第4話 守ってくれるというけれど
「
男の子が突き出した銃口から細かな石のようなものがふき出す。あの魚にぶつけるのかと思いきや、それは私たちの周囲をおおってドーム状になる。砂利でできたかまくらのようなものの中にすっぽりと覆われていた。
「大丈夫だから、動かないで」
そう言われても恐いものは怖い。右から左から上から、バチンバチンとなにかが激しくぶつかる音が続く。しかも暗くて何も見えない。それになおさら恐怖心をあおられる。助けを求めて手探りすると、男の子のものらしい服に手が当たった。でもそれにつかまるわけにもいかず、他に頼るものもないから仕方なく自分を抱きしめる。男の子が私の近くに動いてきたような気配がした。
「オレが守るから安心して」
「守る、って」
そんな、ヒーローか王子様じゃあるまいし。見ず知らずの女の子を守るって言い切れる神経がわからない。だなんて現実に今こうやって守ってもらいながら言えたセリフじゃないから口にできない。
「大丈夫だよ」
暗闇の中で響く声は、どこか懐かしくて優しい。安心感のある声で話し掛けられて、少しなら信じても良いかもしれない、と迂闊にも思ってしまった。
こんな小石で作ったドームなんて、この衝撃ですぐ壊れてしまうだろう。そんな予想に反して、今なおこのバリアみたいなものは無事だ。ただ、ぶつかられるたびに振動が身体に響いて、乗り物酔いみたいに気持ち悪くなってくる。
「……気持ち悪い……」
「! ちょっと待ってて」
うぷ、と口を押さえる。あ、吐き気を自覚したらよけいに……
ええと、と小さな声で、男の子は誰かに話しかけた。
「琥珀、アレが引くタイミング教えて」
『ええ、まかせて』
「?! 今のは?」
耳から聞こえたんじゃない頭に直接響いた声に、意味もないのに耳をふさぐ。男の子は「味方」と短く答えて、またしても「大丈夫だよ」と言った。
『5・4・3・2・1』
今、という声と同時に、男の子は「解」と声を発する。
途端にドームが崩れだす。ばらばらと降ってくる破片を避けるように、両腕で顔をかばった。
「――逃げるよ」
目を開けると、キュイ、と鳴った銃から黒い塊が飛び出して魚のオバケにまっすぐ向かっていくところだった。
ぶつかる直前で網状に変わったそれは、魚を包みこんでそのまま打ち出された方向に直進する。遠ざかるそれをつい目で追った私の腕を取って、男の子は逆方向に走り出した。
引っ張られ、なんとかついていこうと必死に足を動かすけどすぐにもつれだしてしまう。普段の運動不足がたたった。全然走れない。あっという間に息が上がる。ぜぇぜぇと喉が鳴った。
「ねえ! ちゃんと走って! 早く!」
「て、いわ……れ、ても」
無理だ。これ以上は足が動かない。へたり込んだ私を見て「チッ」と舌打ちした男の子は、電信柱の影に私を押し込んで来た方向へと逆戻りする。その後ろ姿を追った私は、口を手でおおって悲鳴を押し殺した。
いつの間にか迫っていた魚のオバケが、彼に食らいつこうと大きく口を開ける。
「あぶない!」
声を上げたはずの私の喉がキュウっと締まる。ゾワッと総毛立つ。ひっ、と短く呼吸しようとして、しくじる。魚と――目があった気がした。
男の子を無視したそれが一直線に私に向かってくる。
大きな口が開いた。
そこからデロリと垂れた粘液が頬を伝う。
腐敗臭に顔全体が包み込まれる。
目の前には、完全な闇。
――食べられる……!
こわばる身体は逃げるなんて考えられない。なにもできないままにその場に留まる。
「……ッ!」
男の子が伸ばしてきた手は間に合わず、私はゆっくりと乱杭歯の並ぶ魚の口に飲み込まれ――
「ったくよお!」
ゴッ、と鈍い音がして、暗く飲み込まれていた世界に街頭の光が飛び込んでくる。目の前には、二本の長い脚。ゆっくり視線をあげると、さっきの痴漢男が斧を肩にかついで立っていた。
「なぁにやってんだ少年。しっかりしろよ、仕事しろー?」
男は、私の方へ手を伸ばした格好のままだった男の子に向かって鼻を鳴らす。
「大丈夫だったかい?」
と目の前に出される手に思わずしがみつく。しっかりと掴み返されて引き上げられ、ぽす、と胸に抱かれた。不快感を感じるよりも先に、人の体温に安心する。
――食べられるかと思った……!
じわりと涙がにじむ。時間差で襲ってくる恐怖心にガクガクと震えだす足が抑えられない。崩れ落ちそうなる身体を支えてくれた男が煽るような調子で言った。
「ほらぁ、彼女こんなに怯えてるじゃねえか、可哀想に」
「なんで、ターゲットが……そっちに、ズレて」
「あ゛あ? アレに理由を求めんなよ。俺が知るかよ。聞くなっつーの」
ひとりごとのような呟きに強い口調で返されても、なにも言えないのか男の子は黙ったままだ。冷めた目でそんな様子を見た男はため息をつくと、斧を持った手で魚を吹き飛ばしたのだろう方角を指す。
「仕方ねえから今だけは力貸してやる。彼女は俺が守るからさ。少年、さっさとあれヤッちまえよ」
くい、とあごをしゃくられた男の子は、拳を握りしめた。
「嫌だ」
「はあ?」
「アンタ、信用できない」
キャワァァァアアッ
大きな音が響く。耳に突き刺さる叫び声がしたのは、男の指さした方角。そこにはまた魚の影が浮かんでいた。
ダラダラと身体からしたたる液体の量が増しているところを見ると、先ほどの一撃でかなりのダメージを負ったようだ。動きが鈍くなっている。さっき飲み込まれかけたことを思い出して身がすくむ。
――恐い。
ぎゅっと男の服を掴んだ手に力が入れば、それに気付いたのか彼は「ほら」と私の手を指して勝ち誇ったような声を出す。
「彼女も俺に守られたいってさ」
「そんなこと言ってないだろ」
彼らは言い争い始める。そんな場合じゃないっていうのに。
魚の影は直ぐ近くまで来ていて、でもこの震える足では走れない。逃げられない。そうこうしているうちにも影は近付いてくる。私では、戦うことなんて当然出来ない。ゲームじゃないんだ。怯えることしか出来ない自分が情けない。頼れるのは、この二人だけだった。私は揉めている二人の服を同時に引っぱる。
「あの! アレまた来――」
「「邪魔すんな」」
少年が銃を撃ち、男が斧を投げつけたのはほぼ同時。左右の目に攻撃を受けた魚が大きく後退しながら甲高い悲鳴を上げて、ビリビリと空気が震える。しかし、二人はそんなことはお構いなしでまだ言い争っていた。
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