第9話 クレア
カノンがあの白い空間に戻ってくると、そこではアッシュが待っていた。
「お疲れ、カノン」
アッシュがそう声をかけると、カノンはすぐに妖精の姿に戻る。
「ずっと待ってたの?」
「まあな。すぐに動けるようにはしてたから」
「そっか。ありがとう」
「当然だろ」
照れている。アッシュは長く生きているが、未だに感謝されることに慣れていない。
昔からアッシュが暮らしてきた環境において、感謝される状況など存在していなかった。最近は主にバイオレットと過ごしているため、なかなかそういう状況にならない。
仮に慣れていたとしても、アッシュの性格からして照れているとは思うが。
「……あの顔は絶対に忘れない」
「届けた甲斐があったな」
「うん」
そう言ったカノンの顔を、アッシュは一生忘れないだろう。
その時、二人がいるその空間に、バイオレットが焦った様子で走って入ってきた。
「あ、カノンお帰り。お疲れ」
「……うん。ありがと」
「どうした? バイオレット。急いでるようだが……」
「ちょっと色々あって……とりあえず来て」
「わかった」
アッシュはバイオレットに連れられ、その空間を出た。
「……やっぱり勝てないか。バイオレットには」
二人がいなくなった後、カノンがそう呟いたことは、誰も知らない。
◇ ◇ ◇
「それで、どうした?」
「泣いちゃった子がいて……私にはどうにもできない」
「なるほど」
バイオレットも子供をなだめることには慣れているが、今までの人間関係の経験からすればアッシュの方が慣れていた。
そして二人は子供たちの館に入る。
すると、エントランスの両サイドにある階段に小さな少女とアリシアが座っているのが見えた。少女は声もなく泣いているように見える。
アッシュがそれを見つけると同時に、どこかからソラがアッシュの元に駆け寄って来る。
「アッシュ! ごめん。僕、何も出来なくて……」
ソラの第一声はそれだった。
青鳥の日の直後で、残っている子供たちは数少ない。心の傷に苦しめられている子供がほとんどで、まだ元気にやっているソラは、その子たちにどうにか頑張ってほしくて必死だった。
「大丈夫だ。元々ソラがどうにかできるものじゃない」
アッシュはそうフォローしながら、少女とアリシアに駆け寄る。
「アッシュ……」
アリシアもソラと同じような顔をして、アッシュの名前を呼んだ。
「ソラは庭にでも行ってろ。アリシアはバイオレットと向こうに行け。あとは俺に任せろ」
アッシュは全員にそう言うと、泣いている小さな少女の隣に座った。
全員がその空間からいなくなったことを確認し、少女に話しかける。
「クレア、どうした?」
少女の名前はクレア。彼女は青鳥の日で送られる子供ではない。彼女はアッシュの仕事とは別に、アッシュがその力を利用して保護した子供だった。
「……こわい……こわいよ」
「怖いか……」
クレアが真に心を開いているのはアッシュだけだった。だから、こうなってしまっては、アッシュ以外ではどうにも出来なかった。
「大丈夫だ。ここには何も怖いものなんてない。誰にも襲われない。何も壊されない」
アッシュがそう言うと、クレアはアッシュに抱き着いた。アッシュは黙ってクレアの頭を撫で、優しく抱きかかえた。
するとクレアは安心したのか、泣き止んで静かに眠ってしまった。ただ疲れただけなのかもしれないが。
一応、この神の世界では生理現象を止めている。それは、ここにいる子供たちも同じだ。ただ、それには例外がある。その条件が、また世界に戻ること。そして、それがそう遠くない未来であること。クレアはこの条件に該当しているため、現象を止めておらず、お腹は空くし、眠くもなる。
「そろそろ見つけないとな……」
アッシュはそう呟く。
クレアは、神の祟りを受けた終末世界で生き残った人間だった。
広大な世界に、生き残ったのはたったの数百人。
食料はこういう時のために備蓄してあったものが少し。だが、ろくに仕事もできないくらい幼かったクレアには、ほとんど回ってこなかった。
そんな状態で両親とも別れて誰にも助けて貰えなかったクレアは餓死しかけていた。
クレアは、そこをアッシュに助けられた。
アッシュは青鳥の日のために子供を集めていたが、子供の気持ちを第一に考えているので、クレアの想いを聞いた。クレアはその時、お母さんに会いたいと言った。それから、アッシュはクレアの母親を探し始めた。
父親はクレアの目の前で死に、母親は妊娠中で病院にいた。だからこそ、まだ生きているのではないかと信じていた。
クレアは、父親の死を四歳ほどの幼さで経験している。しかも、祟りの全てをその目で見た。その記憶は、クレアの脳に深く刻まれている。まだ五歳ほどでしかない上に、そんな記憶を抱えて、泣き出したくなる時もあるだろう。
アッシュは今までに酷い状況を何度も見てきた。だから、そんなクレアの気持ちもわかる。神だからではなく、アッシュという人物として。
幸い、母親の生存は確認できており、どこにいるかを探すだけだった。
だがそれにはデータベースへのアクセス権限が必要で、終末世界となった世界では、仮にその世界に降り立った時に伴う危険の大きさから、得られる情報が制限されており、たとえ持つ権限が他の神に比べて多いアッシュであっても、現在位置を割り出すまでには至っていない。
その結果、アッシュはその世界に降り立つ羽目になるのだが。
アッシュはどうにかいい方法がないか考えるために、自分の部屋に戻ろうとする。だが、クレアはアッシュの服をがっしり掴んだまま眠ってしまっていて、離す気配が無かった。
せっかく寝てくれたのに無理に離させて起こすわけにもいかないと、アッシュはそのまま自分の部屋に戻ることにした。
◇ ◇ ◇
「やっぱそうか……」
アッシュがそう呟いたと同時に、アッシュの仕事部屋の扉が開き、バイオレットが入ってきた。
「あ、バイオレット。ちょうどいいところに……」
「な、なにやってるの……?」
「え? あー」
バイオレットは、アッシュがクレアを抱えていることにすごく驚いていた。
「俺の服掴んだまま寝ちゃったから。無理に離すのもなーって。そしたら……」
「はぁ……アッシュらしいって言えばアッシュらしいけど」
ため息をつきながらも、バイオレットはそう言う。
「それで? 何がちょうどよかったの?」
「ああ、クレアの母親探しの件なんだけど……」
「うん」
アッシュはバイオレットに画面を見せようと、作業用の大きなモニターを操作する。
「現状だと、クレア自身は母親が入院していた病院は知らないし、仮に知っていたとしてもかなり時間が経っていてあてにはならない」
「そうだね」
「クレアの情報から、生存の確認はできている。でも、それ以上のことは何もわからない」
「うん」
ここまでは前から分かっていたことだ。
「どうにか権限を取り戻そうとアタックはしてみたけど……やっぱ無理」
「そりゃそうでしょ。そんなんで取り戻せるならこんな苦労してない」
「まあな」
――アタックって、そんなサイバーな世界じゃないんだから……
バイオレットは心の中でそうツッコミを入れる。
「それで?」
「どうにか話してみようかなと」
「アイツに?」
「うん……クレインに」
クレインとは、クレアの世界を操る神のことだ。アッシュとは一応知り合いで、仲は普通といったところだろうか。
「とりあえず、クレアが起きたら行ってくる」
「わかった」
バイオレットは話が終わったからと、アッシュの部屋を後にする。アッシュは、そんなバイオレットを呼び止める。
「何?」
「今、アイツはどうしてる? えーっと……アリシア」
「あー、今倉庫に行ってもらってる。追加で頼まれたものがあってね」
「そっか」
おそらく、カノンたちから頼まれたのだろう。ただ、十歳のアリシアにできるだろうか……とアッシュは心配する。それくらいやってもらわないと困るというのもわかるのだが。
「あの子と一緒に行くとでも?」
「いや、それはキツイかなぁ……クレインとはひと悶着ありそうだし」
「じゃあ何で?」
「クレアの面倒見てもらおうと。何かあったらすぐに連絡してくれるように。バイオレットには俺の仕事をどうにかしてもらわないといけないし」
「わかった。あの子には私から伝えとく」
「頼んだ」
そしてバイオレットはアリシアにそれを伝えようと、今度こそアッシュの部屋を出ていった。
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