第6話 悩みはいくつも転がってる_1

 ゲームの約束を取り付け、それからすぐに七央は帰っていった。なにをしに来たのかわからない達也だけどこのままここで仮眠することにしたらしく、今はお風呂に入ってる。

 ――もう私たち付き合ってないんだけど。わかってるの?

 でも言い返して激昂されるのも痛い思いをするのも嫌で、結局都合のいいように使われている。さっきも男連れ込んでるのかとか言ってたけど、もうカレシでもなんでもない人からそんなことを言われる本来なら筋合いはない。でも。腹は立つけど、早く帰ってもらうには言われたとおりにするのが一番の近道なのだった。

 達也のお昼ご飯を作ってラップをしておいて、自分は昨日の半額弁当を食べる。温めたところでご飯はパサついてるし、添えられているレタスはしんなりしていてお世辞にもおいしくはない。シュウマイの皮もかたくなってる。質の良くない油が口に残っているようで気持ちが悪くなる。ネットニュースを確認しながらご飯をお茶で流し込んで、一人の食事を終えた。

 ここに来たからって一緒にご飯を食べようだなんて提案をして来ない彼は、随分と長風呂をしている。もちろん付き合っていた頃と同じくスマホは風呂場に持ち込まれていて、浴室内でなにか見ているようだ。出勤するためにお化粧をしていると達也が肩にタオルを掛けたまま出てきた。視線は、スマホ。私と視線が合うことはない。


「ご飯作っておいたよ」

「ん……」

「レンジでチンして食べてね」


 ソファでスマホをいじりながらさっそくウトウトしだした彼に、帰るときは必ず鍵を掛けて、ついでに合鍵はポストに入れておいて――つまり、鍵を返してほしいと言ってリビングを出た。


 あの調子では、本当に無料宿泊施設程度に思われているのだろう。誰かと連絡をとっていたようだし、せっかく作ったご飯も帰ってきた時に食べられているなんてことはないだろう。でも、友人程度の付き合いであったとしても、なにも作ってなければ文句を言われる。面倒ごとは極力避けたい私の選択肢は一つだ。

 女なんだから飯くらい作れとか、前時代的にもほどがあるんじゃないだろうか。それなのに付き合い立ての頃に「わかった」なんて言っちゃったもんだから、今もああやって急にやってくるたびに気分で食べないことの多いご飯を作り続けてる。冷凍庫の中に、もういくつ保存容器が積まれたのだかも覚えていない。

 鍵はまだ返してもらえないのだろうなと思いながら家を出る前に鏡を覗いて思い出す。半端に切れてしまっている髪をどうにかしなくてはいけない。これから美容院に行くなんて時間はなくて、その部分には洗面所に置いてあったバレッタをつけてごまかした。


 職場についてホッとする。ここにはいつだって人がいるし明るいし、比較的新しい建物だから「昔こんなことがあったらしい」みたいなきな臭い噂もない。幽霊を見たなんて話も聞かない。ただそれだけの、普通っていうことが安心感を与えてくれる。

 自分の席に座ってバッグからスマホを取り出して机に置けば、ロック画面に通知が出ているのが見えた。椅子に浅く座った私はロックを解除することもなくそれを睨む。五秒ほどにらめっこをして、盛大なため息がもれた。

 あいもかわらず、田舎に戻った親からのメッセージが――しつこい。

 読まなくてもわかる。これは、月に何度か届く早く結婚しろのお知らせだ。


「あ~…も~ぉ……」

「どうしました?」


 出すつもりはなくても、続けてため息があふれてしまう。ゴツンと机に額をぶつければ穏やかな声が降ってくる。額をさすりながらのろのろ顔をあげると、隣の席のアンディと目が合った。


「今日も顔色がよくないですよ」


 彼は気遣う言葉をかけてくれる。


「気になるくらい顔色悪い?」

「……またGhostですか?」

「え? いや、いや違うよッ?!」


 また出たのか、と言うから精一杯に否定する。昨日のあの魚のバケモノの話は、覚えている限りを話したところで夢の話をしているのかと思われるだけだ。現実と夢を混同してしまうほどに疲れているのかと哀れみの目で見られたくもない。同情の目で見られたら、自分が可哀想になってしまうじゃないか。

 私は「大丈夫」「なんでもない」と繰り返す。アンディは様子を窺うように黙ってこちらを見てくるだけで、ただ私の別の言葉を待っているように見える。

 しかし、こんな時でも空気を読まずに後ろから首を突っ込んできた真希は「あっやしーぃ」とからかうような声を出した。


「本当は続いてるんじゃないの、霊現象~」

「続いてなんて……!」


 ぐぐ、と言葉を詰まらせると「え、ほんとに?」と若干引いたような顔になる。明確に見たわけではないけど、何も見なかったわけでもない。


「お札とかお守りもらってきたりとか、盛り塩とかした?」

「しないよそんなの。時間もないし」

「ヤバくない? 単発現象じゃなかったってことでしょう? 大丈夫なの、伽奈ん家」


 お祓い行ったらー? なんて簡単に言ってくれるけど、まだ二日目だ。ちょっと人の顔がありえない所に見えるだけだ。ラップ音だとか怖い声が聞こえるとかはない。ただ、見えているだけだ。

 ――ううん。アレだって初日に七央が言ってくれたみたいに単純な見間違いが続いてるだけなのかもしれないし、そうだ! 怖がっているからいろんなものが人の顔のように見えてしまうのかもしれない。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、というじゃないか。うちの中のアレが霊現象であるとは、まだ認めたくなかった。

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