02.
「いやいや、私は”そろそろ君がここに来る”と確信して……少し前から待っていたのだよ」
「そりゃあまた……いったいどうやって分かったんですか?」
「ふむ。君は最近の若者には珍しく、まじめで律義な性格だ。数ヶ月前に電車事故でゼミ講義を遅刻して以来、君がゼミの開始時間三〇分前には、大学に到着するように心掛けているのを、私は知っている」
「……なるほど。まあそれなら俺が大学に到着する時間帯は、何となく予想できますね。それじゃあ次に、どうして俺が”礼拝堂-チャペル-”横にある”この喫煙所”に来ると分かったんですか? 大学構内には、他にも喫煙所はありますよね。池袋駅から来るなら、東門の喫煙所が一番近いですし。ゼミの教室がある”五号館”校舎の外にも喫煙所はありますよ?」
俺の質問に対して、ほむら先生はフフンッと得意げに鼻を鳴らすと――赤煉瓦の校舎群を指差しながら優雅に解説を続けた。
「君は腕時計を着けないタイプだし、本館”モリス館”の時計塔が好きみたいだからね。集合時間を気にしながら大学に到着した君は、無意識に”正門”をくぐり、本館”モリス館”の時計塔を見上げて”時刻”をきっと確認したはずだよ。そして今は”聖夜祭-クリスマス-”の時期だからね。ここに来る道すがら……君も”芸術劇場前広場”で明日開催される”クリスマス演劇会”用の道具を運搬する”チャペル団体”の学生達とすれ違ったり、ヒマラヤ杉を飾るイルミネーション用の機材を見かけたり、
それらの情景が、君の脳裏に”
俺は、なるほどな、と感心しながら頷いた。
一度説明されてしまうと、実に単純な”推理”に思える。
だがそれは、この”名物先生”の優れた洞察力と博覧強記の頭脳が、論理的”閃き”を得る事によって導き出した類稀なる“推理の連鎖”なのだ。
ふと俺は…――先生が手にしていた”煙草パイプ”に視線を送ってみる。
――”桜材の煙草パイプ”――
この先生はパイプ愛煙家であり、三種類の煙草パイプを所有している。
しかもこの先生には、パイプ煙草に独特のこだわりを持っており、用途に応じて”煙草パイプ”を使い分けていた。
日常的には――琥珀の吸い口にホワイトヒースの灌木を材料にした”ブライヤーパイプ”を――。
ひとりで研究室に籠って、沈思黙考と推理を楽しむ時には――”
そして誰かと議論したり、自分の推理を披露する時には――”桜材のパイプ”――を愛用するのだ。
なおこれら”煙草パイプの使い分け”は、彼女が敬愛する“とある英国の名探偵”の嗜みに倣ったものだ。
それがゆえに、俺は確信していた…――
この先生は”桜材の煙草パイプ”を咥えると――最初から”誰か”に推理を披露するために、この”礼拝堂-チャペル-”横にある喫煙所へ来ていたのだ。
ちなみにその”誰か”とは……もはや言うまでもあるまい。
わざわざ自分の推理を披露するために、この寒空の下でジッと待機して、子供っぽく胸を張りながら得意げになる先生の鼻先は少し赤くなっていて……俺にはどこか微笑ましかった。
ここは素直に驚き、この助教先生を称賛するとしよう。
ゼミ通年4単位のためではなく…――同じ”愛好家”としてな?
「さすがです、ほむら先生」
「ふふんっ――初歩だよワトスン君!-”Elementary,my dear Watson.”-」
一八八七年、出版代理人アーサー・コナン・ドイル氏の薦めにより、伝記作家ジョン・H・ワトソン氏の執筆した推理小説『緋色の研究』が雑誌に掲載された。
名探偵『シャーロック・ホームズ』シリーズ――
世界でたったひとりの「顧問探偵」が英国を舞台に怪事件に挑みながら活躍する冒険譚は、英国小説誌『ストランド・マガジン』の短編連載を機に好評を博し、今なお世界中の読者から愛されている。
そして、そうした読者の中には…――
四〇年間にわたってドイル氏が発表した作品群”四つの長編と五六の短編”を、執筆者の名前”コナン-Conan-”のアナグラムから――”正典-Canon-”――と呼称して愛読し、名探偵の推理を検証したり、記述の矛盾に合理的解釈をつけたりして楽しむ”愛読者”、”研究者”、”熱狂的ファン達”がいた…――
まあ要するに…――
この目の前にいる”
■02.紫煙色の研究 -A Study in Blue Smoke-
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