05.シャーロキアン達の儀式 -The Sherlockian Ritual-


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 我が友人シャーロック・ホームズの性格には”異常-AN ANOMALY-”な一面があり、私(ワトソン)はよく驚かされたものだ。

 <中略>

 アフガニスタンという戦場での生活を経験したおかげで、私は医者にふさわしくないぐらい、だらしない人間になっていた。しかし、そんな私にも限界はあり、石炭入れに葉巻を入れたり、”ペルシャ風スリッパ-Persian Slipper-”の爪先に煙草を入れたり、返事をしていない手紙をジャックナイフで木製のマントルピースのど真ん中に突き刺すような男を見た日には、小言のひとつも言いたくなる。


 <第二短編集『シャーロック・ホームズの思い出』収録~

  第十八作目の短編『マスグレーヴ家の儀式-The Musgrave Ritual-』より>


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 第二の短編集『シャーロック・ホームズの思い出』に収録された十八作目の短編作品『マスグレーヴ家の儀式』は、ホームズの私生活(というより悪癖・奇行の類だが)や部屋の様子に関して、興味深い記述がたくさん載っていることで有名な作品である。


 冒頭の記述によると…――

 名探偵ホームズは、部屋が散らかる事を委細構わず。部屋の四隅には書類の束が山積み、化学薬品や事件の記念品が常に部屋を埋め尽くし、時にはそれらがバター容器からバターまみれで見つかる事もあったらしい。何とも凄まじい情景である……。また、読みかけの手紙をジャックナイフで暖炉の上に刺しておく。葉巻は暖炉用の”石炭入れ”の中に放り入れ、刻み煙草は”ペルシャ風スリッパ”の中に入れて保管するなど…――名探偵ホームズが有する”数々の悪癖”も紹介されている。

 そして最も有名な”名探偵ホームズ”の奇行のひとつ…――引き金を軽くした”回転式リボルバー拳銃”と百発分の“ボクサー弾丸”を使って、部屋の壁に向かって連射、英国”ヴィクトリア女王陛下-Victoria Regina-”を表す「V.R.」の文字を弾痕で描くという逸話もこの時に語られてた。

 なお、この逸話には銃器愛好家も興味津々であり、原文の“ボクサー弾丸-Boxer cartridges-”は、正確には“ボクサー式雷管付き実包-cartridges with Boxer primers-”と記述すべきだったとか――、当時の拳銃は黒色火薬だから部屋中が黒煙で汚れたはずだとか――、百発も撃ち込んだら壁が崩壊するから”室内用拳銃-サルーンピストル-”と同程度まで低威力に調整されていた――などなど、面白い考察がたくさん提唱されている。興味のある方は、ぜひご覧あれ。


 さて冬のある夜のこと…――、

 部屋の乱雑ぶりに堪えかねたワトソン博士は、同居相手である”名探偵ホームズ”に対して、ついに部屋の大掃除を提案する…――この時にホームズが顔をションボリさせるのが実に微笑ましい。

 しかして名探偵ホームズが寝室から引っ張り出して持って来たのは…――

 ワトソン博士と出逢うより数年前、ホームズが探偵業を始めたばかりの頃に遭遇した、数々の難事件に関する”記念品”が収納された”箱”だった。この時の名探偵ホームズは、箱を開けながら「これを見たら、君は掃除なんかより話を聞かせてくれと頼むと思うよ」と悪戯っぽく笑っている。この名探偵、よっぽど掃除がしたくないらしい……かわいいかよ。

 まあ結局のところ、その箱から次々と出てくる”難事件の記念品”を目にして、ばっちり興味を持ってしまったワトソン博士は…――掃除そっちのけで、名探偵ホームズから『マスグレーヴ家の儀式事件』に関する回想を聞くことになる…――


 以上が『マスグレーヴ家の儀式』の冒頭開幕シーンである。

 日常風景として”ホームズ達の共同生活”や、掃除がらみのコミカルな会話を描写しながら、主題部の事件回想へと自然に繋がっていく物語の展開は実に見事であり、伝記作家ワトソン氏の筆力が発揮された“導入部の傑作”だと俺は思っている。

 ちなみに『マスグレーヴ家の儀式』事件の内容は、名探偵ホームズの大学時代の友人”マスグレーヴ家”に代々伝わる”儀式書”の謎を解くという”暗号解読モノ”であり…――「庭の木から東の方角へ何歩、南の方角へ何歩進め」という超有名な”宝探しのフレーズ”が登場する良作だ。未読の方は、ぜひワクワクしながら読んで貰いたい。


 なお本作では、名探偵ホームズが過去に解決してきた事件として『マスグレーヴ家の儀式事件』以外にもいくつかの”事件”が紹介されている。このように、名探偵ホームズやワトソン博士などが作中で話題に挙げていながら、その詳細がまったく明かされなかった事件群を、シャーロキアン達は――“語られざる事件-The Untold Tales-”――と呼称して、その事件がどのような内容だったのか興味津々に研究しているわけだ。

 ああ、作中でほんの少しだけ話題に挙がった――“ロシア老婆の面白い事件”や“アルミ製松葉杖の奇妙な事件”――とは、一体どのような事件だったのか…――とても気になるところだ。以上、まるっと全て余談である。




■05.シャーロキアン達の儀式 -The Sherlockian Ritual-




 俺の手のひらの上にある” ”…――

 たしかにこれは”ホームズシリーズ”初期の傑作短編『マスグレーヴ家の儀式』に登場した、名探偵ホームズの”奇癖”のひとつ…――”刻み煙草”を爪先部分に詰め込んだ”ペルシャ風スリッパ-Persian Slipper-”――に見えなくもない。

 だが、どうしたらこのような”奇妙なシロモノ”が、大学構内にポツンと落ちているものかねぇ……。


「ひょっとしてほむら先生は、これが――“シャーロキアンの落とし物”――だと思ってますか?」



 俺の質問に対して、ほむら先生は微笑みながら…――楽しむように”ある言葉”をそらんじた。

「ふむ。『全ての不可能を消去した時―”When you have eliminated all which is impossible,”―』、『最後に残ったものが、いかに奇妙なものであっても―”then whatever remains, however improbable,”―』、

『それが真実となる―”must be the truth.”――』のさ。ワトスン君!」


「ううむ。にわかには信じ難いですけど……。

 ところで先生、その“ワトスン君”って”あだ名”で呼ぶの、恥ずかしいから止めてくださいって」


「どうしてだね、君の英国ホームステイ時代の愛称なのだろう? 君の名前は、英語圏だと発音しづらいからな」


「正直、俺たち”シャーロキアン”の会話中でその”愛称”を使われると、まぎらわしいんですよ……」


「素晴らしい愛称ではないか。私は気に入っている!」


(あ、やめる気ねぇーわコレ)

 俺は心の中でやれやれと溜息をついた。



 ちなみに…――

 ほむら先生が先ほど述べていた『全ての不可能を消去した時―”When you have eliminated all which is impossible,”―……』という台詞は、あまりに有名なので皆さまご存知かもしれないが、名探偵ホームズの有名な”格言”のひとつである。

 この格言は、”ホームズシリーズ”初期の短編『緑柱石の王冠』事件や、同じく”ホームズシリーズ”で後期の短編『ブルースパーティントン設計書』や『白面の兵士』などなど…――言い回しが毎回少しずつ異なりこそすれ、幾度となく語られてきた、名探偵ホームズの“推理法”を語る上で欠くべからざる言葉だ。ちなみに今回先生が引用したのは『白面の兵士』の台詞パターンだな。


 名探偵シャーロック・ホームズの”推理法”には――“仮説的推論-アブダクション-”――がよく使われる。

 この“仮説的推論-アブダクション-”とは…――『演繹』や『帰納』に並ぶ、第三の『論理的推論』であり、現在確定している「結論」に最も適切な「仮説・規則性」を組合わせる事によって、過去の事象である「前提」を推定するものだ。

 <例:芝生が湿っている(結論)⇒雨が降ると芝生が湿る(規則性)⇒雨が降ったに違いない(前提)>


 名探偵ホームズは、徹底した現場観察によって”過去に起きた事実の集合=結論”という名の”手がかり”を見つけ出す。そしてその情報から、過去の犯罪事例や化学的知識を用いた”分析=仮説の選択”を進める。その結果、過去の事象である”前提=事件の真相”をたちまちに”推理”してしまうのである。


 またその”推理”の過程では、名探偵ホームズは――”消去法”――も愛用している。

 そのことは先ほど記述した『全ての不可能を消去した時―”When you have eliminated all which is impossible,”―……』という”格言”に象徴されていよう。


 ちなみにこれらの捜査手法は、現代ではテレビドラマや漫画ですらよく見かける”推理法”の常套手段であり、たいして驚くべくもないと感じられたであろう。だがしかし、名探偵ホームズが活躍した十九世紀末の警察機関とは、事件捜査は”自白優先主義”…――目撃者を探して容疑者を割り出し、尋問して自白させたら物的証拠なしで裁判所送りにするのが普通の事であり、遺留品は集めず、血痕や弾痕を調べる事もしなかった。

 長編第一作『緋色の研究』の冒頭にて、名探偵ホームズは「人間の血痕を調べる方法を開発した」と喜ぶ場面があるが――史実においても、パウル・ウーレンフート博士が”血液識別法”を確立させるのは『緋色の研究』が出版されてから実に”約二十年後”のことである。

 物的証拠を収集し、論理的推理から”事件”の全貌に迫る現代警察の科学的捜査法は、名探偵シャーロック・ホームズの活躍を契機に世界中へ広まったのだ。実際に過去のエジプト警察では、警察官育成研修にて『シャーロック・ホームズ』の小説を教科書として採用していたらしい。以上、余談である。



 まあ要するに…――だ。

 名探偵ホームズは、俺たちに教えてくれているわけだな。

 もう一度、いや何度でも、俺の手の中にある――“誰かの落とし物”――という物的証拠をじっくり観察しなさいってね。



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