第1話 再会を願う花ー5

 9:10


 僕たちは肩を並べて、幻想的な桜並木を歩く。


 木々の揺れる音が鳴ると、無数の桜の花びらが舞い、やわらかな春の日差しが、その星々を余すことなく、照らす。


 手を伸ばせば、届くくらいの距離に恒星が出来上がる。


 それはまるで、夜空の闇から地上に届く本物の光のようで、この地に立っているだけなのに、前向きな気持ちになれた気がした。


「この桜並木を見るのも久しぶりだな〜」


 左右にある桜の木を1本1本に視線を向けながら、桜花は言った。


「はあ〜、風が気持ちいい……」


 桜花は瞼を閉じて、両手を小さく開く。


 風を肌で感じている様子の彼女の口元は、微笑んでいた。


「あ、そうだ! おじさんのたこ焼き屋さんってこの辺にあるの?」


 数瞬閉じていた瞼を開き、彼女の大きな瞳と僕の目が合う。


「ああ、うん。ここからだと、5分くらいかな」


 見つめすぎてもいけないので、不自然に思われないように、僕は視線を桜の木へと向けた。


「行ってみたいな。どんな人か気になる!」


 その後、「それに、きちんとお礼を言っておきたいから」と彼女は小さく呟いた。


 その言葉を聞いて、僕は素直に行こうと思うことが出来なかった。


 アスファルトに落ちた花びらを、踏み進めていることに気づき、芽生えた少量の罪悪感が、僕に負の感情を呼び起こさせる。


━━ボウズが心から大切だと思える人を俺に紹介してほしい。どんなふうに出会ったとか、お互いの気の合う部分だとか、そういう話を聞かせてほしいんだよ。これは、友達との大事な約束だ。


 と、おじさんは僕に言った。


 もし、仮に僕が桜花と再会を果たしたとして、おじさんとした約束を果たしたと言えるのだろうか。


 桜花と再会を果たす間で何度も考えてきたことだ。


 僕と彼女の過ごした時間に嘘はないけれど、今を含めた10年間という長い時間を置き去りにした、不変なものでしかない。


 僕たちの時間は、ついさっき始まったばかりだ。


 10年という長い月日、停止していた歯車がすぐに円滑に動くわけがない。


 もしかしたら、お互いの価値観がぶつかり合い、その過去との齟齬に、彼女か、あるいは僕が耐えられないかもしれない。 


 けれど、そんな僕の懸念をお構いなしに、無情にも時間は1秒、また1秒と進んでいく。


 久しぶりに動き出した僕と彼女の歯車は、けたたましい音を立て、錆を撒き散らしながら進む。


 ほんの少しの衝撃で歯車が欠けてしまわぬように、当たり障りのない話で、慎重に注油していかなければならない。


 慎重に、繊細に1滴ずつ。


 そんなのは、当たり前だ。


 すべてが都合よく円滑に進むような潤滑油など、この世にありはしないのだから。


 だからこそ、僕と彼女が再会しただけでは、おじさんとの約束は果たせるとは思えないし、思いたくない。


 おじさんはきっと、この歪な状態でも許してくれるだろうから。


 しかし、彼女のお礼をしたいという思いを無碍にしたいとも思えないので、悩んだ末に、僕は彼女の要望を聞くことにした。


 もちろん、しぶしぶといった様子を気取られないように。


「わかった。おじさんもきっと、喜ぶよ」



 他愛の会話をしていると、おじさんのお店の近くに到着する。


 けれど、僕はおじさんのお店には寄れないことを悟ることになる。


「なんだよ、これ……」


 なんと、長蛇の列ができていたのだ。


 今までに、この時間に来たことはなかったけれど、まだ9時だ。


 まさか、この短時間でこんなにも列ができるとは。


 おじさんのたこ焼きの味なら、この光景は納得できるし、多くの人に知ってもらえているということが、自分ごとのように嬉しくもある。


 正直、何度もサービスをしてくれたおじさんに対して、お店の経営を心配したこともあったけれど、杞憂だったようで、安心だ。


 けれど、その半面で、桜花の頼みに応えることができないことへの罪悪感が募っていた。


「すごい列!」


「うん。おじさんのお店の前がこんなになってるの、初めて見たよ」


「美味しかったから、納得」


 桜花は満足そうに微笑んでいる。


「どうしようか? 列に並んでお店に入っても、おじさんとゆっくり話をすることは、できなさそうだね」


「そっか……迷惑がかかっちゃうもんね……」


 桜花は自嘲気味に笑った。


「お礼を言えなかったのは残念だけど、仕方ないね」


 そう言って、「行こっか」と、微笑を浮かべた。


「ごめんね……」


「はる君が謝ることじゃないよ。おじさんのお店が人気あるのは、嬉しいもん」


「ありがとう」


 彼女の優しさに心からのお礼を言い、長蛇の列に沿う形で、僕は前を歩く。


「できたら、今度来よう」


 僕は足元に注意をしながら、言った。

 

 できたら、という濁す言葉を選んだのは、次に彼女と会えるかわからないからだ。


 今日会えたからと言って、来年も会えるかどうかわからない。


「……そうだね。できたら……」


 後ろから聞こえた声は小さくて、振り向かなくても彼女がどんな表情をしているかわかった。


「あ!」


 驚いたような彼女の声が聞こえ、反射的に振り返る。


「桜花?」


 彼女は躓いて、状態を前に崩し、今にも倒れそうになっている。


 ギリギリのところで、伸ばした僕の左手が間に合い、彼女の右手首を掴み、引っ張る。


「大丈夫?」


「う、うん……あ、ありがとう、はる君。助かりました……」


 急な出来事に驚いたのだろう。


 彼女の顔は赤くなっていた。


「間に合って良かった」


 本当に良かった。


 桜花に怪我なんてさせたくない。


 というか、怪我をさせていい人間なんていない。


 「し、しばらく、このままでもいい?」

 桜花の目線が、彼女の手首を握る僕の手に行く。



「え? ああ、うん。また転んだら危ないからね」


 桜花はこくんと頷いたので、狭くなっている道幅をゆっくり歩き出した。


 途中、「やるな、にいちゃん」という、なぞの称賛の声を受けながら、僕たちは長蛇の列を抜けた。


 いや、恥ずかしい。


 彼女の手首を握っているという意識で、僕の頭が支配されるよりも先に列を抜け、手を離す。


 桜花は右手首を左手で2回ほどさする。


「ごめん、痛かった? あ、て、手汗とかやばかったよね? えっと、手を洗える場所は……」


 たじろぐ僕の様子に桜花はふふ、と笑う。


「ありがとう。手を引いてくれて。あと、手汗かいてても気にしない」


 そう言うと、彼女はまた上品に笑った。


 桜花の笑顔が嬉しくて、顔が熱くなるのを感じた。


「ああ、いや、うん。それは、良かったです……」

 

 春風で顔の熱を冷ましながら、歩いていると、公園の入り口に繋がる横断歩道に差し掛かる。


 青信号になり、桜花と2人肩を並べて横断歩道を渡っていると、正面から、勢いよく一人の少年が走ってきて、僕と彼女の間を抜ける。


 その少年の表情は、怖いものから逃げるような、必死なものだった。

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