第6話 空

「うっ……」


 僕は強く体を床に打ちつけ、体中に激痛が走る。だけど、もうこんなことも慣れてきてしまった。段々、痛みも感じなくなった。


「外に出てろ!」


 それから父がそう言い、僕を家の外に放り投げる。


「っ……」


 地面に打ち付けられ、手や足には血が滲んでいた。


 ――ここまではいつものこと。そして、この先も。


 僕は家から遠ざかるように裸足で歩いていく。目的地は無い。



 僕の両親は、僕を殴ったりすることによってストレスを発散し、その上金稼ぎもしていた。


 僕がこうやって外に出されることによって、優しい人間たちが僕を助けようとしてくれる。でも、両親はそれを逆手に取り、助けてくれた大人が僕を誘拐しようとしたと言い張り、怪我もさせたと言い張り、入院レベルの怪我の治療費と高額の和解費用を求め、多くの金を手にしてきた。


 父は弁護士だったが、勤めていた事務所が信用を無くし、倒産してしまった。それによって仕事を失ったことが、事の発端だった。


 父は完全におかしくなり、専業主婦だった母が代わりに働きに出ていた。


 それから少しして、母はそこでのストレスを僕にぶつけ始めた。それを面白がった父も一緒に暴力を振るようになり、当時八歳だった僕は家を出た。


 そして優しい人に助けてもらったが、そこで両親に見つかった。


そら! こんなところに……誰ですか!?」


 母がそう言って、僕のことを強引に引き寄せる。


 その間に父がどこかに電話をかける。おそらく、警察だったのだと思う。


 虐待していたのでは? と言われる前に、こっちが通報してしまおうと考えたのだろう。幼い僕にはなぜだかわからなかった。後にあんなことになるなんてことも。


 それから詳しいことは知らないが、父が弁護士なこともあって事を上手く進め、暮らしていく金が増えたらしい。それが和解金だったのだろう。



「……はぁ」


 僕は思わずため息をつく。


 いつまでこんなことをしていればいいのか。しかも僕は、一般には小学生らしいけど……しばらく学校に行っていない。僕の扱いはどうなってるんだろうな……そんなこと気にしても意味がないことはわかってるけど。


 ずっとこのままじゃ……僕はダメになる。両親はずっとこんなことを続けるし、こんな生活はもう嫌だ。


「このまま、死んじゃおうかな」


 僕はそう呟く。


「っ……」


 その時、何かにぶつかって僕は尻餅をついた。


 閉じた目を恐る恐る開けてみると、そこには灰色の髪をした若い男の人が立っていた。


 夜という時間と雨が降っていたこともあって辺りが暗く、街灯だけに照らされていたため、少し恐怖を感じた。でもそれ以上に、この人が次の標的になってしまうのではないかと考えると、この人を巻き込みたくないと強く思った。


 恐怖よりも、そういう理由で、すぐに逃げないとという気持ちになる。


「あ……っ」


 僕は急いでその場を立ち去ろうとする。だが、雨で滑って、足元がおぼつかなかった。


「……なあ」


 その男の人が何か呟き、僕は足を止めてしまう。


「どうするつもりだ? これから」


 僕は自分に向けているのかわからず、振り返って男の人の方を見る。


「君に言ってるんだけど」

「え?」

「そう、君」


 どうやら、本当に僕に向けて言っているようだった。


「一人でどうするつもりだ?」

「別に……聞いてどうするの?」

「心配だから。君みたいな小さい子が、こんな時間に一人でいるなんて」


 やっぱり、みんな心配してくれる。そんな純粋な優しい気持ちを、あんな風に扱うなんて、やっぱりできない。


「話してみろ。ここじゃ話せないっていうなら、俺の家に来ればいい。何かあったんだろ? どうせ」


 僕はやっぱり人の優しさが忘れられない。そして、普段感じない分欲しくなる。


 ――ごめんなさい。


 心の中でそう言いながら、僕は小さくうなずいた。


 それから僕は、その人の家に行った。そして、僕は両親がしていること、僕が両親にされていることをその人に話した。


「ふーん……それで?」

「え?」

「これからどうするつもりなんだ?」

「これから……?」


 そんなこと、考えているわけがない。考える余裕なんてないし、考えたところで、それが現実になることなんてないんだから。


「そんなの聞いてどうするの?」

「え?」

「どうせ、警察に引き渡すんでしょ?」

「嫌なのか?」


 僕が唯一救われる方法。だけど……今までそれで助かった覚えがない。


「保護されても、結局戻ることになる」

「そうとは限らないぞ」

「僕なんかじゃ、誰も引き取る人なんていない。施設に送られるだけだ」

「まだわかんないだろ」


 僕だって、どうなるか詳しくは知らない。勝手に想像して言っているだけだ。


「別の人の子供になっても、こんなボロボロの体じゃ、厄介扱いされるだけ。大人ってそういうもんだろ?」

「さあな。大人のことはよくわからない」

「え?」


 わからないって、自分も大人だろ……? まさか……?


「お兄さん、いくつなの? 大人じゃないの?」

二十歳はたち

「大人じゃん」

「君の言う大人とは少し違うと思うけどな」


 大人なんてみんな同じだろ。騙し騙され、結局何もできない。目立つ一部だけで作られる表面的な印象とは違って、もっと真っ黒い世界なんだ。


「……もういいよ。ありがとう」


 僕はそう言って、その人の家を出ようとする。迷惑を掛けたくない気持ちはまだある。しかもまだ二十歳となればなおさら。


「おい。質問に答えろ。これからどうするつもりだ? あの家に戻るのか?」

「いや……」


 もう、戻りたくはない。そう上手くいく話じゃないというのはわかっているけど……


「死ぬしかないって、わかってる」


 知らない人の前で言うもんじゃないのはわかってる。でも、それが正直な想いだった。


「僕が死ねば、みんな喜ぶ」


 悪いことをしている両親はもうそんなことができなくなって、新しく被害を受ける人はいなくなる。


 死んだ僕が見つかれば、暴力の傷跡だって気付いてもらえるかもしれない。それで、今までやってみたことがバレれば……こんないいことは無い。


「君自身の気持ちはどうなんだ? 本当に死にたいの?」


 灰色のその人は、わざわざしゃがんで目線を合わせてまでそう聞いてきた。


 この人になら、正直なことを言っていいかもしれない。僕はそう思った。なぜだかはわからない。


「……このまま生きていたくない」

「そっか」


 そう呟いてその人は立ち上がると、声のトーンよりも明るい表情をして僕のことを見た。


「じゃあ、手を貸してほしい」

「え?」

「君の魂が欲しい」

「は……?」


 急に何を言っているんだ……?


「どうせ死ぬなら、文句はないだろ?」


 確かにそうだけど……じゃないよな。


「魂、どうするんだよ」

「別の世界を救う」

「は……?」


 やっぱり意味がわからない。


「詳しく聞きたいならついてこい」

「え……?」


 その人はそう言うと、家の奥の扉に向かった歩いていく。


 僕は戸惑って足が前に出せなかった。それに気づいたその人は、立ち止まって振り返った。


「本当は誰かの役に立ちたいんじゃないのか? いい理由で」


 その人は僕にそう言った。


 確かに、今まで散々迷惑をかけてきて、本当は役に立ちたい。


 自殺した人に向かって、死にたいなら誰にも迷惑をかけずにひっそり死ね、と言う人がかなりいることは知っている。自殺することは迷惑をかけることだって、わかってる。


 でも、僕の自殺は気づいてもらわないと意味がない。


 それでも……僕は……これ以上迷惑をかけたくない。


 人の役に立ちたい。


 僕が死ぬことで、誰かの役に立つのなら……それもいいかもしれない。


 僕はその人の後を追って、家の奥の扉をくぐり抜けた。

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