第12話 執務室  ―レナード―

「……貴方って方は……」


 盛大な溜息と共に呟かれた。

キースは「呆れた」と言わんばかりだ。


そんな事、言われなくても自分が一番解っている。軽率な行動をしてしまった事くらい……。

 だが、状況で拒むことの出来る男がいるか?


 潤んで艶を帯びた漆黒の瞳。微かに上気して仄かな桃色に熟れた肌。熱い吐息を漏らす小刻みに震えた紅い口唇くちびる。 

 今思い出すだけでも劣情が湧き上がるくらいだ。


「……お前も、あれを観てからものを言え」

 小さく舌打ちをする。


「……は?」


 どうやら彼奴キースには聞こえなかったようだ。

 聞こえたとしても、どうせ「私は貴方ほど節度の無い人間ではありませんから」とか何とか言ってくるのが関の山だろうが……。


「ところで、伝えておいた件はどうだった?」

「……数年間分調べましたが、行方不明者の中にカイトの名前は在りませんでした。やはり、かなりの年数をかけて育て上げられていたのかも知れません」


 ということは、最低でも十年近くの年月はかけられていると言う事か……。


「あれの話では、齢は二十歳。神学校の様な所で学問も学ばされていたそうだ」

 夕食時、雑談を交えながら聴き取った内容を伝える。


「……ではなく、ですか?」

 キースは訝しげに言った。


 だろう。

 奴隷に学問は必要ない。だが、例え性奴隷であっても、貴族或いはそれなりの階級(保護した時の身なりを考えると多分それ位の人間に囲われていたのは確実だろう)に使えさせるには最低限の教養マナーは必要だ。


「ああ、教養ではなくだ。様々な国の地形、気候……」

「ちょっと待って下さいっ!それって…!」


 俺の言葉を遮るように、キースは声を荒らげた。

 眉間には深い皺が刻まれている。


「…いま、言う事では無いかも知れんのだが……」

 俺は一瞬口籠った。昨夜の情事に多少なりの罪悪感があったためだ。


は、……閨事には慣れていない。いや、多分……初めてだ」


 媚薬クスリのせいとは云え、あれだけの色香を放っておきながらも、挿れようとしただけで身体を強張らせた。「身体の力を抜け」と言っても、どうすれば良いのか自分でも解っていない様な感じだ。

 性奴隷として育て上げられていれば、多少なりとも手解きを受けている筈であろうに……。

 

 はぁぁぁ~、と盛大な溜息が漏れた。

 キースが床に沈みそうな勢いで、派手に頭を抱え込んでいる。


「……こうなったら!」

 バシン!と執務机を叩く。


 キースも俺と同じ想像をしているようだった。

 昨夜に話し合った可能性、その中で一番楽観視できる筈の予測が外れた事を……。


「彼は何処ですっ!!今すぐにでも第四騎士団ここ監禁保護するしかないでしょう!!」

 声を張り上げた。


 あいつにとって一番考えたくない事象なのだろう。

 昨日、の事をあれ程気にかけ、俺の言葉にも反論していたくらいなのだから……。


「あいつは今クリフに預けてある。適当に案内するように言っておいたから、そこら辺をぶらついているんじゃないか?」

「エンメリック副団長!」


「大丈夫だ。余程のバカでない限り、騎士団のお膝元で逃走を図るヤツは居ない」

「何をそんな楽天的な……」

 情けない声が響く。


 キースなりに最悪の事態を考えているのだろう……。


 仕方がないか。


 第三国の斥候か飼い馴らされた魔人モンスターか。どちらにせよ悪意を持った第三者の関与が疑われるのだ。

 それを王城の膝下、騎士団の敷地内に招き入れていたとなれば大失態だ。

 団長も副団長おれもただでは済むまい。下手をすれば第四騎士団自体が消滅するだろう。

 

 しかも、今が逃げたとしても「迷子になっていました」と幾らでも誤魔化す事が出来るだろうし、その間に敷地内を隈なく探ることも可能だ。


 キースの言い分も解る。


「まあ、中庭か食堂くらいに居るんじゃないか?……どちらにせよ、俺はを手許から離す気はない」

 俺はキースにヒラヒラと手を振りながら執務室を後にした。




 先ずは中庭を見てみるか。


 階段を挟んだ、執務室とは反対側の廊下へ足を進めた。

 建物の西側に位置するこちらの方が中庭に近く廊下の窓から西庁舎と中庭を眺める事ができる。


 窓を覗くと人影が視界に入った。

 どうやらクリフとカイトでは無い様だったが、黒いローブを着込んでいる連中の中に一人、マントを肩に掛けた男の姿を見つけた。


 神官長か……。厄介なのが来ているな。


 教会始まって以来、最年少で神官長にまで登りつめたという銀髪紫瞳の壮年。

 クレマン・ピノー。

 齢は四十そこそこと聞く。


 彼が神官長に就任してからというもの、教会への求心力は一部の貴族達にも深く及んでいる。

 権力だけを追い求め、まともに機能していなかった一時期の教会の姿からすれば、今は真っ当な信仰の導き手として機能している。もちろんあの神官長の手腕である事は明白だ。


 巷では穏和な佇まいのとその容姿、優しい語り口調が人気を博しているようだが…。


 俺はどうも神官長あの男だけは好きになれないな……。


 ピタリと集団の足が止まった。

神官長が何か中庭を気にしているようだ。


 何を見ている?


 視線を送っているであろう先を探す。

 中庭の端に茂る木々、その木陰で休息できるように設けられた幾つかのベンチの一つに人影があった。


――カイト。


 神官達あいつらに会って面倒臭い事になっても構わない。

 今直ぐにでもカイトを迎えに行かなければ……。


 そんな想いに駆られて、俺は踵を返すと小走りで中庭へと急いだ。


 

 

 


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