第8話      2

 賊共の掃討があらかた終わり、残党も這々の体で逃げ去って静寂が戻った頃、俺は未だ自分の服を固く握り締めたままの手に気がついた。


 よほど怖かったのだろう、身体が小刻みに震えている。指先は力を入れすぎているのか白く変色していた。


 俺はその黒々とした髪に手を添えると、ゆっくり撫でやった。


「もう終わった……」


 強張った指先も撫で、

手を開くよう促してやる。


 彼はぎこちない動きで顔を上げた。



 終わった……?



 瞳が訴えてくる。



 ああ。



 頷いて、片腕で静かに抱き寄せてやった。

 思った以上に、肩幅も狭い華奢な身体だ。


「安心しろ。もう大丈夫だ……」



 怖い思いをさせて申し訳無かったな……。



 本当に掠り傷一つ無くすんで良かった。

 いや、

そんな目に遭わせる気なぞ露ほどもないが……。



「っ、――何やっているんだ?!お前っ!」



 突然に舐められた。



「……何って。

怪我してるから舐めただけだろ?」

 

「……たっ、確かにこの程度の傷、舐めときゃ治る。俺が言いたいのは!……」



 先程受けた刀傷にペロペロと舌を這わす姿に、何とも形容し難い劣情が湧き上がってくる。



 コイツは……、理解わかってやっているのか?


それとも、――無自覚なのか?




 傷口に這わされた舌の感触が、いつまでも甘い疼きとなって熱を持ち続けていた。





          ◆



「レナード様。

キース様がお見えになりました」


「……っ」


 家令のベルゲが声を掛けてきた事で、俺の思考は途切れた。

 いや、物思いに耽っていたことを自覚させられたといったほうが良いのか……。


 ベルゲに促され部屋へ入ってきたキースは、別れた時のままの隊服を身に着けていた。



 視察しごとの後始末を押し付けて来てしまったが、

着替える暇も無かったのか。



「すまんな。部屋へ戻る暇も無かったようだな」


「あ、いえ。ただ着替えるのが面倒臭かっただけですよ」


 苦笑いを見せながら肩を竦める。



 キースは俺より三年ほど年嵩な男で、今でこそ俺の部下だが、エンメリック家の縁戚に当たる。

 親族と言っても傍系になるのでライラー家には爵位は無いが、親同士が親友であった事もあり幼い頃には良く遊んでいた。


 俺の事情を知っている為に色々と気にかけてくれた、兄弟のいない俺にとっては兄みたいな存在だった。


 今では子供時分の対等さなど無かったかの様に、信頼のおける部下でいてくれる。



「まあ、座れ。何か飲物でも……」


 向かい側のソファを勧めながら、ベルゲに手配を促す。


 キースは俺の手元に気付いて少し驚いた表情を見せた。


「珍しいですね。貴方が一人で酒を召し上がるとは」

「ん?……あぁ」


 ローテーブルに置かれた瓶に視線を向ける。


「俺も相伴に与って良いですかね?」


 キースはそう言うと、ベルゲにグラスを持って来るよう頼んだ。


 琥珀色の液体が入ったガラス瓶は燭台の炎に揺られ、思いのほか赤く色づいている。

 テーブルに増えたグラスに酒を注ぐと、これまた赤く染まった液体がテーブルにその色を映し出した。


 昼間の血を思い出させるような赤だ。


 自分の傷口を舐めてきた表情かおが鮮やかに甦った。


 思わず、傷を負った先へ手を這わせてしまう。



「報告は滞りなく……」


 キースはグラスに口を付け液体を一口喉に流し込むと、ふうと息をついた。



「面倒を押し付けたな」


「いえ。何にせよ、あのまま隊舎へ戻るわけにもいかなかったですし……」


 

 確かに、彼の言う通りだ。彼奴あれを連れて行ったら、どんな騒動になっていたか……。



「そちらも、――色々とあったようですね……」


 チラリと視線を送られる。


 ガウンの袖に隠れているはずだが、腕に巻かれた包帯にキースは気が付いたようだった。


「……まあ、な」


「まさかとは思いますが、ですか?」


「違うな。帰る途中に賊にだけだ」


ね……。」


 キースは呆れたような声をあげた。


「絡まれだけで貴方の様な方が怪我する訳は無いと思いますが、――連れ戻しに来たのですか?」


 声を落とし、キースが真顔で尋ねる。


「別口だ。多分どこかで見掛けての犯行だろうが……」


 昼間の立ち回りを思い出す。


 恐怖に震えた漆黒の瞳が鮮明に浮かんだ。



彼奴あれには、可哀想なことをした……」

「で、怪我を負ってまで庇った。と、勿論ご無事だったのですよね?」


「当たり前だ。この俺が、掠り傷一つ付けさせる訳がないだろ」


 ついムキになってしまった俺に、キースは苦微笑を洩らしてきた。


「…っ!そんな事はいい」


 普段は真面目な部下だが、たまに幼馴染の悪ガキが顔を覗かせる。

 私的な場所でしか見せないが、俺とキースにとっては素に戻れる時なのかもしれない。


 俺はそんな気持は表に出さず言葉を続けた。


「あと、怪我をしたからこそ判ったんだが……、もう一つ、可能性が出てきたぞ」


「……どんな、ですか?」


「……もしかすると、

は人ではないかもしれん」


「なんですって?」


キースが訝しげに眉根を寄せる。


「人型をした魔物という可能性もある」


「まさか……」 


 信じられない。とかぶりを振る。


 だが、何かに思い当たったのかキースは顎に手を当て黙り込んだ。


「……たしか、遙か遠い大陸には魔人と呼ばれる人型の魔物がいると。噂に過ぎませんが、昔聞いたことが……」


 俺は頷いた。


 その噂は俺も耳にした事がある。


「あくまでも仮定の話だ。だがもし、本当なら色々と辻褄が合う。この大陸には無い肌や瞳の色といい、あの使い道の解らぬ金属のプレートといい、何より……」


「?」


「……いや、他人の体液を摂取することで、ヒトの言葉を理解する能力があるのかも知れんのだ」


「そんな事が……」


「今回怪我をして気が付いたのだ。お前達と別れた後、途中からアイツは訳の解らない言葉を話しだした。だが……、賊の襲撃で負った傷をアレが舐めた途端に、アレはこの国の言葉を話しだしたのだ。考えてみれば、初めてアイツと意志の疎通ができたのは、暴れていたアイツを落ち着かせようと接吻をした後だ」


しかも……。


言葉を続けた。


「実はここに着いてからも浴場へやから逃げ出してな。暴れたので取り押さえたが、どうも意味不明な言葉を話していた。まさかと思い試しに接吻をしたら――その後、やはり言葉を理解しだした」


「……そんな、都合の良いことが?」


 理解し難いと、キースは声を上げた。


「確かにな、普通に考えたらそう思うかもしれん。偶然なのか、本当にそうなのか……。

若しくはを隠すために――なのか…」


 そこまで言い、俺は手にしていたグラスの中身を一気に喉に流し込んだ。


 どれも憶測の域を出ない。



 ただ判っているのは、この国の人間には無い象牙色をした肌と漆黒の瞳を持つと云う事。


 そして、不思議なプレートの持ち主だという事……。

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