロック・ホームズの冒険-The Adventures of Sherlock Holmes-』にてこう語っている――



『私の“シャーロック・ホームズ”に挿絵を描いた画家と会う機会があれば、彼の挿絵に、私がどれほど感謝しているか伝えて頂けたら幸いです』



 英国雑誌『ビートンのクリスマス年鑑-Beeton's Christmas Annual-』に掲載された”ホームズシリーズ”の記念すべき処女作『緋色の研究-A Study in Scarlet-』、そして米国雑誌『リピンコット・マガジン-The LIPPINCOTT’S Magazine-』に掲載された長編二作目『四つの署名-The Sign of Four-』は共に評判が振るわなかったが、英国小説誌『ストランド・マガジン』における”短編”連載を機に人気が急上昇した。

 名探偵『シャーロック・ホームズ』シリーズが、推理小説界の金字塔を築けたのは、パジェット氏の魅力あふれる”挿絵”がひとつの支えになった事は想像に難くない。ちなみに『緋色の研究』の挿絵は、ドイル氏の父チャールズ・ドイル氏が描いたそうなのだが……どちらかと言えば線画っぽい感じチョットキタナイである。まあ興味のある方は調べてみてほしい。


 ちなみに、素晴らしい挿絵の多用を売りにしていた英国雑誌『ストランド・マガジン』は、当初は”ホームズシリーズ”の挿絵担当として『ロビンソン・クルーソー』や『宝島』の挿絵で当時人気絶頂だった画家”ウォルター・パジェット”氏を雇う予定だった――のだが。なんと間違えて依頼の手紙を”兄”シドニー・パジェット氏に宛ててしまい、そのまま採用されたという裏話がある。ついでに言うと――”弟”ウォルター氏は”名探偵ホームズ”の、”兄”シドニー氏は”ワトソン博士”の、”挿絵モデル”だったと言われている。縁は異なもの味なもの。以上、余談である。



■03.紫煙色の研究 -A Study in Blue Smoke-



 さて、愛煙家の俺としては、かの名探偵シャーロック・ホームズを象徴する”トレードマーク”と言ったら「パイプ煙草」を語らずには終われない。


 ところで、多くの読者は「パイプ煙草を咥えるホームズ」を想像する時、吸い口がS字に湾曲したベント型の「キャラバッシュパイプ」をイメージすると思うが…――実は「キャラバッシュパイプ」も原作中に登場した事は、パジェット氏の挿絵も含めて一度も無いのだ。

 ホームズが原作中でも愛用していた三種類の「パイプ煙草」は、すべて煙道がまっすぐ直線に伸びるL字のビリヤード型であり、そもそも南アフリカ原住民が使っていた「キャラバッシュパイプ」が英国に伝わったのは”第二次ボーア戦争”以降のことだから…――ホームズ達が活躍していた”当時のロンドン”には存在しないのである。


 では、どうして原作に登場しない「キャラバッシュパイプ」が、ここまで”名探偵ホームズ”の小道具として定着したのか…――それは米国の劇場街”ブロードウェイ”にて『シャーロック・ホームズ』が舞台化された際、舞台俳優”ウィリアム・ジレット”氏が独自に脚色した”演出”が起源だとされている。ジレット氏が「キャラバッシュパイプ」を採用した理由には諸説あるが、観客が遠くからでも分かる見栄えの良さ、口に咥えながら長時間でも喋れる軽量さ、などがよく挙げられている。


 俳優であり優れた演出家でもあったジレット氏は…――

 「鹿撃帽-”ディアストーカー”-」「肩掛け外套-”インヴァネス・コート”-」「キャラバッシュパイプ」という現代にも受け継がれている――“ホームズ・ファッション”――を普及させたほか、原作には無い”決め台詞”――『初歩だよ。ワトソン君-”Elementary,my dear Watson.”-』――という”ワンフレーズ”も考案している。実に見事な多才ぶりだ。ちなみにこの”決め台詞”は――短編『背中の曲がった男-The Crooked Man-』や長編『バスカヴィル家の犬-The Hound of the Baskervilles-』にて名探偵ホームズが発言した『初歩だよ。-”Elementary.”-』という台詞を参考にしたと思われる。

 とにもかくにも、ジレット氏は現代においても「最も成功したホームズ俳優」と賞されている。

 なお、ドイル氏はジレット氏に対して『舞台上の貴方と比べると、本の中のホームズは見劣りする』と最大級の賛辞を送ったとか……。

 また、ジレット氏が『シャーロック・ホームズ』の舞台化にあたり、事前に脚色する許可をドイル氏へと求めた電報のやり取りは「両者に信頼関係があったか否か」「ドイル氏は連載執筆に嫌気が差していたか否か」を推理する手掛かりとして”シャーロキアン”の間では有名になっている――


 ジレット氏『ホームズヲ結婚サセテ良イカ?』

 ドイル氏『結婚サセルモ殺スモ、好キニサレタシ!』


 ◇


 俺は、胸ポケットから”紙巻き煙草”を取り出すと火をつけた。ぷはー。

 愛煙家には肩身の狭い世の中である。そう言えば、近頃ではテレビ放映される『名探偵コナ〇』『ルパ〇三世』なんかに登場するキャラ達が、煙草を吸わなくなったのがとても寂しい。もはや創作世界ですら”喫煙増長”として”紫煙”は排斥される御時世ってか……。まあ第四期の青ジャケット『ルパ〇三世』を視聴した時は、紫煙漂う”ハードボイルド”なカッコイイ作品観が守られて、ホッと安心したものだ。

 ううむ、そのうち”電子タバコ”を口に咥えた”名探偵ホームズ”が登場するのだろうか。それはちょっと嫌だなぁ……。


 そんな事をボーッと考えていた俺は、ほむら先生の言葉を危うく聞き逃すところだった。


「おや、それは『シップス-Ship’s-』かな?」

「……はい?」


 聞き慣れない”単語”に俺は少し考え込む…――が、すぐに思い出した。

 それは記念すべき『シャーロック・ホームズ』シリーズの長編第一作『緋色の研究-A Study in Scarlet-』の序章…――

 軍を退役したばかりの”ワトソン博士”が新しい下宿先を探していた時、昔の知り合いである”スタンフォード氏”と街でばったり再会する。そして”ワトソン博士”はその友人から、ちょうど”同居人-ルームメイト-”を探していた”ある人物”を紹介される。


 言わずと知れた”名探偵ホームズと相棒ワトソン”が初めて出逢う序幕――。

 そして、そこで交わされた”最初の会話”の中に…――その”単語”は登場した。



「それってワトソン博士が吸っていた――“海軍煙草-Ship’s tobacco-”――のことですか?」

「ほほう、君はのかね!」



 しまったな。どうやら”先生”の興味を惹いてしまったらしい。

 ゼミの集合時間までに終われば良いが……。

 そんな俺の思惑を余所に…――”ほむら先生”はニンマリと微笑むのであった。



「それでは今回は――“シップス-Ship’s-”――について語り合おうではないか!」



  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


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