01.紫煙色の研究 -A Study in Blue Smoke-
秋の夕暮れ時…――
俺は木枯らしに背中を押されながら、池袋駅西口からR大学へと続く道をとぼとぼ歩いていた。大学名を冠した街路『R通り』の歩道には、近隣住民や学生達の姿もまばらであり、時たま走り去ってゆく車すら静かなものである。
日本有数の繁華街『池袋』――『渋谷』や『新宿』に並ぶ山手沿線・三大副都心のひとつで、年間数億人が行き交う池袋駅を中心に、百貨店や飲食店など多くの商業施設がひしめいている。都市開発の進む商業集積地区には、昭和時代を想わせる”古びた猥雑さ”も同居しており、眠らない街『池袋』は今日も賑やかだ。
一方で、池袋駅の『地下商店街-エチカ-』を通り抜けて”西池袋エリア”に辿りつけば…――そこは閑静な住宅街となっている。
この『池袋』の
サンシャインシティなど”東池袋エリア”の高層ビル群を見た後で…――同じ”池袋”とは思えないこの空いっぱいに広がる青い空気を吸えば。その素晴らしさに誰しも気づくことだろう。
そんな”西池袋”の静けき住宅街をしばらく歩けば…――
赤
池袋郊外にいきなり現れる英国様式の赤煉瓦校舎群――これが『R大学』である。
赤煉瓦造りの”大学正門”をくぐると、まず見えてくるのは”
米国の聖公会宣教師モリス氏の寄付によって、大正時代に建造された『R大学』のシンボルであり、今でも教室として使用される”現役の学舎”だ。まあ冷暖房には難ありだけどな。ちなみに本館”モリス館”を訪れた方には、是非とも煉瓦の組積法も見てもらいたい。同じ段に長手と小口の煉瓦を交互に並べた「フランス積み」と呼ばれる施工方法で構築されており、非常に手間が掛かるために明治中期以降の建築物ではとても珍しい。学府たる素朴さにも
「やれやれ、ゼミの集合時間には早過ぎるな……」
俺は、本館”モリス館”の中央時計塔を見上げると、誰にともなく独りごちた。
赤煉瓦で造られた本館”モリス館”の中央塔…――その中央にはめ込まれた英国デント社製の機械式時計は、もうじき文字盤を”十六時”に象ろうとしていた。あの時計塔を見ていると……
ふと、秋風に流れて”唄声”が聞こえてくる。
俺は本館”モリス館”前の広場をのんびりと歩きながら――意識を右手側に向けた。
R大学の赤煉瓦校舎群は「コ」の字に配置されている。大学正門から見て正面には本館”モリス館”、その左側には図書館本館、そして右側に建つのが「R学院諸聖徒礼拝堂」――
おそらくうちの学生の”聖歌隊”が練習中なのだろう。
「そっか、そろそろ
”キリスト教系学校-ミッション・スクール-”である『R大学』には、建学の精神を現代に体現する組織として、体育会などとは異なる側面から『R大学』の
その活動内容は多岐にわたり…――
聖歌隊やハンドベルクワイアなどの奉楽活動、礼拝時に
ちなみに『R大学』の”聖夜祭-クリスマス-”企画と言えば「クリスマスツリー・イルミネーション点灯式」が有名である。本館”モリス館”前の広場に植樹された”二本の大ヒマラヤ杉”に、約千個の色電球を装飾する”クリスマスツリー”は大迫力であり、その”点灯式”の様子は、ニュース番組でも放送される”冬の風物詩”ってやつだ。今もちょうど見えている、あの
俺は本館”モリス館”前の広場を右に曲がると、
なお、あらかじめ申し上げておくと……礼拝を行うためではない。
あいにくと俺はそこまで信心深くないわけで、
俺は
ところが、そこには俺のよく知る人物が…――優雅に座りながら俺の到着を待ち受けていたのだった…――
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
もしもこの名物”助教”に逢いたければ、R大学の喫煙所を訪れると良いだろう。
凛とした表情の美貌に、
この先生は『R大学』でもかなりの人気を誇る名物”助教”先生である。
博士課程時代に発表した――“とある英国文学作品”――に関する研究論文が一世風靡の好評を博し、弱冠二十八歳にして”R大学助教”に就任した若き天才だ。
しかも、この助教先生が師事する”
また、この助教先生が教鞭を執る講義は、”
まあ概して言ってしまえば…――
森谷教授が英国に長期研究出張するにあたり、俺が所属する「森谷
”袖振り合うも多生の縁”という格言…――と、ほんの少しばかり気になる”ゼミ通年4単位”のため。
ここは挨拶のひとつも交わすべきであろうか…――と、そんなことを思っていたのだが。俺は先生が口に咥えている”煙草パイプ”を見るや……少しばかり挨拶を躊躇する。しかしまあ、今さらもと来た道を引き返すのも不自然極まりない。俺は、やれやれとほんの少し溜息をこぼした後、先生が居座る”喫煙所”のベンチに歩み寄りながら声をかけた。
「どうもこんにちは、ほむら先生。こんな場所で会うとは奇遇ですね?」
この挨拶に”おかしな点”は何もなかったはずだ――。
俺は今、たまたまこの喫煙所に来たのであり、この先生と逢う約束をしていたわけでもない。
ところが、先生は口に咥えた”煙草パイプ”からゆっくりと紫煙をくゆらせると…――俺の挨拶を楽しむように聞きながら、ニッコリと悪戯っぽく微笑んだ。
「いやいや、私は”そろそろ君がここに来る”と確信して……少し前から待っていたのだよ」
■01.紫煙色の研究 -A Study in Blue Smoke-
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